25 弱虫だったらよかったのに
「な、何これ……!?」
その光は、眩しいけれど不快ではなかった。恐怖もない。
それに何だか温かい気がして、力がみなぎってくるような感じすらする。
戸惑いはあるものの、何か対処できるわけでもなく、私はしばらくじっとしていた。
すると、それはやがて収まった。
「あー、なるほど。イリメルさん、怒りで|箍《たが》が外れてて、魔力が垂れ流しになってたんだね。もともと、魔力をチャージしておける装備を着ていなかったし。それで、スイーラくんは本格覚醒しちゃったんだ」
呆然と立ち尽くす私のそばまでやってきて、しげしげ見たあとアヒムが言った。
「魔力……本格覚醒……?」
私が魔力を垂れ流してしまっているというのは、装備屋さんに指摘されてすでに知っていることではあった。
でも、その垂れ流された魔力によってスイーラが覚醒したというのは理解できない。
目の前のスイーラは、毛並みが輝いていて、先ほどとはまた様子が違うようだ。
というより、拾ったときとは別の生き物になってしまったみたいに見える。
それは、まさに竜だ。
大昔に絶滅したといわれる、伝説の生き物。
「イリメル……その、ごめんな。本当にごめん。お前が可愛がってるペット、勝手におっきくして。母さんには、人のペットにおやつあげすぎるなって言っとくからな。俺がもっとちゃんと見とくんだった……」
事態が呑み込めていないフランツだけが、的はずれな謝罪と反省をしていた。
でも、もはやそんな話ではない。訳がわからないなりに、それだけはわかった。
「えーっと、今たぶんこの場に、僕以外に事態が飲み込めている人はいないみたいなんで、解説します」
アヒムがそう言って、スッと挙手して前に進み出た。
それには当然誰も異論はなく、少しでも何か知りたいと前のめりになる。
「かつてある国に、こんな伝説がありました。『世の中が乱れるとき、聖なる竜と聖女が現れる。聖女、英雄を伴い、乱れのもとを断つべく、聖なる竜の背に乗る。そうすれば、どんな敵をも打ち倒すことができる』という。本当はもっとかっちょいい文言ですが、現代語に訳すとこんな感じ。おそらく、この国の教会もこの伝説と同じものを信じているのだと思われます」
アヒムは説明しながら、聖なる竜のところでスイーラを、聖女のところで私を指差した。
「それってつまり、イリメルが聖女でスイーラは聖なる竜ってこと?」
私がアヒムの言葉を理解するより先に、ミアが興奮した様子で言った。
すると、それにより完全に理解できたらしく、フランツが「よっしゃー!」という紳士らしくない叫び声をあげた。
「うちの妹が聖女! ざまぁみろ、クソッタレ公爵家め! うちが正義だ! バンザーイ!!」
フランツは、大喜びだ。どうやら、私が婚約破棄されたのをよほど腹に据えねていたらしい。
これまで、そんなことは微塵も感じさせなかった。きっと、どれだけ失礼なことをされても格上の家を相手に遠慮があったのだろう。
喜ぶフランツ。訳知り顔のアヒム。何だかわくわくしている様子のミア。
ディータは、私とスイーラを交互に見つめて、まだ呆然としていた。彼だけは、何か別のことを考えているのだろう。
それでも、私は時間が経つうちに覚悟が決まってきた。
今、邪竜とやらが目覚めたことにより世界に異変が起きている。
その異変を収めるには、聖なる竜と聖女が英雄を連れて邪竜を打ち倒しにいかなければならない。
そしてどうやら、その聖なる竜とやらは私とディータが拾って育てたスイーラのことで、聖女とは私のことらしい。
――これが、今わかっていることだ。
どのみち邪竜は倒しに行くつもりだったけれど、どうやらその意思はなくてもそう宿命づけられていたみたいだ。
そのせいなのか、私はさっきよりもさらに、やれそうな気がしていた。
明日の朝さっそく出発するということで話はついたから、フランツはそのことを知らせに王都で待つ両親のもとへ戻っていった。
私はどうしても用意してほしいものがあったから、絶対に手に入れてきてとフランツに頼んで送り出した。
屋敷の使用人たちが、祝勝前祝いだと張り切ってご馳走を用意してくれた。それを食べ、大いに盛り上がり、私たちは英気を養った。
実際のところ、どうなるのかはわからない。でも、たまたま拾った生き物が伝説の聖なる竜だったという幸運に恵まれているから、その運に乗ってやり遂げられるのではないかという気がしていた。
ディータを除いては。
「……ディータさん、気分が悪いんですか?」
宴会の席でも浮かない顔をしていたのが気になって見守っていると、ディータはふらりと庭へ出ていってしまった。
それを追いかけて声をかけたのだけれど、それが正解だったかはわからない。
もしかしたらひとりで答えをだしたいことがあったかもしれないのにと、振り返る彼の顔を見て気がついた。
彼の顔に浮かんでいるのは、困惑と憂いだ。たぶん、迷いもある。
これまでずっと世間知らずの私を引っ張って進んできてくれた彼のそんな表情に、私はドキリとした。
「イリメル、本当に行くのか?」
何度も口を開きかけ、そして何度もやめようとし、その逡巡のあとにようやくディータはそう尋ねてきた。
たったそれだけのことをそんなふうに迷って口にしたのだ。きっと、彼なりに知りたい気持ちと聞いてはいけないという葛藤があったのだろう。
それがわかるから、私も何と答えたらいいか迷った。
「私は……行こうと思います」
ディータへの返答は迷っても、邪竜を倒しにいくという気持ち自体は揺るがない。
でも、それを聞いてなぜかディータは傷ついたような顔をした。
思えば屋敷に帰ってきてからずっと、彼は傷ついたような顔をしている。
「誰か他の人がきみの願いを叶えると言ったら? それでも、危険を冒す?」
「願いとは、邪竜を倒したいということですか?」
「そうだ」
この問いに答えたら、ディータの中で何かが変わるのだろうか。
彼が私を心配してくれているのはわかる。でも、それだけではないのも、察することはできていた。
それでも、私は正直に答えることにした。
「どこまでできるかは、わかりません。でも、やってみたいと思うんです。やれるだけのことは。どうやら伝説の聖女? なるものに選ばれたみたいなので」
あまり重くなりすぎないように答えると、なぜだかディータはどこかが痛むみたいな顔をした。
これは、きっと彼がほしい答えではなかったのだ。でも、嘘を吐くのも違うはずだ。
「選ばれた者は、生き方まで強制されるのか……」
「少なくとも他の人にできないのなら、その人がやるべきなんでしょうね。でも私は、仕方なくとかではなく、やらなければと思う心も含めて選ばれたと思いたいので」
私はあくまで前向きな気持ちでいるのだと伝えたくて、精いっぱい言葉を紡いだ。
恐怖や不安がないわけではない。それでも、立ち向かいたいと思うのだ。
婚約破棄のあと、家を飛び出したのも含めて、自分で選択したことだから。
これまでずっと、周りがよかれと思って選んだことに逆らわず生きてきた私が、自分で選んだ道だから。
両親に対して、ディータは言ってくれた。私が思うままに生きるための、その支えを自分が引き受けると。
だから、彼には私が選択したことを過度に心配してほしくない。
「……イリメルは、本当に強いな。きみがもっと弱虫だったらよかったのに」
「え……」
ディータは泣くのを堪えるみたいなくしゃくしゃの顔をしてから、すれ違いざまに私の頭を撫でた。
それから「おやすみ」と言って、去っていってしまった。
本当なら、追いかけてその言葉の真意を尋ねるべきだったのだろう。
どういうことなのか、彼が何を抱えているのか、口を割ってもらうべきだったのだろう。
それでも、私はできなかった。
彼が半ばあきらめに聞こえる言葉を口にしたとき、気づいてしまったから。
私は、彼のことが好きなのだと。
そしてその好きな人に、拒絶されてしまったのだと。
私はまた、〝きみは強いから〟という言葉で、好きな人に拒絶されたのだ。少なくとも、私にはそう聞こえた。
そのあと、どうやって部屋へ行って眠ったのかわからない。ミアやアヒムたちがいつまで宴会を楽しんでいたのかも。
でも、わからないうちに眠りについて、朝が来ていた。
そして、目覚めたら屋敷からディータがいなくなっていた。