32、消える
カミルは以前、舞踏会でしたように、指を擦り合わせて、空中に渦を出現させた。以前と違うのは、その渦の内側が禍々しい赤だったことだ。ひっ、とレナーテが息を飲む気配がした。初めて見たわけではないイヴォナも、それが放つ異様な雰囲気に出来るだけ遠くに身を寄せた。
カミルが感情のこもらない声で言う。
「一人ずつ、行け」
途端に、男たちの体がすうっと浮く。
ひゅんっ。
恐怖に怯えた表情で、一人目は叫ぶ間も無く渦に消えた。
「はい、次」
「……や、やめてくれ! 助けてくれ! 頼む!」
「やだね」
カミルは指揮者のように腕を振り、それに合わせて、二人目も渦に消えて行った。三人目はイヴォナから見てもわかるくらい震えていたが、やはり免れることはなく、カミルは当たり前のように渦に放り込んだ。
「運が良ければ、戻ってこられるかもね」
シュルシュルと渦が収縮し、やがて小さい点になって消えた。カミルはそのときだけ、嬉しそうに笑った。イヴォナはゾッとした。三人がどこに消えたのか、考えたくなかった。
「君たちは、どうしようかな」
イヴォナはカミルのその声音に、ほんのわずかだが躊躇いを感じた。
迷っている?
迷っているなら好機かもしれない。
イヴォナはレナーテの背を抱えるようにして言った。
「助けてください」
ーーまっすぐに、届くように。
カミルはなにも言わなかった。つまり、拒絶もしていないということだ。イヴォナは今しないと前のめりになる。
「あの、この子、怪我しているんです! 早くお医者さんに診せなきゃ! 家に戻してください! お願いします!」
「君たちを家に? なんで? 僕には関係ないだろ?」
「でも、そこをなんとかお願いします」
「意外と図々しい……あれ?」
カミルはようやくイヴォナに気がついたようだ。
「君、もしかしてあのときの妹か?」
「はい! イヴォナです。イヴォナ・クリヴァフって……あー!!」
「な、なんだよ? 急に大きい声出して」
「だって、この服、この格好!」
イヴォナはカミルに見られたことで、今の自分の服装を思い返した。ドレスは泥だけで、ところどころ破れ、髪はひどく乱れている。もともとお忍びのお出かけだったので、宝石も身につけていない。
「格好なんて今さらだろ」
「そうなのですけど……これじゃお礼が」
「お礼?」
イヴォナはとっさに思いつきを口にする。
「あの、魔力使いって、やっぱりお金持ちなんですか?」
「へ?」
カミルは面食らった顔をした。
「あ、やだ、ごめんなさい。違うの、お礼をしたくても今、何も持ってないから、後で改めてお礼をするにしても、どれくらいのものを渡せばいいのかと思って。何か欲しいものはないかなって。でもお金持ちなら大抵のものは持っているだろうし」
「一気に喋るね」
「ごめんなさい」
「まだ助けてもらってないのに、お礼のことを考えてたの?」
「どうしたら助けてもらえるかな、と。あと、何をもらったら喜ぶ人なのかわからなくて。でもいきなり、お金持ちですか、は失礼でしたわ。申し訳ありません……」
イヴォナは普段しっかりしてるのだが、考えることが多すぎると言葉が多くなりすぎる傾向があるのだ。カミルは小さく笑った。
「なんか気が抜けたな」
どかっとその場に座り込む。イヴォナらと目線が同じになった。
「怪我してるって?」
イヴォナは頷いて、レナーテの腫れている方の腕を指した。
「はい、わたくしを庇って……」
カミルは、片手を出した。
「普段はこういうのしないからね」
その手をレナーテの患部にかざす。
「ん……ん」
何が起こったのかわからないが、レナーテの呼吸が落ち着いた。
「レナーテ! よかった」
「あ、言っとくけど、治ってないからね。そう言うのは治せないの。後でちゃんとお医者さんに診てもらって。今は痛みと熱を取り除いただけ。それも一時的なものだよ」
イヴォナは頷く。
「じゃあ、なおさら、帰してくれませんか?」
「なんで僕が」
「だって今おっしゃったじゃないですか。後でお医者さんに診てもらえって。帰らなきゃ診てもらえないです」
カミルはちょっと考えてから言った。
「どちらか一人だけならいいよ」
「どちらかって、わたくしかレナーテ?」
「そう。さっき三人も飛ばして、ちょっと疲れてる。一人ならいいよ。一人なら帰してあげる」
カミルはちょっと意地悪そうに笑った。
「ふたつにひとつだ。どっちにする? 決めていいよ」
イヴォナはレナーテの顔を見た。レナーテは心配そうにイヴォナを見つめ、何か言いかけた。が。
「レナーテ、しっ」
イヴォナはそれを制した。そして、すっきりした表情で頷いた。
「お姉様もこういう気持ちだったのかしら」
「何?」
イヴォナはふわりと笑った。
「じゃあ、レナーテを」
カミルが片眉を上げた。
「いいの?」
「考えるまでもないですわ。怪我をしているのはレナーテですもの。レナーテが帰らなきゃ、お医者様に診てもらえないわ」
「……イヴォナ様」
「いいから、レナーテ」
「これだから君ら姉妹はつまんないだよな」
カミルは腕を組んで立ち上がった。
「じゃあ、レナーテ、だっけ? 手を出して」
「イヴォナ様」
「いいの、レナーテ。わたくし、お姉様の妹ですから」
言い終わる前にレナーテは消えた。