17 再会の主従
横っ面にきれいに飛び蹴りを食らって、アヒムは恍惚の表情を浮かべて地面に伏していた。
それを、絶対零度の視線で見下ろすひとりの少女。
その少女に見覚えがあってハッとしたけれど、私が口を開くより先に二人の応酬が始まってしまった。
「アヒム! お前は何だっておとなしくできないわけ? 何でまた魔石をこんな無駄遣いしてるのかって聞いてるのよこのドM!」
「ひぃっ! ご主人様! そんなに怒って! もっと踏んで♡」
「うるさい! あたしは、何でこんなことしたのかって聞いてるのよ?」
「あ、痛い♡」
少女がどんなに怒っても、踏みつけても、アヒムは歓喜に溢れた声をあげるだけだ。
ディータは呆然としているし、スイーラは怯えて小さく鳴き声をあげるほどだ。
このまま目の前の二人のやりとりを見守っているだけでは、きっと埒があかないだろう。
それに、私は少女のほうと知り合いだから、声をかけて話がしたかった。
「あの、ミアさん……久しぶり!」
主従の激しい邂逅にどう口を挟んだらいいかわからなくて、私はとりあえずそう言ってみた。
そしてそれはどうやら運良く少女の耳に届いたらしく、彼女はアヒムを足蹴にするのを止め、私のほうを見た。
「え、あ! イリメル! やだ……久しぶり! あんた、冒険者になってたの?」
「そう、いろいろあって」
「あんた、何かあったら教会を頼るだろうと思ったのに、冒険者になったんだ。でも、そっちのほうが儲かるでしょ」
「うん。教会、無償だし。でも、ミアさんがいろいろ教えてくれてたから、それが役に立ったの」
ミアは、私が教会に通って魔法を教わっていたときにいろいろ教えてくれた子だ。
私より年下なのにしっかりしていて逞しくて、食べられる草の見分け方や魚の捕り方、火のおこし方なんかを教えてくれた。彼女のおかげで、教会から頼まれたモンスターを倒して暮らす最中、野営をするのも食べ物を調達するのも、さほど苦労しなかったのだ。
「教会に行ったらミアさんにまた会えるかなって思ってたんだけど、ちょうど入れ違いになってたのね」
「まあね。あたしもいろいろ飛び回ってるし。今回も野暮用があって教会を離れてたし、野暮用すぎてこいつを連れていけなかったんだけど」
ミアが「こいつ」と言ってまた冷ややかな視線を向けると、アヒムはまた嬉しそうな顔をした。冗談でもネタでもなく、本当にミアは彼のご主人様のようだ。
「アヒムさんのご主人様って、ミアさんだったんだね……」
「こいつがつきまとって勝手にそう呼んでるだけ。で、イリメルこそ、こいつとどこで知り合ったの?」
「えっと……ゴブリンの村に捕まってるところを助けたというか。あ、ゴブリンが悪いわけじゃなくて、アヒムさんが趣味で捕まってたんだけど」
「……なるほど。で、ついてこられちゃったってわけね」
趣味で捕まっていたと言うだけで説明が事足りるくらいには、ミアはアヒムのことをわかっているらしい。
「アヒムさんを置いていったのは、魔石を爆発させたことを怒っていたからじゃなかったのね。何で怒られたことをまたやって誘き出そうとしたのかはわからないけど、とにかく再会できてよかった」
「ごめんね、迷惑かけちゃって。お家騒動のゴタゴタだったから、連れて行くわけにはいかなかったの」
ミアはアヒムとディータをちらりと見て、それから悩んでいる様子だった。私も、彼女の口にした〝お家騒動〟という言葉が気になった。
「迷惑かけてしまったし、こいつがこんな勝手な行動を取った以上、話さないわけにはいかないわね。あたし、別にこいつが魔石を無駄にしたから怒って置いていったわけじゃなくて、タイミング悪く教会に知らせが入っただけだったの。親戚が、あたしをとっ捕まえて金持ちと結婚させて家を再興しようとしてるって。あたし、没落した貴族家の出身なの」
「え……そうだったの」
「うん。といっても、うんと小さいときに家がだめになって教会に預けられたから、貴族らしい意識なんてなくて、親戚とか知り合いだっていうたまに寄ってくる連中も迷惑でしかなかったんだけど」
あまりにさらっとミアが言うものだから受止めるしかなかったけれど、私はただ驚いていた。
私と出会ったときには、彼女はすっかり教会所属の立派な格闘家だった。彼女は拳ひとつでモンスターを倒すことで有名で、かよわき者たちが身を寄せ合って暮らしている教会ではとても頼りにされていた。
そんな彼女が自分と同じ貴族で、しかも没落していたなんて、これまで全く知らなかった。知るとさらに、彼女への尊敬の気持ちが増す。
「そんなに深刻に受け止めないで。あたしにとってはどうでもいい話なんだから。で、今回ばかりは親戚連中が本当にしつこくて、もう鬱陶しかったから、いい機会だと思ってぶっ潰してきたのよ」
「確かに勝手に結婚させられるのは困るけど……お家の再興はよかったの?」
「そんなの、絶対にさせない。だって、うちは親も一族も親戚も、みんな悪い貴族だったから。持つべき者の義務を果たさず、領民を重税で苦しめて養わないで私服を肥やして怠惰な生活してる貴族なんて、潰えてしまえばいいの。それを今回なしてきたのよ」
私は勝手にいろいろ思って言いたくなってしまったけれど、それを一旦呑み込んだ。
彼女には彼女の事情があって、乗り越えて生きている。彼女と違って安泰な家で育ってぬくぬくとしてきた私が、それに対して何かを言うのは、たとえ心配の気持ちからであってもお門違いだ。
「でも、ひと暴れするのならなおさら、アヒムさんを連れて行ったほうがよかったんじゃない? ミアさんが強いのはわかっているけれど、ひとりでは大変だったでしょう?」
親戚をぶっ潰すというのが一体どんなことなのかはわからないけれど、並大抵のことでないのは想像できた。
でも、ミアにとってアヒムを連れていくという選択肢はとことんなかったらしい。彼女は難しい顔をして、首を振った。
「いやいや。絶対ありえない。こいつを連れて行ったら無関係な人たちまで被害がいきかねないもん。こいつ、すごい荒くれ者なんだから」
「え」
ミアの言葉が信じられなくてアヒムを見ると、彼はミアに顔を踏まれてご機嫌な顔をしていた。やっぱり、荒くれ者という単語はピンとこない。
「こいつ、A級冒険者よ? なんでそんなのがあたしとつるんでると思う? こいつ、かなり強いパーティーにいたのに、仲間を全員ぶっ飛ばしてクビになったの。で、たまたま弱ってたところをあたしが見つけてちょっと親切にしたらついてきちゃって、今に至るわけ」
「え……ぶっ飛ばした……なるほど」
変態ではあるものの温厚に見えるアヒムが仲間をぶっ飛ばしたというのがにわかには信じられなかったのだけれど、私は突っ込むのはやめておいた。
|ミア《ご主人様》を誘き出すために彼女が怒ることをわざわざしてみせたという変態ぶりだ。仲間を殴ったのもそれと同じ理由だとしたら、深くは聞きたくない。聞いたところで、私には何も理解できないのだから。
ディータなんて話についていけなくて、さっきからスイーラの魔石の欠片集めを手伝っている。彼はどうにもアヒムを苦手としているから、話を聞くのを気持ちが拒否しているのかもしれない。
「何はともあれ、再会できてよかったですね」
「てか、あんたは何で〝待て〟ができないの? あたし、教会で待ってなさいって言ったよね?」
私が話をまとめようとすると、ミアはアヒムに怒りたりなかったらしく、ゲシゲシと蹴飛ばしながら尋ねていた。すると、アヒムはだらしのない笑みを浮かべつつも口を開く。
「……捨てられたかと思ったんだ」
その言葉に、ミアの蹴りが止まる。
「でも、やっぱり諦められなくてどうせならめちゃくちゃ怒られることをしようって思ったらご主人様が会いに来てくれたから、僕は今最高に幸せさ!」
「馬鹿が! 魔石無駄にしてんじゃないわよ!」
しんみりしかけたのもつかの間、すぐにまた変なことを言うから、ミアは容赦なくアヒムを蹴っ飛ばす。
それを見て、私は納得した。
ミアは親切だから、この変態さと繊細さを危ういバランスで内包しているこの人を放っておけないのだと。そして、アヒムもそんな彼女だからご主人様と慕うのだと。
「最初はびっくりしましたけど、いい関係みたいですね」
「……そうか?」
ディータに同意を求めて見たけれど、彼はまだ目の前の苛烈な主従関係についていけていない様子だ。
「そういえば、王都に帰ったときにシュティール家に関する話も耳にしたんだったわ」
しばらくアヒムを足蹴にするのに忙しくしていたミアが、思い出したように私のほうを見た。
飛び出した単語を聞いて、私は慌ててその口を塞ぎにかかる。
「シュティール家、あなたのごりょ……むぐ」
「ミア、その話だったらちょっとこちらへ来て聞かせてちょうだい」
ティーダに自分の素性を知られるのが嫌で、私は急いでミアを離れたところまで引っ張っていったのだった。