第21話『お泊まり会』
《ん~、”オツカレサマデシタ”》
あんぐおーぐがぐぐっと身体を伸ばす。
無事に配信も終わり、今度こそ本日の活動は終了だろう。
《じゃあ、そろそろ時間だし、わたしも帰ろうかな。お母さんも心配するし》
俺もいろいろありすぎて今日は疲れた。
イチ推しがとなりにいるもんで、緊張しっぱなしだった。
しかし、立ち上がったところで「え~!?」とあー姉ぇから不満の声が上がる。
「イロハちゃん帰っちゃうの~!? 今日は泊まっていきなよ~! おーぐも泊まるんだし」
「ええいっ、暑苦しい! しがみつくな!」
というか、だからこそ帰ろうとしているのだ。
イチ推しとお泊りだなんて、いろんな意味で耐えられるわけないだろ!
「泊まるって言うまで離さないぞ~! ほら、おーぐからも!」
《え、えーっと。ワタシももっと、イロハちゃんと遊びたいなー?》
《うぇっ!? いや、それは、うーん、えーっと!》
あ~、キラキラとした目がまぶしい!
それにイチ推しからのお言葉を否定することなんて俺にはっ……。
《わかり、ました。だから、そんな悲しそうな目で見ないで!》
「勝った!」
なんでこんなことに!?
あー姉ぇはともかく、年頃の女の子とひとつ屋根の下だなんて!?
ファンとしてもおっさんとしても色々とツラいものがある。
あー姉ぇはともかく!(大事なことなので)
《はぁ……。ちょっと待っててください。お母さんに確認してみますから》
母親にメッセージを飛ばしてみる。
返信は意外にもすぐに来た。
『了解。失礼のないようにね。それとお母さんも今日からしばらく帰りが遅くなるから』
どうやらお互いさまだったらしい。
なんでこんなときばっかり、あっさりと許可が取れてしまうのか。
俺は観念した。
「お母さんが泊まっていいよ、って」
「よしっ、そうと決まればまずはお風呂だ! バスルームへ行くぞ、おーっ!」
「お、風呂ぉおおお!? ちょっと待って! さすがにそれは!?」
《待て待てアネゴ! お風呂ってみんなで一緒に入るつもりか!? ”マジ”!? 日本ではそれが普通なのかもしれないけど、まだワタシには難易度が高すぎる!》
俺たちは必死に抵抗した。
さすがにあー姉ぇも2対1は劣勢とみたのかブーたれながら諦めた。
……かと思いきや、俺が風呂に入っているとき。
バーン! と唐突に浴室の扉が全開になった。
「イロハちゃ~ん! 背中流してあげる~っ☆」
「ぎゃぁあああ~~~~!?」
あー姉ぇのやつ、やりやがったぁあああ!?
俺は全力で不法侵入者に抵抗した。
結局、俺とあんぐおーぐは交代で門番をしながら風呂に入った。
脱衣所でお互いを、あー姉ぇの侵入から守ることとなった。
《イロハちゃん……いや、イロハ! ワタシたちはもう戦友だ! これからはお互い呼び捨てでいこう!》
《そうだね、おーぐ! ともに、かの邪智暴虐の王に立ち向かうのだ!》
風呂を上がるころには、そうガッチリと握手を交わす仲になっていた。
いつの間にか俺たちの間にあった壁や緊張感はなくなっていた。
「……あれ?」
これ俺が理想とするVTuberとファンの関係から、ますますかけ離れていってない?
あるいはあー姉ぇはこれを狙って……。
いや、ないな。
あー姉ぇは間違いなく、自分がやりたいことをやってるだけだ。
ちなみに、俺が風呂に入っているときに侵入を試みた人物はもうひとりいた。
あんぐおーぐがわずかに席を外した隙に現れたのは……。
「イロハちゃん! お姉ちゃんはダメだけどマイならいいよねぇ~? マイが背中流してあげるからねぇ~? って、もう鍵をかけっぱなしだよぉ~っ。でも大丈夫、ちゃんと10円玉を持ってきてるから……あ、あれ? 固っ……開かないナンデェ~!?」
俺は無言で鍵を押さえながら髪を洗った。
すりガラスの扉越しに《アネゴの家系はヘンタイしかいないのか!?》とあんぐおーぐの叫びが聞こえた。
残念ながらそのとおりだ!
* * *
布団を敷き、俺たち3人は川の字に寝転がっていた。
……え? 2-2で分かれてマイと寝ないのかって?
マイとふたりきりは貞操の危機を感じたからな!
マイはしくしくと泣いていたが知らん。日頃の行いだ。
そのわりに「4人で寝るか?」と尋ねたら遠慮して去っていったのは、不思議だったが。
VTuber業のせいで仲間外れになりがちだ。
だから寂しがらせていないかと心配していたのだが、そんなことはなかったらしい。
《おーぐはいつまで日本に滞在するの?》
《明後日まで。明日は早起きして遠出するつもり。配信もおやすみして本格的に観光しまくるっ!》
夜、天井を見上げながら話す。
この頃にはもう、俺たちはタメ口で話せるようになっていた。
《今日はあんまし遠出できなかったもんね。観光ってどこへ行くの?》
《ふっふっふ、その質問を待っていた! じつは、日本に来たら絶対に行きたい場所があったんだ! それは……メイド喫茶!》
《メイド喫茶?》
《あとはアニメグッズのお店も見て回りたい! ゲームセンターもマストだな!》
一瞬、面食らったがすぐに納得した。
あんぐおーぐは日本のアニメ文化が大好きだ。
最初のきっかけは食いしん坊な彼女らしく和食からだったが、次第に日本の音ゲー、アニメへと興味を発展させていった。
実際、歌枠配信でもアニソンを選曲することは多い。
《そうだ! 今、日本も夏休みなんだよな? イロハも一緒に行こう!》
《え、いいの!? じゃあ一緒に……あー、ダメだ》
《どうして?》
《明日は塾があるんだよね。親が中学受験してほしいみたいで》
《……ふむ。イロハは中学受験したくないのか?》
《したくないというか、メンドーくさい!》
《あははっ! わかるわかる。じつはワタシも中学受験させられたんだ。というか”プレスクール”からずっと勉強漬けの毎日だった》
《プレスクール?》
《えーっと、なんて説明したらいいんだろう。2歳から通う学校、みたいな?》
《なんだろ、保育園みたいな感じかな?》
《うーん? 似たようなものかも? ともかくそれからずっと幼稚園も、小学校の5年間も、中学校の3年間も、高校の4年間も……毎日、勉強勉強勉強だった》
そういえば日本とアメリカでは教育制度がちがうんだっけ。
しかし、あまりにも予想外な経歴だ。むしろ勉強は苦手、という印象があったのに。
《意外でしょ? じつはワタシ、ちょっと良い家の生まれなんだよ。親がお固い職業でさ。そのせいか、かなりの教育ママでねー。……けどワタシ、マジで勉強できなくてさ》
《そう、だったの?》
《うん。いわゆる落ちこぼれってやつだな。もう毎日怒られてばっかりで、それこそイヤになって家を飛び出しちゃったくらいだ!》
《えぇ~っ!?》
《それがきっかけで結局、ドロップアウトしちゃった。今でもママとは仲直りできてない。……けどなー、今こうして配信でお金を稼いで生活できるようになってみると、学校で学んだことが役立つことって意外と多いんだなーって気づくよ。今ではわりと感謝してる》
《じゃあ、やっぱり受験賛成派?》
《とんでもない! 少なくともワタシの場合、それでも良いことより悪いことのほうが圧倒的に多かったし!》
《そっかぁー》
《うん。ときどき思うよ。普通の学校に行っていたら今ごろどうなっていただろう? って。もしかしたら普通に友だちと遊びに行ったりして、そんで……配信者にはなってなかったかもしれない》
《えぇっ!? それはものすごく寂しいな》
《そうだなー。ワタシも今さらVTuberじゃない人生なんて考えられないぞ! VTuberになることは自分で決めて、行動して、そうして合格して掴み取った結果だからな。絶対に手放したくない!》
《……! 自分で、決めた結果》
《ワタシは大事なのは本人の意思だと思う。親は子どもに中学受験を強制なんてしちゃダメだ。そして同じくらい、みんなと同じ学校しか選べないってのも不幸だと思う。だからきっと親のやるべきことってのは……子どもの選択肢を少しでも増やしてあげることなんだよ》
あんぐおーぐは《すくなくともワタシはそうして欲しかった》と悲し気に言った。
俺はしばらく考え込んだ。彼女はその間、無言で待っていてくれていた。
《うん、決めた。わたし中学受験はしない》
《そっか》
《夏休みが明けたら、親にはっきりと告げることにするよ。ま、夏期講習の代金がもったいないから、それまではマジメに塾にも通っておくけどね》
《あぁ、いいと思うぞ。イロハが見たい景色は、中学受験の先にはなかったんだな》
《うん。けど、やりたいことがひとつ思いついた。それは――》
俺がそう語ろうとしたとき。
「ぐごごごぉおおおっ! ……ぐか~、すぴー」
《《……》》
俺たちは無言で身体を起こし、爆睡を決めているあー姉ぇの顔を見下ろした。
やけに静かだと思ったら、ソッコーで寝落ちしていたようだ。
ずいぶんと気持ちよく寝ている。
あまりうるさくしてあー姉ぇを起こすのも悪いな、と俺たちは肩を竦め、もぞもぞと布団を被った。
目を閉じると朝はすぐそこだった――。
* * *
《アネゴ、ワタシの言いたいことがわかるか?》
「あー姉ぇ……お前、ホント」
「す、すいませんでしたぁーっ!?」
翌朝、俺とあんぐおーぐは正座したあー姉ぇを見下ろしていた。
俺たちの顔にはくっきりと青あざができていた。
「い、いやーアハハ。まさかアタシの寝相がそんなに悪かったなんて、知らなかったナー」
《アネゴ~っ!》「あー姉ぇ~っ!」
「ひぃいいい! ごめんなさぁあああいっ!」