35、魔力保持協会
魔力保持協会は、文字通り「魔力を保持する」ための組織だ。
大陸の南西方面に、その総本山があるという。
一説では、冬は雪に埋もれてしまうような、高い山の一角にあるらしい。
情報が曖昧なのは、アリツィアを含めて、誰も詳しくは知らないからだ。どんな建物で、何人がそこに生活しているのか、具体的なことは何もわからない。
ただ、「ある」ということは知っている。
そう教えられるから。
親は子に、子はまたその子に、お伽噺のように伝えられる。
魔力が、神から預かったものである以上、総本山は、選ばれた者しか立ち入ることができない神聖な場所であり、魔力を管理する魔力保持協会もまた、神聖な存在である。
その権力は国を越え、各国の王ですら、魔力保持協会から王座を賜っている立場だ。
つまり、
ーーカミル・シュレイフタはそれに一番近い、優秀な魔力使いだった。
そんな魔力保持協会が発行した、魔力が増える札。
誰もが欲しがるのは目に見えている。
「その札は、支部協会でもらえるの?」
魔力保持協会はそれぞれの地域に支部協会を作っている。
貴族も、庶民も、それに所属しており、土曜ごとの礼拝や、結婚式、葬儀などはそこで行うことになっている。
魔力が増える札となれば、そこで配られるのが自然だろう。
そう思ったアリツィアの質問に、ロベルトが首を振る。
「それが、そんな簡単な話じゃないみたいす」
「なにか条件があるのね?」
「金額です」
「高いの?」
「目の玉が飛び出るような金額って、これのことだなあってユジェフと言っていたんすよ」
ユジェフが頷く。
「札一枚につき、小国の国家予算一年分に匹敵する金貨が必要です」
「……ふっかけるわね」
「それくらい効果があるんじゃないすか?」
「それはどうかな」
ミロスワフが青い瞳を細めた。
「ヘンリク先生が言うには、魔力は使わなくなることは簡単だけど、使えるようになるのはかなり難しいらしい。例えば……魔力使いは、子供の頃に才能を見出され、修力院に入れられるだろう?」
「ええ」
「そこでの訓練は他言無用らしいが、人間らしい生活をあえてしないことで魔力を高めるらしい」
ロベルトが不思議そうに聞く。
「人間らしくない生活ってどんなのすか?」
「喋らない、というのがあるらしい。期間はわからないけど、少なくとも、三年か四年。集団で生活しているのに、喋ってはいけないんだ。誰一人」
「え? 人と暮らしてるのに無言ってことすか? うっかり喋ったらどうするんすか」
「罰せられる。それも、ひどく」
「……怖いすね」
「そもそも子供を親元から無理やり離すこと自体問題だとヘンリク先生はおっしゃってる。あそこは秘密が多すぎる。それ以外にもいろいろあるはずだ」
「……そんな」
アリツィアにとって修力院は、小さい頃聞かされるおとぎ話のようなものだった。実際の暮らしがそんな冷酷な日常だなんて思ってもみなかった。
「それくらいの訓練をしてやっと高まるのが魔力だ。どんなに高価だとしても、札一枚で変わるとは思えない」
確かに、とアリツィアも頷く。ユジェフが思い出したように、付け足した。
「あ、札って言いましたけど、実際は織物に近いそうです。東方の糸を原料にした織物で、壁にかけられるくらい大きいとか」
「高級感ありそうっすね。実際高級ですけど」
「でも高かったら、庶民はなかなか手が出せないわね」
効果のほどはさておき、魔力のない庶民こそ欲しがるものだろう。
「まあ、値段のこともありますけど、そもそも、この札は貴族にしか効かないそうですよ。だからいくら金持ちの庶民がほしがっても無理なんです」
アリツィアは顔を上げた。
「え? そんな……それだと」
「庶民と貴族の格差がまた開くな」
ミロスワフの言う通りだった。
魔力を持つ貴族が尊ばれ、庶民が軽んじられるのも、魔力が神から預かったものだからだ。
すなわち、貴族は神に愛されているのだ、庶民より。
事実はともかく、「そういうこと」になっている。
この札の存在は、それを強調してしまう。