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37、招待

「発火装置ってなんですか?」

 ユジェフの疑問にアリツィアは、ミロスワフに以前見せてもらったものの説明をする。大陸で流行している火を付ける装置で、それさえあれば、庶民は火種の管理に悩まなくて済むのだ。
 二人は目を輝かせて食いついた。

「便利ですね! 売れそうです」
「それ欲しいっす」
「ですがどうして今それを売るんですか? いや、反対はしませんけど」
「そうね……」

 アツィアはブルネットの髪を揺らして立ち上がった。窓の外の木々は、すっかり葉を落としている。

「もしも、イヴォナの誘拐に魔力保持協会が絡んでいるなら、発火装置の販売と引き換えにイヴォナを返す、なんてことを言うんじゃないかしらと思って」

 ミロスワフがそれはどうかな、と口を挟んだ。

「そううまくいくかな? むしろ相手を刺激するんじゃないか」
「でも賭けてみてもいいんじゃないかしら。やれることはなんでもやりたいの」

 ミロスワフは難しい顔をしていたが、結局はアリツィアに賛成した。もちろん引き続き、カミルの家も見張っている。
 港にも、街にも、イヴォナらしき人物が現れたらすぐに知らせてもらえるように商会を通じて手配してある。
 とにかくやれることをするしかないのだ。

 そして、イヴォナが失踪してから二週間が経った。

 大陸に人をやったアリツィアは、ほどなく、発火装置を売りに出すことに前向きな返事をもらった。仕入先が見つかれば、あとは荷が届くのを待つばかりとなった。
 一方、ミロスワフを介し、ヘンリク先生がクリヴァフ邸を訪れた。スワヴォミルを診てもらうためだ。
 結婚式の前に来る予定だったのを少し早めてもらい、アリツィアは恐縮した。
 
「やあ、君がアリツィアさんだね。初めまして」
「遠いところをご足労いただきまして、申し訳ありません」

 初めて会うヘンリク先生は、気さくな雰囲気を持つ大男だった。大陸風の服装をしており、白のタフタで縁取りされた見事なビロードのカフタンを着ていた。
 アリツィアが思わず見入ると、

「一張羅だよ」

 と笑う。
 だが、寝室に寝たきりのスワヴォミルを見るなり、その表情は厳しくなった。

「かなり衰弱しているね……とにかく本人の気力が大事だ」
「やはり、呪いなのでしょうか」
「まだなんとも言えないな」
 
 客間を人払いし、ヘンリク先生とアリツィアとミロスワフの三人で話し合った。
 アリツィアは懇願する。

「呪いを解くことはできませんか?」
「それはかけた本人次第なんだ。かけた人でなければ解くことができない」

 アリツィアは、ほんの少し、落胆した。ヘンリク先生は即座にそれを読み取った。

「ガッカリしたかい? だが私は、魔力使いでもなんでもない。ただの人間なんだよ」

 アリツィアは素直に謝った。

「申し訳ありません。知らず知らずのうちに、わたくし、ヘンリク先生に何もかも解決していただくつもりだったみたいです。恥ずかしいですわ」
「みんなそうだよ」

 ヘンリク先生は片目をつぶった。

「名前ばかり一人歩きしているせいかね。初対面の人からとんでもない期待をされることには慣れている」
「反省いたします……まだまだ甘いですわ」

 ミロスワフがアリツィアの肩にそっと触れた。

「甘くてもいいじゃないか。君は一人で抱えすぎなんだよ」
「そればかりは私も教え子の意見を尊重するよ」

 それからヘンリク先生は、わずかに声をひそめた。

「呪いのことだけどね、可能性があるとしたら、この部屋に出入りする人物が関係すると思うよ。見たところ、呪具がない。となると、誰かが定期的に呪いをかけ直しに来ているんじゃないだろうか」
「そんな……」

 アリツィアはすぐには受け入れられなかった。

「……屋敷の中に、お父様を呪っている人物がいるのですか?」
「そう思いたくない気持ちはわかるけど、可能性は高い」

 ミロスワフがアリツィアを励ますように、じっと見つめた。アリツィアはなんとか笑う。

 ーー大丈夫、これくらいで落ち込む暇はないんだから。大丈夫。大丈夫。

「心に留めておきます……ありがとうございます、ヘンリク先生」

 この部屋を訪れる人物はそう多くない。まさかウーカフやドロータがスワヴォミルを呪うとは考えられない。

 ーーでも、それでは一体誰が?

 アリツィアは、げっそりと頬骨が出てしまったスワヴォミルの寝顔にそっと触れた。

          ‡          

 イヴォナがいなくなってから三週間。
 発火装置の販売の目処がついた。
 ユジェフが持ってきてくれたひとつを、アリツィアは大事そうに手に乗せた。

「いよいよ発売されるのね」

 ロベルトも頷く。

「前評判だけで結構な予約が入ってます」
「嬉しいわ。本当に便利ですものね」
「魔力保持協会の札も、いよいよ来月発売ですね。あのバカ高いやつ」
「誰が最初に買うのかしら」
「どうせジェリンスキじゃないですか」
「そうね……」

 発火装置が世の中に広まることで何かが変わるとアリツィアは確信していた。
 だが、手を尽くして探しているイヴォナの居場所は相変わらずわからない。
 手がかりだけでも掴みたいのだが、何も動きがない。
 目の前のこと、できることに集中して最善を尽くしているつもりが、時々、謂れもない不安に駆られる。

 ーーこんなことしていいの? 今こうしている間に、イヴォナがどんな目にあっているかわからないのに。

 悪夢を見て飛び起きることも度々だ。
 イヴォナがいなくなって以来、アリツィアはまともに眠れていない。
 だけど、そんな弱さを見せないように、努力していた。

 ーーわたくしがしっかりしないと。

 ユジェフがアリツィアに誇らしげに報告する。

「これと同じものが港の倉庫にみっちりと到着します」
「ありがとう。よろしくお願いね」
 
 と、そこにウーカフがうやうやしく部屋に入ってきた。

「どうしたの?」
「こちら、先に目を通していただいた方がよろしいかと思いまして」

 その言葉に、いつかイザからお茶会に招待されたことを、ふと思い出した。そのせいか、気軽に手を伸ばし、ペーパーナイフで開封した。
 しかし、内容は全然違った。アリツィアは思わず顔を曇らせた。
 ロベルトが心配そうに声をかける。

「ど、どうしたんすか? 何か厄介ごとでも?」

 アリツィアはため息をついた。

「舞踏会の招待状が来たの」

 ああ、とユジェフが納得したように頷いた。

「アリツィア様、苦手ですものね、そういうの。いつもみたいに欠席したらどうですか?」
「それがそうはいかないみたいだわ」

 アリツィアは差出人の署名を見せた。二人が目を丸くする。

「ジェリンスキ?」
「って、あのジェリンスキですか?」
「そう」

 狙いがなんなのかわからない上に、そんな気分になれないのは確かだ。

 ーー行きたくないの極みだわ。

 だが、そういうわけにはいかなかった。

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