第5話 城下の町の市場にて
シェリルがラルフの家政婦になってから七日が経った。彼から教えられたとおりに部屋を掃除し、洗濯や洗い物をする。家を訪ねてきた者には自身は家政婦であることを名乗り、相手の名前と住み場所、要件をメモしておくことを覚えた。
彼は猟師をしながら近くの集落からの依頼を受けては魔物退治をしていた。夜に活動するらしく、夕方に出て夜が明ける頃に帰ってくる。
日中は部屋で寝ていることの方が多くて、昼過ぎに起きて遅い昼食を取るとぼんやりと外を眺めていることもある。
シェリルが家政婦らしく掃除をしているところを飽きもせずに見ていることもあった。最初は視線に気が散ることもあったがそれにも慣れてしまう。
今日も洗濯物を干しているところを手伝いもせずに眺めている。何が良いのやらと思いながらシェリルは淡々とこなしていた。
散々甘やかされて過ごしてきた公爵令嬢となると掃除や洗濯の仕方など、ましてや料理の仕方も知らないことの方が多い。例に漏れずシェリルも甘やかされてきた部類なのだが唯一、料理だけはできた。できたと言っても簡単なものなのだが、それは個人的な趣味だった。
シェリルはお菓子が好きだ。好きなあまりに自身でもお菓子作りを覚えてその派生で料理をシェフに教わったのだ。
掃除や洗濯の仕方はラルフに教わったのだが、彼になんでそんなことも知らないのだといったふうの顔をされたので、慌てて人間のやり方とは違うのかと思ってと誤魔化した。彼はそれに納得したらしく教えてくれたので、ここだけは種族が違って良かったなと安堵したのは言うまでもない。
シーツを干しながらこれが終わったら洗い物をしようと予定を立てていく。すっと背後で立ち上がる気配がして、ラルフが何処かへ行くのだろうと思っていれば声をかけられる。
「どうかされました?」
「町へ出る」
「はぁ……」
「荷物持ちに来い」
そう言ってラルフは家へと戻っていく。突然のことに驚きながらも、荷物持ちも家政婦の仕事かと思い直してシェリルは最後のシーツを干した。
ラルフの家には一頭の馬がいる、黒毛の綺麗な雄馬だ。荷物を乗せるために飼っているらしく、通常よりも少し大きいその馬はラルフとシェリルを余裕で乗せることができた。
彼の後ろに乗るとラルフに「しっかりと捕まっていろ」と指示されたので、シェリルが腰に腕を巻くとそれを確認して馬を走らせた。
それほど遠くないからだろうか、それとも馬だからなのかあっという間に城下へと到着する。ラルフは外套で口元を隠して門を通り、その際に通行書を見せれば何を言われることもなくすんなりと入ることができた。
貸し馬屋へといき、店主に馬を止めさせてもらう。場所料を払えば自前の馬を止めさせてくれるらしい。馬から降りたシェリルはラルフに勝手な行動はしないこと、絶対に離れないことを念押される。
「面倒ごとには巻き込まれたくはないだろ」
「わ、わかりました」
シェリルが気をつけますと頷けば、ラルフはこっちだと歩き出した。見失わないようにその背を追いかける。
彼の案内で市場へとたどり着くとそこは沢山の半獣人で賑わっていた。どこを見渡しても獣耳と尻尾、見た目は人間だというのに獣耳で溢れている。ここが半獣人の国であることをシェリルは実感した。
「人が多い。俺の外套を掴んでおけ、離すな」
「わ、分かりました」
指示された通りにラルフの黒い外套を掴むとそれを確認して彼は市場へと入っていく。最初に向かったのは調味料を売っている店で、手慣れたように彼は注文していく。次に向かったのは麦を売っている店で、顔馴染みなのか店主が話しかけてきた。
「あんちゃん、彼女ができたのかい? 可愛らしい人間じゃないか」
「いや、ただの家政婦だ」
荷物持ちに着いてきてもらっているだけだと告げれば、なんだいとつまらなさそうに店主は粉になっている麦を袋に詰めてラルフに渡した。
麦は彼が持つらしく、それほど買っていない軽めの調味料をシェリルは渡された。あとは何を買うのだろうかと観察するも、ラルフは何も言わずに歩いていく。
「ねぇ、お兄さん。果実、買っていかないかい!」
前を通った果実を売る店の店主にラルフが捕まった。恰幅の良い女店主は「いいのがあるのよ」と林檎を持っているが、それ以外にも店前には多種多様な果実が売っていた。見たことのないようなものまである。
ラルフは考える素振りを見せている。買うのだろうかとを思いながら並ぶ果実を眺めていると隣から言い争う声がした。賑わう声に紛れるように聞こえるそれに耳を傾ける。
「このクソガキ! ぶつかっておいてなんだ、その態度は!」
「ご、ごめんなさい」
どうやら子供が誰かにぶつかってしまったらしい。ちらりと様子を見てみるとまだ幼い少年が厳つい男に何度も頭を下げていた。周囲には買ったばかりの果実が転がっていて、それを拾うこれまた幼い少女がいる。
周囲を見渡すが誰も二人を助けることはなく、それが何だか可哀想になった。せめて拾ってあげようとシェリルは転がる果実に手を伸ばす。
「お嬢さん、はい」
「あ、ありがとうございます……」
幼いウルフス族の少女は驚いたように、けれど感謝を込めて頭を下げて果実を受け取った。手伝ってあげるわとシェリルは散らばる果実を拾っていれば、厳つい男と目が合った。
「なんだ、人間がいるじゃなねぇか」
おいっとシェリルの肩を掴んで立ち上がらせる。突然のことに驚いていると、ウルフス族の男はふーんとシェリルを舐め回すように見つめた。その視線が気持ち悪くて視線を逸らせば男はよしと口角をあげる。
「おい、娘。オレの相手をしろ」
「はぁ?」
「オレは今、機嫌が悪い。クソガキに服を汚されてなぁ」
その鬱憤をお前で晴らさせろとウルフス族の男は笑った。何だそれは、とばっちりにも程があるとシェリルは思ってから、ラルフに言われた言葉を思い出した。「人間は人気でその手の店ならばすぐに雇ってもらえる」と。
(このことか!)
だから狙われたのかと納得した。したはいいけれど、自身はその手の店で働いている訳でも、働く気もない。だから、シェリルは「嫌ですよ」とそれを断った。
「何だと?」
「いえ、どうしてそうなるのか理解ができないのですけれど……」
「口答えできる身か!」
男の声に思わず耳を塞ぐ。確かに自分には抵抗する力はないので口答えできる身ではないのだが、一応は言い分もある。そう思ったのだが、そんな反応は相手を逆上させるだけのようだ。
困ったなと思っているとずいって後ろに引っ張られたので、何だと振り向けばラルフが眉を寄せていた。
「うちの家政婦が何かしたか?」
低く威嚇するような声音にシェリルはびくりと肩を跳ねさせる。ウルフス族の男は一瞬だけ怯むも、ラルフに「何だお前の家政婦か」と笑う。
「その女、良いじゃないか。一日貸せ」
「断る」
即答。呆気に取られるも男はますます不機嫌そうな顔をする。ラルフはシェリルを抱き止めると彼の様子を眺めた。
「何だ、随分と汚れているな」
「このクソガキに汚されたからなぁ!」
苛立ったようにウルフス族の少年を指さす男に、ラルフはふむと考えてから腰のポーチから小袋を取り出すと男へ投げた。
「家政婦を貸し出すことはできないが服代ぐらいは出してやろう」
男は訝しげに投げ渡された小袋の中を覗いて目を見開いた。途端にヘラヘラとしだして「何だ、良い奴じゃないか」と言って、さっさとその場を去っていく。
その態度だけでかなりの額だったのは想像ができた。シェリルはそれを見送ってからはっと我に返ると子供たちに「大丈夫?」と声をかけた。二人はシェリルに謝っている。
「ごめんさない、お姉ちゃん」
「あぁ、良いのよ。気にしてないわ。それより次からは気をつけてね」
少年はうんと頷いてからラルフの方を見るも、彼も「気にするな」と言っていて、申し訳なさげにしながらも「ありがとう」と頭を下げて二人が去っていく。
「シェリル」
「はい……」
少しばかり低い声がしてシェリルはぴしりと背筋を伸ばした。そう、勝手なことをするなと言われていたのだが、それでもやっぱり放っておくことはできなかったのでシェリルは「可哀そうで」と呟く。
「その、拾うぐらいは良いかなーと……」
だから、それぐらいなら大丈夫かなと思ってやったのだと聞いたラルフは目を細めて少しばかり呆れている様子だった。
「それで怪我をしてどうする」
「すみません……」
言われてみればその通りなので何も言い返せないので素直に謝ると、ラルフははぁと息を吐いてもういいとシェリルの頭を撫でた。
「お前がお人好しな性格なのはわかった」
それだけ言ってシェリルの手を取ると歩き始めた。怒っているわけではないようなのだが、今度は勝手なことをしないようにと手を握ることにしたようだ。シェリルは自分のお節介で相手に迷惑をかけてしまったなと反省した。