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北海道へと旅立つ

空港には大勢の人たちで溢れていた。みんな各地へと向かったり観光地から帰ってきたりして楽しい時間を過ごしたのだろう。喜びを心の内に宿しているような感じがする。この空気感、この独特な透き通って清らかさをもよおした何とも言えない感じの空港が大好きだ。そういえば以前潤子(うるこ)と北海道へ行ったことを思い出した。とっても懐かしいなあ。また一緒に行けると楽しいだろうな。今度行くときは潤子を誘おう。また楽しみが増えた。それまで一生懸命に仕事に精を出して潤子が立派な作家になることを後押ししなければ。葬式を終えて帰ってきたら潤子に連絡して一度会いたい。彼女は一日一日と成長しているだろう。若さに伴いがちな茶目っ気たっぷりなあどけない姿が思い浮かぶ。ますます見た目にも可愛さを身につけてこれから作家としての役割を充分に果たしていくだろう。元気にしているだろうか。心配なことといったらやはり彼女のルックスだ。美少女過ぎて人目を引きすぎる。これだけがネックになっている。
機内に乗り込むと乗客たちはなんとも言えぬ静寂感に満たされた。空気の質がどこか違う。密閉された空間で独特な静けさが辺りを覆った。私は窓側、恵太さんは左側に座った。それにしてもこんな巨大な鯨を越えたような物体がどうして空を飛べるのだろう。こんなものを作り出した人々は私たちと頭の構造が違うのだろうか。ある意味神のような存在だ。そのことを考えていると客室乗務員が通路を通って私たちの座席の前を歩き去った。まるでモデルがショウで颯爽と歩く感じで背筋が伸びていてとても美しかった。彼女たちは毎月どのくらいの給料を貰っているのだろう。でも空を舞台として仕事ができるなんてほんと羨ましいな。私にはいつも笑顔でいるなんてことはできないけど、彼女たちの姿は店先のウィンドウに飾られているマネキンを思い起こさせた。なんて失礼な考えだ。って思ったけど、その想像の渦は止まらなかった。不特定多数の人たちに見られることに馴れている彼女たちはそんな人々から羨望の眼差しを受けていることを自然に受け止めて、自分では自覚しているのだろうか。彼女たちの表情はまるで達観しているような、悟りを拓ききった人のような表情だ。まるで女王のような人々に慈愛の笑顔を浮かべて自分の心に巣くっている美しさをばら蒔くようなそんな雰囲気。この世の中にはいろんな人種がいる。彼女たちの異性の出会いというものを考えてみた。仕事をしている時に乗客として機内に入ってきた男性に見初められて恋愛に発展するといったことはあるのだろうか。機長と恋に落ちるなんてこともあったりして。なんだかごく当たり前の考えしか思い浮かばないな。恵太さんは静かに眠るような冷静でいてなにかに導かれるようにじっと前を見つめている。まるで瞑想をしているような悟りを拓いた修験者のような表情。とても美しいと思った。男性客室乗務員にしてもいいくらいだ。
飛行機は滑走路に向かってゆっくりと静かに動いた。徐々に速度を増して空中に舞い上がる。私がその瞬間に考えていたこと、それは客室乗務員が舞妓に似ているといったことだ。職業的に繊細さを秘めていて、どうすれば客が喜ぶことをすることができるのか。一見するとこの二つの職業は全く対極的に位置するように思えたのだけど、どこか似ているなと思った。どちらも高尚な技術的に磨かれた人たち。人を磁石のように引きつける才能をもっていて、それは小さな可愛い少女のようでもある。あどけない汚れを知らない純真でありながら、男の心をくすぐる術(すべ)を知っている職業的人間。私は自分が着物を着て白粉(おしろい)を塗った姿を思い浮かべた。人々から羨望の眼差しを向けられて静かに街路を歩く。芸に研鑽を積み、富と名誉を持った人たちを手玉に取って、そんな人たちを子供に戻す術を心得た舞妓はどんな権力者も足元に及ばない力を持っているように思えた。しかし、今こうして周りに多くの人たちがいて、その1人1人に様々な人生があって、仕事をして、恋愛をして、楽しんだり悲しんだり、人には言えないような悩みを抱えたりしている。私が今こうして感情を持つ人間として命があるように、私の周囲にいる人たちも感情を抱いているのだ。私の父親も死ぬときにどんな最後を迎えたのだろう。死ぬ瞬間、どんな走馬灯が過(よぎ)ったのか。私にも同じように後数十年後には同じように死ぬことになる。そのことを思うと不思議でならない。この私が死ぬなんて。でも必然的にこの体は死に向かって歩んでいるのだ。百年後にはこの飛行機に乗っている乗客のほとんどは存在しなくなっている。いや、この地球に住んでいる人と言ったらいいのだろうか。死ぬ直前、私は眠るような最後を迎えたい。静かな終局で終わりたいと思う。でも、今できることといったらこの命を燃焼させて人々にその熱で暖めることだ。心にぽっかりと空いた穴を塞ぐこと、そのことが私の役割のような気がする。そして望むことはまだ本を読んだり芸術を見て感動したことがない人たちを魅了すること。心から感動させることだ。そのことができたならこの命を失ってもいい。それほどの情熱を抱いている。ネット小説にはいろんな背景を持った人たちが投稿している。そのなかにはお決まりのパターンにはまったもの、今、人気というかカルト的なものもあって独自性を培っている作品は必ずしも多いとは限らない。でも小説を書く人たち全般に言えることだけど純粋な気持ちで書いている人たちがほとんどだ。でも、作家として稼いでいる人には、常軌を逸した人たちが多いというか、変わった思考をもった人たちがたくさんいる。真面目だけの人には小説を書くことが向いていないのかもしれない。何処か卑屈な人とかこの世に憤懣を持っている人、世間で言う変態的な趣味を持っている人など、常識的ではない人こそ作家として、プロとして成り立っていくのかも。そういう私は変態だろうか。私には趣味と言えることは、編集者として本を読むこと、そして1人の女性として恵太さんを愛すること。このことが今の生き甲斐になっていると思う。そして大衆の心を踊らせて、こんな世界もあるんだよ、って魅了すること。舞台で俳優たちが観客の心をつかんで離さないように、作家が縦横無尽に動き回るような立ち回りをすること。私はそのことを望んでいる。その点、今私が担当している作家たちには将来を嘱望される人たちが多い。若くていい意味で変態的な人たち。この前文学賞を受賞した20才の女性作家が言っていた。嘘をつかない、書かない作家になりたいと。でも私から言わせれば多いに嘘を吹聴してもいいんだ。この人生全てが嘘でもかまわない。その人が持つエネルギーがほとばしっていれば。性格が悪くてもかまわない。自分の信念、人のおどろおどろしい執念が詰まった物語だって人を魅了することだってできるのだ。このどうしようもない衝動、行き場のないエネルギー、それを解き放つことこそ作家の醍醐味なのだと思う。そしてそんな作家こそが人々の心に衝撃や驚異、愛情や慈しみを意図しなくても及ぼすことができるのだと思う。正直?嘘をつかない?笑っちゃうわ。そんな作家は長く小説を書いていくことは無理だろう。でも、今のところ私の担当している作家たちは他の仕事と兼業している人が多い。コンビニのアルバイトをしながら執筆している人もいるし、お堅い公務員や警備員をしながら仕事が終わってから書いている人だっている。でも潤子(うるこ)は初めて百万部以上を売る作家になるのではないかと私の本能が叫んでいる。人には決められた役割があってどんな美文を書いても売れない人だっているし、才能はあっても自分の檻から出られなくて苦しんでいる人もいる。でも初めて潤子を見たとき、この子はどこか違うと私の心はとても弾んだのではなかっただろうか。これからが勝負だ。それにしてもなんて世の中は面白いのだろう。様々な人種がいる。真面目そうに朝、通勤をしているサラリーマン。公園で生活している人。制服を着て学校へ向かう学生や掃除や洗濯、朝のテレビ番組を見ている主婦たち。成功してお金を何千億も持っているお金持ちや豪邸に住んでいる女王や天皇陛下。ほんといろんな人たちがこの地球に生きていて、たくさん考えたり悩んだり笑ったりして暮らしている。でも生きていることには変わりはない。路上生活者も天皇陛下も同じ土俵に立っているのだ。
飛行機を降りて新千歳から快速エアポートで札幌を目指す。電車内はキャリーバックを持った観光客で賑わっている。やっぱり人が大勢いて心を躍らせているのを見るのは最高だな。そんな子供みたいにはしゃいでいるのを恵太さんは僕も同じだよってみたいに微笑んでいる。この瞬間、些細なことだけど幸せを感じる。そうなんだ、どんな高級料理を食べたり贅沢な持ち物を得たりするよりも心が温かくなる。それは物質なんかより脳で感じることなんだ。そのことに気づけた私は本当に幸福だ。この世界にはたくさんのお金を稼いでいる人がいるけど、そんな人たちが実際に満ち足りた生活を送っているとは限らない。お金持ちでも人を信頼できなくて孤独を抱え込んでいる人、快楽を求めて薬物を使用したり、いろんな人と恋愛をしても満足ができない。一見するとそんな人は高価な服を着てきらびやかに見えるけど、その表情はとても幸せとは言えないほど沈鬱だ。極端かもしれないけど路上生活者と見比べても、どっちの方が貧しいのか判断ができないと私は思う。表情だけを見ていると。どちらも同じ時間を共有していて食べて飲んで眠って毎日を過ごすのには変わりがない。ただ、お金を持っているか、持っていないかの違いでしかない。私は物質的に富んでいても、そこに依りすがって生きている人は本当の幸福を知ることができない可哀想な人だと思う。結局ものに頼ることしかできないのだ。箴言にあるように、私に富も貧しさも与えないでください。と言う言葉があるけど、その通りだと感じるのだ。富むこともなく、貧しくなることもなく。
電車が発寒駅に着いて、そこからタクシーで実家に向かうとき、懐かしさがこみあげてきた。この道は小学生の時に通学していたのだった。よく学校の図書館で本を借りて読んでいたよな。その当時、その図書館でたまに出会う同級生と一緒になって、その人が読んだ本を借りたものだった。心が繋がるというか、恋をしていたとはその時感じていたわけではないのだけど、今思うととても心温まる時期だった。
実家に着くと仏壇の間に父の遺体が安置されていた。まるで蝋人形のようだ。まったく生き物としての気配が無くてひっそりとしていた。これが私の父なのか。静かに眠るような、そしてもう二度と目覚めることのない父を見ていると、悲しみとかは全くといっていいほど感じなくて、そこには寂しさとかも憂鬱さも覚えることはなかった。どこか他人事のようなそんな風に感じるのだった。
「お父さん死んだんだね。なぜか実感が沸かない」
「私も全然亡くなったって感覚が無いのよ。遺体はこうして存在しているのに、何処かへ散歩か買い物に出かけているんだって感じなの」母は呆けたように言った。
「でも、こうしてみつきの彼氏に会うことができて、なんだかホッとしたっていうか、心に荷が軽くなったって感じがするの。今日は来てくれてありがとう」
「いいえ、なんにもできなくて。みつきさんのお母さんに会えたこと、とても嬉しいです」

家族葬が終わって遺体を火葬場で焼いて遺骨を墓に納めると、父の存在がどこにも無くてほんとに死んだのだなあと実感した。すべてが終わって私は恵太さんの実家に行くことになった。小樽に行くことは私にとって心の安らぎを得る為にとても大切な場所だ。昔からこの地を訪れることは一種の療養みたいなものだった。観光客がいっぱいいてとても癒される。深く息を吸い込んだみたいな安心感がある場所だ。なぜか私の祖父母が住んでいた夕張市を思い浮かばせる。小樽の海沿いと夕張の山沿いの谷間は全然違っているはずなのにどこか似ているような感じがする。突然、私は父に対する愛情というか、渇望のような感情が溢れてきた。幼い頃に動物園に連れていってくれた父。さらに遡(さかのぼ)って、生まれたばかりの私を浴槽で洗う父のその嬉しそうな表情。私はポケットに手を入れた。取り出したのは父の遺骨だ。とても軽く人間の骨には見えない。私はぎゅっと掌の中で握りしめた。心が熱くなって体から全ての邪気を振り絞ったように覚醒した。これから私は頑張れる。そう思い、その父の骨をポケットに戻した。今まで神社で御守りを買って鞄や机の引き出しに入れていたけどなんの効果も無かった。でもこの父の一部は私に励ましを与えるように静かに微笑んでいるようだった。真っ白い軽石のような遺骨は強力なエネルギーを持っているように静かに訴えかけるかのようだった。恵太さんはこのことをどう思っているのだろうか。彼は何も無かったかのようにそのことについては多くを語らない。私が焼却された遺体から骨を取るときに一瞬笑顔になったことを思い出した。きっと私が抱いている思いを理解してくれたのだろう。
恵太さんの実家に着くと両親が玄関に出てきた。初めて恵太さんの両親に会ったけど、何故か懐かしい感じがして思わずほころんでしまった。
「初めまして、高瀬みつきと言います」私は恵太さんの両親に挨拶をした。
「こちらこそ、恵太の父の桜田恭介です。お世話になっています。とても優しい人だと聞いています」恵太さんの父親は私の父だった人よりも愛情深い笑顔を浮かべている。
「こんにちは、恵太の母の桜田恵子です」
「どうも、お会いできて嬉しいです。恵太さんはとても優しくていつもどんな両親の元で育ったんだろうって思っていました。なんだか実家に戻ったみたいな雰囲気です」
「さあ、入ってください。お寿司をとったんです。お寿司は食べれますか?」
「ええ、お寿司大好きです。わざわざありがとうございます。気をつかってくださって」私たちは居間でテーブルを囲んで心から暖かい気持ちになった。
「出版社で編集者をしているんですってね。私たち夫婦も本を読むのが好きでね、色んな作家の小説を読むのが楽しみなんです。みつきさんはどんな作家が好きなんですか?」
「純文学からエンターテインメント小説、歴史小説など何でも読むんですけどディーンクーンツ、スティーヴン・キング、トマス・ピンチョン、トルストイからドストエフスキー、まだまだ大好きな作家がたくさんいます。吉川英治の三國志も大好きです。ロマンを感じます」
「私たちもみつきさんと同じです。色んな作家がいて、本当に人生って素晴らしいなって思いますよ。心を削りとった魂の物語っていうんですか、世界は文学で出来ていると思うことがあります。この世の中に小説が無かったら、というか必然的なのかもしれませんけど人類はここまで進化していなかっただろうと感じます。それにしても作家さんを相手にするということは大変な気がします」
「そうですね。一筋縄ではいかないことがあるんです。普通の人とは違うって言うんでしょうか。変態とでも訳すことができると思います。一般人からすると変わった人と捉えられますね。でも、どんな人とも変わってはいても、純粋な心をもっている人たちです」私はひときわそのことに力が入ったことを感じた。そう、彼ら彼女らは如何なる人たちとも違う変態かもしれないけど純粋な感情を抱いているのだった。
「きっと私たちとも気が合うのかもしれません。恵太の親として息子をある意味変態として育て上げたのはそんな人たちとも語り合えることを目的としていました。真面目な人たちは時に暴力的になることがあります。すぐに群れたがるというんでしょうか。群衆心理で頂点に立つ人に対して攻撃的になることや、そんな人たちに迎合して称賛したり、崇拝したりすることもあります。これはとても危険なことだと私は思います」恵太さんの父は深刻な表情を浮かべて言った。
「なるほど、そうですね。多くの票を集める人を称賛したりしながら、その心の内ではその人が墜落することも願っている。そんな人たちを私も多く見てきました。作家の中には栄光を受けてそれに有頂天になって失墜した人もたくさんいます。有名な賞をとってそれ以来小説を書けなくなって引きこもりになった人だって多くいるんです。ほんと難しいと思います。小説家っていう職業は」私は連絡が途切れたそんな作家が今何をしているのか心配になった。アフターフォローをしていないことに心が震えた。これからそんな作家たちを助けなければいけないと思った。東京に帰ったら早速連絡をとろう。
私たちはお寿司を食べた後、恵太さんのお父さんはスコッチを持ってきた。ジョニーウォーカーのブルーラベルだった。一本1万5千円くらいはする高級品だ。私の担当している作家がスコッチが大好きで、少ない給料からバランタインの30年を飲ませてもらったことがある。とても美味しかったことを思い出した。
ゆっくりとくつろいで恵太さんの実家を出たのは夕方の6時だった。初めて会ったのにもう何十年も一緒に生活をしているような気分だった。それほど心地よいものだった。新千歳空港に快速エアポートで着くと夕食を空港内のレストランで蕎麦を食べた。それから会社の同僚や担当している作家たちにお土産を買うべく色々と物色しているとあっという間に時間が経過していった。夜の飛行機の滑走は初めてだった。飛行機が飛んでいる間、心が満たされる思いだった。とても印象的な旅だった。父の死に立ち会い、恵太さんの両親と息が会い、これから関係が絶たれた作家たちの様子を伺うべく備えることができた。本当に心が暖まってきて、これからひたむきに、一生懸命に自分が目指す道を歩んでいこう。世界は広い。いろんな人たちがいて、みんな真剣に自分の人生を模索しながら生きている。なんて素晴らしいのだろう。すべての人が同じ時間を共有している。大統領も天皇もサラリーマンも何兆円も持っている人も、貧乏人もみんな同じ土俵に上がっている。たとえば明日死ぬことになっていて、もしあと1日寿命が伸びるとしたら、その1日をどう生きるだろうか。きっと真剣に自分を見つめるだろう。その貴重な時間を大切にして、また、1日の命がたとえ十兆円で買うことができるのなら、躊躇うことなくその資産を差し出すだろう。ということはこの1日の時間というものはとても価値があるということだ。どんな大金を積んでも買うことができないほど貴重なものであるということなのだ。私はあらためて今生きていることを大切にしていこうと思った。ぼーっとしたまま、なんの価値も無いくだらないテレビ番組を観たりしないようにしたい。思い返せば父はただ毎日テレビを見続ける人だった。私はそんな父を見てそんな人生は送らないようにしようと子供心に誓ったものだった。あの頃が懐かしい。あの当時は子供向けの小説ではなくてすでにスティーヴン・キングやディーン・クーンツなどの小説を貪るように読んでいた。小学生ながらませた子供だった。学校の図書館だけでなく、市立の曙図書館に行って様々な本を読んできた。何故か哲学を集めた書籍に惹き付けられて、まだ意味も分からないのに古代の哲学者の本を読んでいた。でもその栄養は心の奥深くに沈んで蓄積されていたのだろう。思索を行うときに自分と向き合って考える癖がついて子供心ながらませていたと思うことがある。そう言えば小学六年生の時に小説まがいのものを書いていた。その書いている時間があっという間に過ぎていって、5時間が15分くらいに感じたことを実感して不思議に感じたことがある。
飛行機は羽田空港に向けて着陸しようとしていた。私たち二人は、いやこの飛行機に乗っている人たちは満たされた感情を抱いていることだろう。この記憶はどれくらいの期間、保存されていくのだろう。記憶に残る旅ではあっても数日もすれば、世の喧騒にまかれてすぐに忘れてしまうのではないか。私たちはいつも過去の記憶を消去して、未来に向けて、そして今現在という時間を重要なこととして過ごしている。たくさんの思い出を記憶している人はそれだけ幸福な人生を歩んでいるといえるだろう。私もその内の一人だろうか。その時ひとつの思い出が甦ってきた。それは大切な友達が突然引っ越しをして遠くへ行ってしまうという経験をした時のことだった。その人の名前は板垣恵子。そう今でも忘れずに記憶している。横浜に引っ越すということで私は彼女に手紙を書いたことがある。お別れの時に最後に手紙を渡したのだ。今頃彼女はどうしているのだろう。そして記憶は潤子(うるこ)に飛んだ。明日、彼女に会いにいこう。お土産も買ったことだし。アップルパイほど美味しくはないかもしれない。でもきっと彼女は喜んでくれるだろう。ああ、あのサクサクとした、小麦とバターとシナモンとりんごの合わさった味わい、それをまた経験することができるのかと思うと今からワクワクする。ほんと毎日でも主食のように食べられる。そしてなによりも彼女の小説を書籍化してデビューさせること。このことが今、主題のように私の心を奪い放さない。これからきっと毎日の生活の中で食事をするように味わうことだろう。今日はゆっくりと、ぐっすりと寝よう。明日は爽やかな1日となることだろう。恵太さんは1日作曲をする予定だ。オリジナルの曲を自分で作るという。とても楽しみだし、その過程を見届けたいとは思うのだけど、邪魔をしないようにしなければ。どんな曲ができるのか本当に心が躍るような気分だ。潤子の家に行ってお土産にアップルパイを持っていけば、きっと喜んでくれるだろう。
アパートに着くと沈殿しているかのような静寂があった。そこには人が居た気配が漂っていた。父の霊だろうか?私はポケットから父の遺骨を取ってノートパソコンが置いてあるデスクのうえにそっとのせた。その骨はなにか私に訴えかけているかのようだ。私はここにいるよ。って言っているかのようだ。心に一滴の滴りが落ちたようになって思わず天井の方に頭を向けてため息が出た。恵太さんはそんな私を抱き締めて背中をさすってくれた。私の心の内を見透かすようにぎゅっと抱き締めて軽く左右に揺すった。言葉は要らなかった。
「僕の両親もいつか死ぬときが来るんだろうな。そのことを思うと心が震えるよ。とても大事な人たちだ。いろんな思い出がある。生まれた時から今に至るまで愛情いっぱい育ててくれた。きっと衝撃を受けるだろう。みつきの気持ち、痛いほど分かるよ」
「お父さんは私が生まれた時、本当に喜んでくれた。写真を見ればわかるんだ。愛情いっぱいに育ててくれたんだけど、自意識が生まれた時だろうか、それまでの愛情が薄れていって関心を払わなくなったんだ。それが辛かった」私は初めてその気持ちを外に出したように感じた。それは心は解き放たれたように浄化される気分だった。
「そっか、それは辛かったね。でも大丈夫だよ。僕がついている。どんなことがあってもいつも側にいてあげる。だから心配することはないよ。心を解き放って。泣きたいときは泣けばいいし、笑いたいときは思いっきり笑えばいい」恵太さんは自分の体温で私を暖めてくれている。
「そうだよね。私は一人じゃない。今まで気負って自分一人でなんでもしなきゃいけないって思っていたけど、でも人を信頼して委ねることができるんだもんね。人はみんなささえあって生きている。それを遅ればせながら気づいた」
「うん、そういうこと。僕たちは周りからの影響を受けて生活している。食べるにしても生産者がいなければ、仕事だって読者や聴いてくれる観客がいなければ生きていくことはできない。みんな繋がっているんだよね。この広い地球でたくさんの人に囲まれて支えられている。考えてみれば凄いことだよね。こうして命を与えられて今日という1日を楽しむことができるんだ。思ってみれば歴史上の有名な人たち、例えばナポレオン・ボナパルトや豊臣秀吉やユリウス・カエサルみたいに権力を握って優雅な生活を送っても、死んでしまえば全て終わってしまう。今、生きている僕たちには敵わないんだ。そう、今、生きていることこそがとても大切で重要なことなんだ。この今を生きるということ。これほど貴重で価値のあるものは無いと思う」
「そうだね。こうしてお互いに信頼できる人と一緒にいれること、とても、どんな宝や物質的な物を得るよりも素晴らしいことだと思う。人と人の繋がりほど大切なことはないよね。世界は人と人を分断しているようにみえるけど、みんな心の底では結び付いていたいと思っている。なぜ、こんな世界になったのだろう。大衆の力はとてつもなく凄いエネルギーを持っている。それを恐れて繋がらないようにしている誰かがいるんじゃないのかな?権力者は大衆の上に立って上手く人々を操りながら、それでいて本来大衆が持っている強力な力を恐れてもいる。愚かなことだ。いつまでも人々を騙しながら操縦できると思っているのかな」私は小説こそが人々に本来持っている自由、本当の愛を与えることができると確信した。ドラマや舞台、映画やテレビには脚本がある。根本にはストーリーがあるのだ。原作者の心に巣くっているモヤモヤしているもの、葛藤や悲しみ、燻っているもの、愛や憎しみ、大衆が求めているものが物語として構築される。それは人の心を満たすものであったり、どうしようもない憤懣を解放させてくれるものでもある。
「僕たちは、全ての人たちは、その見えない敵であるモヤモヤした者に対決しなければならない。この世を操っている透明人間は強力な力を持っている。でも大衆を結びつける力はそんな奴らの及びもしないほどの影響力を発揮して、真にこの世界を解放する力を人々に与えることができるんだ。大切なことは毎日を誠実に無駄なく生きること。自分が抱いている思いをできるだけ人に伝えることだ。みつきは文学で、僕は音楽で。人にはそれぞれ得意としている分野がある。その範囲内で自分の抱いている心に巣くっている気持ちを人と共有することが大事なんだ。独白といったらいいのだろうか。人は本来自分が抱いている思いや気持ちを理解してほしい、知ってほしいという気持ちを持っている。ただ多くの場合、それを伝える人がいないんだ。だから鬱屈として犯罪に走ったり、人を攻撃したりする。そういう人の心を解放することが必要なんだ。今はいろんな機会があって、SNSやインターネットの普及でそういう意見を言うことが容易になってきているはずなのに、むしろ自分の意見に無関心だったり否定されたりすることで人格自体を拒絶されることのほうが多い。それで極端な行動を起こすことがあるんだ。ほんと難しい世の中だよ。色々なことが入り交じっている。一番大切なことっていかに大衆に自分の意見や考えを伝えるかではなくて、身近な人に、側にいる人に語るかなんじゃないかと思う。でもほとんどのマスメディアは上から情報を垂れ流しにしている。大衆を操作しているようにみえる」
「私たちは目覚める時が間近に迫っているような気がするんだ。今まで権力者が人の心を操って支配しているような、そんな世の中だった。でも、今は少ない人たち、たった一人で自分の意見が大衆のもとに伝えることができる。なんだかこれから面白くなりそうな感じ」私はそんな人々の心を満たしてくれる人たちがたくさん、溢れるほど現れることを期待している。大衆を無知にしてモルモットのように操っている支配者、その滅亡は近い。私はそう思った。これからが本当の勝負になるはずだ。私たちは互いに結びあって強力な力を発揮していく。それはどんな力さえ及ぶことができないほどに。鼓動が静かにかつて無いほど緩やかに拍動している。デスクに置いてある白い骨が微かに揺れているように思えた。それはマジックではなく、確信に満ちるほど、不思議に思うのだけど、それは現実的なものだった。

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