20 シュティール家へ
「あんたの実家のことだけどさ、手紙もいいけど、一回顔を出しとくのもいいんじゃない?」
これからのことを考えて私が何も言えずにいると、ミアが軽い調子で言った。
「今後も仲良くできるのか、それともこれっきりになるのかはわかんないけど、あんたが現状、冒険者生活を続けたいと思ってるなら、それを話しておくのもいいと思う。中途半端というか、宙ぶらりんなのはよくないでしょ」
「まあ……それはそうよね」
両親たちが私を探している理由はわからない。でも、わからないのならまずは確認するべきなのかもしれない。その上で、彼らが私の嫌がることをするのなら、距離を置くなり縁を切るなりするのも、致し方ない。
それに、ディータとこれからも一緒に冒険したいのなら、彼に様々なことを打ち明けておくべきなのかもしれない。それをしないでもし彼に迷惑をかけてしまったら、申し訳ないから。
「家を飛び出したとき、あまり冷静ではなかったから……一度、自分の気持ちや考えを伝えるために戻ったほうがいい気がしてきたわ」
「でしょ。あたしの記憶にある限り、あんたって別に家族と不仲ってわけじゃなかったし。それで、もし戻って元婚約者と和解しろ許してやれなんて言われたら、そのときブチ切れてやればいいわけだし」
ミアが「ブチ切れ方わかんないなら教えてあげる」と言うから、心強かった。どんなふうに怒ればいいのかわからないけれど、嫌だという気持ちは伝えようと思う。
今さらエーリクとどうにかなりたいわけではないものの、あのとき怒りを、自分の気持ちを表明しなかったことには後悔している。
あのときはそれが侯爵令嬢としての自分の矜持だと信じていたけれど、今では違うとわかっている。あれ以上傷つきたくなくて、逃げ出しただけだ。そのことが、ずっとひっかかりになってしまっている。
「じゃあ、ティーダさんたちにも話さなくちゃね……」
「大丈夫だと思うよ。それに、受け止めてくれないやつなら、今後一緒に冒険なんかできないよ」
ミアに励まされ、私はティーダさんたちの待つ場所へ戻った。
二人と一匹で大丈夫なのかと心配していたのだけれど、特に何も問題はなかったようだ。
「おかえり」
「ただいま戻りました。あの……お話があるんです」
戻って早々私がそう口を開くと、ティーダもアヒムも、わかっていたという顔をした。もしかしたら、不在の間二人で何か話したのかもしれない。
「実は私、侯爵家の人間なんです。『きみは強いからひとりでも平気だよね』と婚約破棄されたので、己の強さを知りたくて、家を飛び出して今に至ります……」
先ほどミアに同じ説明をしたばかりだから、自分が言っていることが変なのは十分わかっている。
普通は、「きみは強いから」と言われたところで、己の強さを試したりしないのだ。それは、今はもうわかっている。
やはりおかしいことを言ったからか、アヒムは笑っていた。「そういうことする女性、好き」と肯定はしてくれたけれど、笑っている。
ディータは、いつもの穏やかな顔をしていた。
「何となく、そうじゃないかなと思ってたよ」
そう言って、彼は微笑んだ。
その言葉に、その笑顔に、私はただ救われた。
もしかしたら、ひどく驚かれるかもしれない。嫌われて拒絶されるかもしれない。そんな不安があったから、受け止めてくれたディータに感謝した。
「ごめんなさい。今まで、騙しているみたいになってしまって……」
「騙したわけじゃないだろ。俺が聞かなかったし、イリメルも言わなかった。ただ、それだけ。で、わざわざ打ち明けたってことは、何か他にも話したいことがあるんだろ?」
ディータは私の素性を受け止めてくれただけでなく、察しまでよかった。
だから私は、これから一旦実家に帰ることや、もしかしたら逃げ出さなくてはならなくなるかもしれないことについて、かいつまんで話した。
それから私たちは、王都まで移動してそこで宿を取った。
都会にスイーラを連れて行く不安はあったものの、最近は温厚なモンスターを飼うのが富裕層の間で少しずつ流行っているそうで、宿側も心得ているらしく当然のように泊めることができた。
私は手頃な店でドレスを用意して、せめて訪問に耐え得る格好に着替えた。冒険者をやりたいと話すにしても、いきなりあの格好は見せられないと思ったのだ。
着替えて髪を整えたら、鏡の中には久しぶりに令嬢の姿をした自分がいた。それを確認して、これからやろうとしていることはうまく行く気がした。
大丈夫。私はちゃんと家族を説得できる。
みんなにはここで待機してもらって、実家の家族がいる屋敷にはひとりで行くつもりだった。
でも、いざ出発という段になって、ディータに引き留められた。
「誰かついてこなくていいのか?」
彼は、心配そうに私を見ていた。
「ご両親相手に、ちゃんと自分の気持ちや考えを話せるのか? 何となく、イリメルは自分の意思より周りがうまくいくことを我慢して選びそうで……それが心配なんだよ」
「ディータさん……」
彼が何を心配してくれているのかわかった。私が、両親に強く何かを言われたら、自分の意思を曲げてそれを呑んでしまうのではないかと危惧しているのだ。
「俺は、イリメルが自分の意志を貫く手伝いがしてやりたいと思ってずっとそばにいる。誰かが〝仕方がない〟って言葉で不自由を強いられたり、何かを奪われたりするのは、嫌だなって思うんだ」
これまで誰も、こんなことを言ってはくれなかった。
何かを与えられるのも、押し付けられるのも、奪われるのも、すべて〝仕方がない〟で済ませてしまっていた。周りも、自分も。
「ついてきてもらっていいですか? いざとなったら、連れて逃げてもらうために」
「もちろん」
というわけで、私はディータについてきてもらってシュティール家の屋敷へ向かった。街で辻馬車を見つけて乗ったから、そこからは早かった。
およそ半年ぶりに帰る我が家。
緊張はしたものの、玄関で取り次いでくれた従僕も、駆けつけた執事も、メイドたちも、みんな私の帰りを喜んでくれた。
それに、走って玄関までやってきてくれた両親の姿を見たら、不安は飛んでいった。
「イリメル……ああ、よかった。帰ってきてくれた」
「アルタウス公爵家のクソガキより先にお前を見つけて保護しなければと、心配で心配でたまらなかったんだぞ……」
母は泣き、父も心底ほっとした様子だった。それに、その言葉を聞けばいろいろ考えたことが杞憂だったとわかる。ミアの勧めに従って、会いに来てよかった。
「イリメル、そちらの方は?」
再会の抱擁を交して落ち着きを取り戻してから、父がディータを見た。
私は彼がどう振る舞うのか少し心配だったけれど、彼は流れるような動作で美しく礼をした。
「イリメル嬢の護衛をしておりました。ディータと申します」
「おお、そうか。きみが護衛を……よく無事に守り抜いてくれた」
父がディータへの警戒を解いたことで、私たちは応接室へと通された。
そこで私は、知り合いからエーリクや実家が自分のことを探していると聞いて帰ってきたことを話した。そして、この半年間冒険者として生活していたことも、驚かせない程度に話した。
「なるほどな。その情報をお前にもたらしてくれた人にも感謝しないとな。私は、あの公爵家のクソガキもその恋人のアバズレも許す気はないからな」
「あなた、言葉遣いが……」
「自分たちの評判が悪くなったからと、うちのイリメルにどうにかしてもらおうと思っているようなやつらだぞ? うちの娘を傷つけた上に、自分たちのしでかしたことの尻拭いをさせようだなんて、言語道断だろう?」
どうやら彼らからシュティール家にあった申し出とやらはひどいものだったようで、父は詳しく語らないものの怒っていた。大体の想像はつくから、私も特に尋ねようとは思わない。知ったところで協力する気はないし、聞いて気分のいいものでないのはわかっているから。
「私がもっとしっかりと抗議してお前を守ってやれていたらと思うと、あの夜会のことが悔やまれるよ。あまりにやつらが非常識で、あまりにお前が可哀想で、私は怒るより先にショックで気絶してしまった。すまなかったな」
父は、あの夜会のことを本当に悔やんでいるようだ。でも、あのとき父が気絶してくれていたから、自分でしっかりしなくてはと思えて私は泣かずに立っていられたのだ。
「お父様、もういいの。私、家を飛び出してからの生活も気に入っているから。ディータさんがよくしてくれて、何も困ったことはなかったし」
「そうか。いい顔になったものな。ディータさん、ありがとう」
近況を報告して、わだかまりを解いて、これで訪問の目的を果たしたと思っていた。
だから、暇を告げてミアたちが待つ宿に帰ろうと席を立つと、父が慌てて呼び止めた。
「イリメル、どこに行くというのだ。お前はもう、逃げる必要はないんだぞ?」
「え?」
「婚約破棄されたのが恥ずかしくて、それで逃げ出したんだろう? でも、これからは私たちがちゃんと保護してやるから堂々としていたらいい。何も心配することはないんだ」
わかりあえたと思えたのに、決定的に齟齬があることがわかった。
そして、私はもう自分が貴族の令嬢に戻れないのだということも、自分の中に湧き上がる違和感によって判明してしまった。