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42、雪の城

 アリツィアとカミルが扉の向こうへ消えていき、続き部屋のこちら側には、ミロスワフとラウラの二人が残された。仕切り程度の薄い扉を見て、ミロスワフは思う。あんなもの、破ろうと思えばすぐにでも破れる、と。
 でも、行動には移さない。
 カミルを信用しようとしているアリツィアのために。
 本当に、お人好しなのだ、我が婚約者は。辛い目にあったことがない訳じゃないのに。
 
「……なんなの、一体」

 ソファに深く腰かけていたラウラが誰ともになく、呟いた。不機嫌さが眉間の皺となって現れている。

「カミル様にせよ、ミロスワフ様にせよ、なんでみんな、わたくしよりあの女を優先するわけ?」

 そりゃそうだ、とミロスワフは思う。
 男というものは、簡単に手に入らない女が好きなのだ。ラウラのように、いくら美しくても、家柄と地位さえあれば簡単になびくとわかる女には、興味を抱けない。面白くないのだ。
 アリツィアを手に入れるために、自分がどれだけ苦労したか、全世界の男に見せてやりたい気分だった。僕の女は、これほどまで苦労して手に入れる価値があるんだと、自慢して回りたい。なにしろ、ミロスワフの周りで、サンミエスクの名前に動じなかった女はアリツィアだけだった。

「ああ、そうだ」

 ミロスワフは、ふと思い出して、礼儀正しくラウラに向き直った。

「ラウラ・ジェリンスキ様」 
「な、なに」

 突然の礼に、ラウラが意表を突かれた顔をする。

「いつぞやはお名前を存じ上げないなどと申し上げ、大変失礼いたしました」

 サンミエスク公爵家で開かれた舞踏会でのことだ。アリツィアに無礼な態度を取ったラウラに、ミロスワフが言い返した一幕があった。

「今さら?」

 ラウラがそう言うのも無理はなかった。ミロスワフも多少はそう思うからだ。小さく笑った。

「実はあの後、アリツィアに怒られましてね。いつかきちんと謝るべきだと約束させられました」

 アリツィアの名前を出すことで、ラウラの憎悪は深くなったようだ。ぎりり、と爪を噛む。

「結局はあの女の差し金じゃありませんの! そんな口先だけの謝罪で、わたくしの気持ちが安らぐとお思い?」
「思いませんけれど、謝ったという事実だけが大事なので」
「本当になんなの?! あの魔力なしのどこがいいの」
「少なくともあなたよりは」
「……言うわね」

 父親の権威を借りられないラウラは、ただの小娘だった。

「過去の話は置いておいて」
「ちょっと! 話変えないでよ!」

 ミロスワフは自分もソファに座り、魅力的だと自覚している微笑みを浮かべる。

「"雨に濡れた百合"であるラウラ様とカミル・シュレイフタが婚約した経緯を聞いても?」
「聞いてどうするつもり?」
「あの若い魔力使いが、どうやって社交界の花を射止めたのか興味ありますね」

 ラウラは、まんざらでもなさそうに唇を尖らせた。

「……お父様がお決めになった婚約です。わたくしもご本人には、今日、初めてお会いしましたの」
「ではまだ彼に恋をしていない?」

 ラウラは声をたてて笑った。

「恋なんて、夫とするものじゃないでしょう?」

 ミロスワフはラウラに同情している自分に気づいた。

「何よ」
「いいえ」

 ーーまだ気付いてない、か。

 カミル・シュレイフタがアリツィアに惹かれているのは間違いない。カミルが味方なのか、敵なのか、未だ判断つきかねるが、少なくともアリツィアにひどいことはしないだろうと思うのは、それが理由だ。
 カミルのアリツィアを見つめる、あの目。
 アリツィア自身は気付いていないようだが、あれは劣情と思慕を同時に抱く男の目だ。
 ラウラがそれに気付いていないなら、それに越したことはない。
 自分がどう動くのが一番最適なのか、ミロスワフは視線を傾けて考える。

「そろそろ10分じゃありません?」

 沈黙するミロスワフに苛ついたように、ラウラが、部屋の壁に置かれている大きな時計を見た。

           ‡

 カミルの後ろを付いて隣の部屋に入ったアリツィアだが、何故かそこは吹雪の山奥だった。

「どういうことですの?」

 振り返ると扉はもうない。雪が顔に当たり、髪やドレスの裾にどんどん積もっていく。不思議と寒さは感じなかった。さきほどカミルとミロスワフが言っていた、防御の魔力のおかげだろうか。
 少し先を歩いていたカミルは、振り返って笑った。

「イヴォナを返して欲しい?」
「当たり前ですわ」
「じゃあ付いてきて。すぐだから」

 アリツィアのドレスも靴も、吹雪の山道を歩くにはふさわしくなかったが、幸い、すぐに到着した。
 石造りの立派な建物の前に立つ。

「お城?」
「そんないいもんじゃないけど」

 見つめるカミルの表情からは、なにも読み取れない。焦れる思いでアリツィアは聞く。

「イヴォナはここで眠ってますのね? では、早く入りましょう」
「タダじゃ嫌だよ。条件がある」

 それを聞いたアリツィアは、カミルが発火装置の取り下げを要求すると思った。

 ーーやっぱりそうですのね。発火装置が流行することで、魔力保持協会が不利益を被りますのね。

 それなら受けよう、とアリツィアは思う。損失はかなりのものだし、力を貸してくれたみんなのことを思うと、いたたまれない気持ちにはなるが、イヴォナのためなのだ。
 元々、切り札にするために動いていた部分もある。
 切り札とは、切れるときに切るから切り札なのだ。
 あとでどれだけ謝ってもいい。
 アリツィアは覚悟した。

「どうぞ条件をおっしゃってください」

 カミルは、ゆっくりとアリツィアを見て、愛おしそうに微笑んだ。不覚にも、それを見たアリツィアが動揺するくらい、優しく。
 
「あのね、アリツィア。イヴォナを返してほしかったら」

 カミルの口から出たのは、アリツィアの予想を覆す言葉だった。

「ミロスワフとの婚約を破棄して」

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