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第2話 ならば、私はこの国を出ていくことにする


 シェリルはすぐに屋敷へと戻った。なんとかあの男と結婚しないためにも両親は味方につけておこうとしたのだ。玄関から飛び込むように入れば、両親が待っていたぞと言ったふうに立っている。

 婚約破棄の連絡を聞いていたようで父と母は顔を怖くさせて娘を睨んでいた。なんとか無実であることを話そうと口を開こうとして——シェリルは父に頬を叩かれた。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。じんわりと痛む頬に叩かれたのだと理解する、両親には一度も手を上げられたことなどなかった。

 その事にショックを受けながら叩かれた頬を押さえれば二人はますます睨みつけてきた。これは叱るというような甘いものではない、悪人を尋問するかのようは圧がそこにあった。


「お前はなんてことをした!」
「男を雇って襲わせるなんて!」
「そんなことやっていないわ! お父様、お母様!」


 両親ならばきっと信じてくれるとシェリルは私は無実なのだと話した、そんなことはしていないのだと。これは仕組まれたことであって悪役に仕立て上げられただけなのだとシェリルは必死に訴えた。信じてほしいと、娘を信じてと。


「嘘などいらん! 黙れ!」


 けれど、話を聞いてくれさえしなかった。言い訳だ、嘘だ、お前をそんな子に育てた覚えはない、親不孝者。無数の矢のように浴びせられる言葉の数々にシェリルの心は砕け散りそうだった。

 どうして、どうして信じてくれないの、我が子の言葉よりも他人の言葉を信じるの。信じていた両親ですら話を聞いてくれない。娘のやったことだと疑いもしない現実に逃げ場などないのだと悟る。

 さんざんと降り頻る罵詈雑言をただただ、受けるしかない。声を上げようものなら頬を叩かれたけれど、涙は溢れなかった。もう彼らへの信頼など無くなっていたからなのか、現実を受け入れられたからなのかは分からない。けれど、泣くことはしなかった。

 長い説教というの名の尋問から解放されたシェリルは部屋に戻って深い息を吐いた。俯きながら唇を噛み締めて怒りを悲しみを抑え込む。そうやってぎゅっと拳を握ってからシェリルは顔を上げ、その青い瞳は決意の色を滲ませる。


「もう、もう知らないわっ!」


 もうこんな家など知るものか、王子が何だとシェリルは大きな旅行鞄を引っ張り出すと荷物を詰め始めた。

 シェリルはマーカスを愛していた。婚約者になるのだから彼を愛そうと傍にいた。我儘だって言ったことはないというのにその想いを踏み躙られた。彼がそんな人だとは思わなかったけれど、それは事実。ならば、そんな男など知ったことじゃない。

(フィランダーの妻になるぐらいなら、逃げてやる!)

 シェリルは逃亡を決意した。

 娘のことも信じてくれない、話も聞いてくれない両親など知ったことではない。王子がなんだ、マチルダと結婚でもしてしまえ。怒りと悲しみを動力源にクローゼットから持っていけそうな服を片っ端から出しては旅行鞄に詰め込む。

 持っていけるお金と宝石、着替えなどを詰め終えるとシェリルは服を脱いだ。なるべく控えめで大人しい服へと着替えると深緑のローブに身を包む。姿見に映る姿はとてもじゃないが公爵令嬢には見えなかった。

 夜も更けた頃に裏口から出よう。そこから見つからないように城下町へと下りて朝一の馬車に乗り込む。隣国まで逃げ切ればそう簡単には見つからないはずだ。

 そう計画を立ててシェリルは一番近い国は何処だろうかと本棚に仕舞い込んだ地図を取り出した。エイルーン国から一番近いのは隣国のフルムル国だ。

 狼の半獣人であるウルフス族が治める国であり、人間は少ないと聞いたことがある。この国ならば、こんな場所に人間が逃げたとは思わないのではないだろうかとシェリルは考えた。

 持ちうるお金と宝石を考えるとあまり移動にお金は使いたくはない。ならば、一番近いこの国が逃亡先に良いかもしれない。箱入り娘同然の公爵令嬢が人間のほとんどいない半獣人の国に逃げるなど思わないだろう、そう思いたいとシェリルは逃亡先をこの国に決めた。

          *

 早朝、まだ朝日が昇ったばかりの空の元、シェリルは馬車を待つ列に並んでいた。予定通りに夜中に屋敷を抜け出して、城下町まで無事に降りることができたのだ。できるだけ怪しい動きはせずに待ち人に紛れる。

 朝だけれど馬車待ちをする人はそれなりにいた。身分がバレないかと緊張しながらもローブで顔を隠したていたが、ローブを羽織っているのはシェリルだけではなかった。数人、同じような服装の人間がいたので目立つことはなかった。

 それから暫くして何台かやってきた馬車の一つにシェリルはフルムルの方へ行く方法を尋ねる。手綱をひいていた男はあそこまで行くのかいと驚いたふうに返してきた。


「フルムル国へ行きたいなら、乗り継がないと無理だ。うちはアルスラまで行くからナルムへ行く馬車に乗り換えるといい」


 そこからは行く先を聞きながらだなと男に教えられたシェリルは礼を言いながら頭を下げて馬車へと乗り込んだ。

 馬車は客を乗せてゆっくりと走り出す。見慣れた城下の町を下って行き、そのまま何事もなく門をくぐり抜けていった。王都が見えなくなったのを確認してシェリルはほっと息をつく。止められたりしたらどうしようかという不安があったが問題なかったようだ。

(教えられた通りにこのまま馬車を乗り継いで隣国まで行こう)

 隣国フルムル。ウルフス族という狼の耳と尻尾を持つ半獣人族が住まう国だと聞く。獣人と違って人間の姿に獣の耳と尻尾がついただけの存在、それならば人間とさして変わらないだろう。そうレイチェルは楽観的に考える。少ないとはいえ、フルムル国には人間もいると聞いたからだ。

(フルムル国の王都まで行けば働き口があるかもしれない)

 そう簡単には見つからないかもしれないがそこを目指すしかなかった。

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