第8話 集落のお祭り
シェリルがいつものように家事をこなしていた午後の昼下がり、こんこんっと扉を叩く音がした。
人が訪ねてくることは数回あったのでシェリルは特に気にすることもなく玄関の扉を開けると、黒毛の少し長い髪を一つに束ねた体格のいいウルフス族の男が立っていた。
ラルフよりも少し年上だろうか、彼はシェリルが家政婦をし始めてから初めて訪ねてくる人物だ。男はシェリルの姿に驚いた様子だったので、慌てて自身はここで家政婦をしているのだと告げると思い出したように頷いた。
「そういえば、集落の仲間が言っていたな。嬢ちゃんだったのか」
「はい、少し前から働かせてもらっています」
「あいつの世話は大変だろうに。あぁ、ラルフはいるか?」
「ラルフさんなら部屋で寝てるかと」
ラルフならまだ起きていなくて、弓矢など狩りに使うものは置いてあったので帰ってきているのは間違いないと伝えれば男は「用事があるんだ」と言う。
「それなら、起こしてくるのでお名前と要件を教えていただけますか?」
「おれはヴィルスだ。この近くにある集落のもので魔物退治について話があると伝えてくれないか?」
それを聞いて「すぐに起こしてきます」とシェリルはラルフの部屋へと向かい、扉を叩くと少ししてから返事が返ってくる。彼は少し寝起きが悪いので声が低くなっていた。
「ラルフさん。ヴィルスという方が魔物退治について話があると訪ねてきてます」
そう伝えると間を置いてから「すぐに行く」と返事が返ってきた。まだ眠たそうな声だったが起き上がる音がしたので大丈夫だろう。そのまま玄関へと向かい「今、きます」と伝えれば、「急いでないから」とヴィルスはにかっと笑みを見せた。
「嬢ちゃん、名前は?」
「えっと、シェリルです。お名前伝えてませんでしたね、すみません」
「いや、気にしなくていい。人間を雇っているとは集落の奴から聞いてたんだが、本当だったんだなぁ」
ヴィルスが意外そうにしているものだからやはり人間は珍しいのだろう。見かけることはあれど、こうやって直近で見るというのはそうないようだった。
城下の町に行けば見るかけはすれど、集落ではそういうことはないので皆が興味を持っていたのだと教えてくれた。
私は大した人間ではないのだがとそうシェリルは思ったものの、彼に悪気もなければ何か期待を持った瞳を向けているわでもないので、そうなんですかと流すことにする。
そうして会話をしているとラルフがやってきた。まだ眠そうにしている彼にヴィルスは「お前、本当に寝起き悪いな」と呆れている。
ラルフは「悪かったな」と寝起きの悪いまま返していたが、それは悪いと思っていないのではないだろうかと、シェリルは口に出そうになった言葉を飲み込んだ。
ラルフがやってきたのでシェリルは立ち聞きするのはいけないだろうとその場を離れる。二人が話している間に食料棚の確認でもしようと調理場へと向かう。
無くなりそうなものなどは紙に書いてラルフに伝えるように指示されているので、紙を片手に棚を開けた。野菜と小麦が減っている、調味料はまだ大丈夫そうだ。
肉などに関してはラルフが狩ってきて処理を全て施してから干し肉にしているので困ることはない。たまに魚も食べたくなるが高いらしく、贅沢を言える立場ではないのでシェリルは我慢しすることにしていた。
「シェリル」
そうやって棚を整理しながら少なくなっている食材などを紙に記しているとシェリルを呼ぶ声がした。何だろうかと調理場から出て玄関の方へと向かうとラルフに手招きされる。
「今日はヴィルスの集落に行く」
「はぁ、いってらっしゃいませ」
「お前も着いてこい」
「なぜ?」
シェリルが首を傾げると、ヴィルスが「うちの集落が祭りをするんだよ」と話した。実りを願う祭りでよかったら見ていかないかということらしい。自分が行ってもいいものなのだろうかと不安そうにしていれば、ラルフが「大丈夫だ」と言う。
「ヴィルスの集落は荒れてはいない。少々、元気の良いのがいるが大丈夫だろう」
「それにラルフのところで働いているって言えば大丈夫だ!」
ヴァルスが「それぐらいうちの集落はラルフを信頼しているんだ」と笑い、ラルフも「大丈夫」と言ってるのでならばとシェリルは彼らについていくことにした。
***
森を抜けてすぐのところに小さな集落があった。それほど大きくはなくて木々でできた家が立ち並び、遠くの方には田畑や家畜が見えた。集落の中心である広場らしい場所では祭りの準備がされている。
中央には丸太がくべられており、側には供物らしい果物が供えられていた。夜になると火がつけられるらしく、それを囲むように食事をとり、大人たちが唄い、子供たちが踊るのだという。そんな風習があるのだなとシェリルは珍しげに準備を眺めていた。
「お兄!」
元気の良い声が響き、振り返れば黒毛の短い髪の若いウルフス族の女が手を振ってやってきた。だぼだぼした服を身にまとって彼女はヴィルスの隣に立つと、彼が「妹だ」と紹介してくれた。
「おれの妹のユラだ」
「ワタシ、ユラ! よろしくね!」
にこっと笑みながら挨拶されたのでシェリルも自己紹介をすると、ユラは「よろしく!」と言いながら珍しげに見つめてくる。ラルフのところで家政婦をしていると伝えれば、「噂の!」と彼の方を見た。そんな彼女にラルフは何だと言いたげな表情を向けている。
「ラルフのお兄ちゃんもいけないねぇ」
「どういう意味だ」
「くっふふふ。照れちゃってー」
揶揄うように言うユラにラルフは眉を寄せると、彼女は「きゃー怒ったーっ」とヴィルスの後ろへ隠れた。にやにやと笑うユラにラルフは目を細めて、けれど何も言わずに小さく息をつく。揶揄われるのには慣れているようだ。
そんな掛け合いをしているとシェリルより少し年上のウルフス族の女がユラに声をかける。
「荷物運ぶの手伝ってくれないかしら?」
「あぁ、おれがやろう。ユラには客人の相手をしてもらう」
ヴィルスの言葉にユラは「わーい」とシェリルの隣に立った。ラルフは集落の長に詳しい話を聞いてくるからとその場を離れてしまお、残されて少し不安になるシェリルだったがユラに「こっちで話そう」と近くのベンチに案内される。
並んで座るとユラは「何から話そっか!」とテンション高めだ。
「ねぇねぇ、何歳?」
「二十歳よ」
「同じだ!」
どうやら同じ年齢のようだ。ユラに「もう成人済みだよね?」と問われたのでシェリルは「そのはずよ」と答える。国によって成人の年齢というのは違うのだが、このフルムル国は十八歳で成人のようだ。
「シェリルはこの国出身じゃないんだー」
「えぇ、違うわ」
ユラは集落から出たことがないらしく、城下の町や他の国のことが気になるらしい。シェリルが他国の人間と知って目を輝かせていた。
「シェリルがいた国はどんなだったの?」
「私がいた国は……人間で溢れていたかしら」
王都は他の種族も見かけることはあれど、人間中心の国であった。比較的に栄えてはいたけれど、大国とは言い難い国だと答えれば、「人間だらけかー」とユラは想像ができないようだった。ずっとウルフス族だらけで過ごしてきたこともあり、人間ばかりいるというのはいまいちぴんとこないらしい。
「シェリルは家を飛び出してきたの?」
「……そんな感じかな。もう戻りたくはないの」
「親と喧嘩したのかな? それじゃあ、戻りたくもないよね」
ユラはそれ以上深く聞くこともなく自己完結させた。聞いてはいけないことだと察したようで、その気遣いにシェリルは感謝する。しつこく聞かれても言えないし、言いたくはない。色々あるよねと流してくれたので余計な嘘や誤魔化しをしなくてすんだ。
「ねぇ、シェリルは恋してる?」
突然の質問にシェリルはなんと答えればいいのかわからなかった。それはあまり話題にはしたくないことだったからだ。
決められた婚約とはいえ、婚約者であったマーカスを好いていたのは間違いない。今はそんな感情微塵もないので恋をしているのかと問われれば、していないというのが答えだ。素直にそう伝えると彼女は「恋しようよ」と笑った。
「誰かを好きになってさ、愛するの。楽しいし、幸せだよ。まぁ、大変なこともあるけどね」
最後の方はか細そかったけれど、ユラは「元気に恋しようよ!」と笑みを見せる。まだ二十歳だぞと。まぁ、新しい恋を見つけるのもいいかもしれないなとシェリルは思った。思ったけれど、逃亡中の身でそれは些か危険な気がしなくもないのでシェリルはそうねと流すように返事を返す。
そうやって広場の準備を眺めながら話していると、ユラがあっと声を上げて立つ。
「リンバー!」
呼ばれたのは金髪の癖っ毛が特徴的なウルフス族の青年で、爽やかな笑みを見せて手を振り替えしている。近寄ってくる彼にユラは嬉しそうだった。
「シェリル、私の幼馴染のリンバっていうの。頑張り屋さんなんだよ!」
「どうも、リンバです」
二人は側から見ても仲良さげだった。リンバが「あの紹介はないだろう」と言えば、「照れないの」とユラは彼の頬を突いていて、こんな様子を見てそう思わない人はいない。
「お二人は仲がいいのね」
「幼馴染っすからね」
「それだけなの?」
「ちょっ! シェリル!」
ユラが恥ずかしげに突っ込んできたのでシェリルはあぁと納得する。彼女は彼が好きなんだなと。ただ、リンバは「それだけっすよ」と笑っていたので気づいていないのか、その気がないのかもしれない。
(これはユラさん大変そうね)
自分に何かできることがあるわけではないのでシェリルはそれ以上は何も言わなかった。余計な口を出すのはお節介だ、邪魔をするようなことはしたくない。
それから三人で趣味は何かと雑談をしているとラルフの姿が見えた。彼は若い女性に捕まっているようで何か話をしている。そんな彼にユラは「ラルフさん人気なんだよ」と呟いた。
見た目もだが性格も惹きつけてしまうらしい。確かに彼は悪い人ではないし、その容姿も女性を惹きつけるだけの魅力はあったので人気もあるよなとシェリルも納得する。
暫くその様子を見ているとラルフは解放されたらしく、少し疲れた様子でシェリルの方へとやってきた。
「夜までここにいる。シェリルは祭りを楽しめ、俺は偵察してくる」
「わかりました。お気をつけて」
ラルフはそれだけ言って歩いていく。大変だなとシェリルは思いながら彼の背が見えなくなるまで見送った。