18 忘れていたもの
「ちょっと、イリメル! どうしたっていうの?」
「えっと……実家の話は、ディータさん……同行者の前では言わないでほしくて」
「ああ、なるほどね」
察しのいいミアは、私がそれだけ言うとわかってくれたようだ。
「あたしが仕入れた情報だと、イリメルは去年の夜会で婚約破棄されたんでしょ? そっから、こうして冒険者してんのはなんで?」
状況を整理しておこうと思ったのか、ミアがそう尋ねてきた。私も、彼女から実家についての情報を聞く前に共有が必要だと感じていた。
「『きみは強いからひとりでも平気だよね?』と婚約破棄されたから……強さってなんだろうって考えて、自分の力を知るために家を飛び出したの」
「いや、浮気して他の女に乗り越えた野郎の言う『きみは強いから』って、別にそういう意味じゃないから」
「そうよね。でも、それがわからなくて、しばらく教会に頼まれたモンスター退治をして過ごしてたの。そのとき、すごく強いモンスターに遭遇したところを助けてもらって、ディータさんにお世話になってるの」
「なるほど。でも、何でその親切な彼に身元を明かせないわけ?」
そう正面切って聞かれると、なぜなのだろうと考えてしまった。
最初の理由は単純だ。ローブが破損して太ももがあらわになってしまっていて、そんな恥ずかしいところを見られたから、絶対に令嬢だなんて知られてはならないと思ったからである。
でも、それだけならいつかのタイミングで伝えることもできたはずだ。その機会が訪れないまま今に至っているのは、彼が聞いてこないというのも大きい。
「恥ずかしかったから言えなかったというのもあるけれど、侯爵令嬢ではなく、ただのイリメルとして生きてみたかったの」
打ち明けたら、彼は私への態度を変えるだろうか。きっと、変わらず親切にはしてくれると思う。でも、何となく遠慮が生まれてしまうに違いない。
それは、侯爵令嬢として生きてきた人生でたくさん感じてきたことだ。
親切な人も、優しい人も、すべて私を侯爵家の人間というフィルターを通して接しているから。
何も持たない私個人として親切にされた経験は、そう多くない。その貴重な相手がディータと、ここにいるミアだ。
「ま、理由はわかったから、さっき乱暴に口を塞いだことについては許してあげる」
「ごめんなさい。ありがとう」
「――で、本題ね。シュティール家の人間、つまりはご両親たちがあんたを探してるわ」
「え?」
ミアにさっきの非礼を許してもらってほっとしたのもつかの間、もたらされた情報に驚く。
でも、ミアは驚いた私を見て呆れていた。
「いや、当然でしょ? だってあんた、半年以上家に連絡してないんじゃない? そりゃ心配して探すでしょうが」
「あ、そうよね……でも、『教会にいます』って言ってきたから、平気かと思って」
その教会にも何ヶ月も帰ってなかったけれど、と思って、私は少し反省した。
「イリメルって、楚々としたお嬢様に見えるけど実際は猪突猛進で、これだ!って思うと周りを見ずに突っ走る傾向があるよね。前から思ってたけど、今ので確信した」
「……すみません」
「普通の令嬢はね、『きみは強いから』って振られてもモンスター退治にいかないし、半年間も実家への連絡を怠ったりしないものよ」
「……はい」
ミアの指摘は真っ当で正論で、返す言葉もなかった。
この半年、がむしゃらにやってきたというのもあるけれど、自由が楽しすぎて様々なことが見えなくなっていたのだ。そのことに、ようやく気づかされた。
「それで、もうひとつもっときな臭い情報なんだけど、あんたをふったエーリクとその恋人のレーナも、あんたを探してるみたい」
「なぜ?」
思い出したくもない名前を出され、即座に肌が粟立った。二度と関わり合いにならないし、その機会もないと思っていた。
「あの二人、今じゃ社交界の嫌われ者なのよ。いくら公爵家の跡取りとはいえ平民の女と恋に落ちたからって、子供のときから婚約している令嬢を公衆の面前で婚約破棄するなんて、反感買うに決まってるでしょ。あんた自身に敵があまりいなかったのも、同情を買うのに役立ってて、あの二人は可哀想なイリメル嬢をいじめた悪者になってるってわけ」
「……はぁ」
他人事として聞けば、当然の流れに思える。私もきっとその令嬢に同情し、憎みこそしないものの渦中の二人を嫌いにはなるだろう。
でも、自分のこととして聞くと何となくピンとこない。
「それでもしかして、少しでも自分たちの立場回復のために私と和解したくて、それで探してるっていう話なの?」
「ご明察。それでおそらく、シュティール家もあんたを探さなくてはならなくなったのでしょうね。だって、和解を受けるも受けないも、あんたにしか決められないから」
ミアからもたらされたふたつの情報がひとつに繋がり、ひどく嫌な気分になっていた。
家を飛び出してしまったのは確かによくなかったかもしれないけれど、連れ戻されるいわれはない。
ましてや、私を傷つけた人たちが世間の評判を回復するための和解をするのを目的に連れ戻されるなんて、どうあっても受け入れるわけにはいかない。
「私、生まれてからずっといいこだったの。みんなの言うことをよく聞いて、周りが勧めることは良いことだと信じて従って……エーリク様との縁談だってそうだった」
侯爵令嬢としての人生を思い出して、溜め息が出てしまった。
貴族の娘に生まれた以上、家の利益にならなければいけない。結婚は、おそらく貴族の娘が最も家に貢献できる出来事だ。
それがわかっていたから、あの夜会で婚約破棄されるまでずっと耐えたのだ。婚約破棄さえされなければ今もきっと耐えていただろう。
でも、我慢なんて何にもならないと知ってしまったら、そんなものに価値はないとわかってしまったら、続けられるわけがないのだ。
それもあって、家を出た。
私にどんな価値があるのか、何ができるのか、確かめたかったから。
そしてそれは、まだ道半ばだ。
そんなときに連れ戻されてなるものかという、明確な反発心が私の中で生まれていた。
「イリメルの気持ち、あたしはわかってあげられるよ。あたしがつい最近までかかってぶっ潰してきたものも、結局のところイリメルが抱えてるものと一緒」
「ミアさん……」
彼女もお家再興のために親戚連中から駆り出されそうになっていたというのだから、私と同じなのだ。
貴族の娘に生まれた以上、つきまとう嫌なもの。
そこから解放されたいという気持ちを彼女が理解してくれているというのは、間違いなく本当だろう。
「でもさ、イリメルの実家の狙いはまだ正直わかんないでしょ。もしかしたら、馬鹿な元婚約者たちに捕まる前に自分たちで保護したいって考えてるだけかもしれないし」
「それは、そうね。……父も母も兄も、みんな優しかったし」
ミアの言葉で少し冷静になったけれど、よく考えれば家族仲は悪くなかったのだ。
貴族の家に生まれたという足枷はあるものの、家族が私に理不尽な振る舞いをしたことはない。
でも、公爵家のエーリクが関わっている以上、油断はできないけれど。彼らの圧力に私の家族が屈していないとはいえない。そのくらい、貴族の家柄による力関係は絶対なのだ。
「姿見せたくないのはわかるけど、とりあえず安否を知らせる手紙くらい出したら? 何なら、あたしが届けてあげるし。教会関係者から届けたってすれば、それ以上の居場所を探れないでしょ。教会に行ったってイリメルはいないわけだし」
「そうね。それなら、お願いするわ」
とりあえず実家が私を探しているという問題解決のために、ミアのご厚意に甘えることにする。手紙を出しさえすれば、家族が私を心配で探している場合は、ひとまず落ち着くだろう。
「それはいいとして、イリメルは今後どうしたいの?」
「え?」
不意に尋ねられ、私は返答に困った。
今後というのは、これからのことだ。今日明日のことではないだろう。
「今は家を出て冒険者してたいっていうのは、わかるのよ。でも、続けるにしてもやめるにしても、明確なビジョンは必要でしょ? そこのところ、ちゃんと考えないと」
「そうよね。これからのこと……」
明確なビジョンとやらは浮かばなかったけれど、なぜだかディータの顔が頭をよぎった。
冒険者を続けるのかやめるのか、それはわからない。でも、これからも彼とは一緒にいたいと思ってしまった。