19、あるけどない
「無事かアリツィア!」
最初に見えたのは土煙だった。そこから近くについて、馬に乗ったミロスワフが確かに見えた。背後に何人もの援軍付きだ。
「ミロスワフ様!」
アリツィアは思わず駆け寄った。しかし。
ガン!
空気の壁にやはり阻まれた。
「もう! これ、なんとかしてくださらない?」
カミルは首を振った。
「嫌だよ」
「なぜですの? お友達になれないなら帰してくれてもいいでしょう」
カミルはアリツィアの肩をぐい、と引いた。
「そっちこそなんでだよ? この僕が気に入ったって言ってるんだからここにいろよ!」
「お断りしますわ」
アリツィアはその手を振り払う。ざわっと風もないのに、周りの木が揺れた。
「なんでだよ! 魔力なしの分際で。僕の言うこと聞けよ! 僕は偉いんだぞ? 大魔力使いになるのは間違いなしだと言われているんだから」
木の揺れは激しくなったが、アリツィアは気にしない。
パシッ!
何もしていないのに、木の枝が折れた。
「力でねじ伏せても、孤独は癒せませんわ。増すだけです」
「僕は悪くない」
「そうかもしれませんわね。ですが、交渉は決裂しました。もう一度言いますわ。帰らせてください」
「い・や・だ!」
パシッ! パシッ! バンッ!
木の枝が先ほどより多く折れていく。
「アリツィア大丈夫か!」
「ミロスワフ、気をつけろ、魔力による障壁があるぞ」
折れた枝が空気の壁に当たることで、その存在をミロスワフたちに教える結果となっていた。ミロスワフたちはもうそこまで迫ってきていた。その顔ぶれを見て、アリツィアは思わず叫んだ。
「アギンリー・ナウツェツィル様? ユジェフにロベルトも!」
アギンリー・ナウツェツィルは将軍閣下の御令息だ。魔力もさながら、剣の腕では誰にも負けないとの噂だった。ユジェフとロベルトは、共にクリヴァフ商会で働く有能な若者だ。ミロスワフは誇らしげに答えた。
「もちろんサンミエスク公爵家やバ二ーニ商会からも人が来ている」
「お祖父様からも?」
母ビアンカの実家のバ二ーニ商会まで関わっているとは。アリツィアは驚いた。
「クリヴァフ伯爵が、頭を下げて頼んでくれたんだ。伯爵本人は、館で引き続き情報収拾と指揮を取っている」
ミロスワフは空気の壁越しに、微笑んだ。
「お待たせ、アリツィア。帰ろう」
それからカミルに言い放つ。
「カミル・シュレイフタ。一応聞くが、降伏する気はないか? これだけの勢力を敵に回すのは得策ではないだろ?」
「まあね、でも……おとなしく渡すのもなんだかな!」
どおん、と爆発音が響いた。カミルが空気の壁の向こう側になにかを爆発させたらしい。アリツィアは思わずその場にしゃがみこんだ。しかし、ミロスワフは怯まなかった。
「同じ手を何回も食らうかよっ!」
ミロスワフが両手を前に突き出して、煙を防いでいた。あっという間に煙が消えていく。
カチン! と金属と金属がぶつかる音がした。空気の壁を、ミロスワフとアギンリーが剣で斬っている音だった。誰も爆発の影響はないようだった。
魔力を付与されているのか、ミロスワフとアギンリーの剣は、見えない何かを確かに斬っていったが、二人が力を入れて押し込んでいる剣の位置はあまり変わらない。
ーーさっき触っただけでも随分固かったですわ、あれ。剣なら斬れるのでしょうか。
アリツィアの心配通り、二人は苦戦していた。
「きゃっ」
ぐいっと、カミルがアリツィアの腕を引っ張った。
「痛いっ! 何するんですの」
「一回、退却するよ。奴ら、苦労して壁を破壊して、何もないところを探し回ればいいさ」
言いながら、カミルは片方の手の指を擦り出した。その動作には見覚えがある。
すぐに空中に渦が、出現した。
あのときと同じ。
「行くよ」
「嫌です!」
アリツィアは抵抗したが、カミルは無理やり立たせようとする。ミロスワフが叫んだ。
「アリツィア! もしかして、剣でこの壁を斬れないと思ってない?」
「は?」
アリツィアにはその質問の意図はわからなかった。だがミロスワフは真剣な口調で続ける。
「いいから答えて!」
「え、ええ。それって斬れるのでしょうか、と心配しておりました」
「それだ!」
「どれですの!?」
「アリツィア、剣で壁が斬れると思って! それと、その渦はないものと思って!」
「いっぺんに言わないでくださいませ!」
「いいから! アリツィアしかできないことなんだ」
ミロスワフを無視して、カミルはアリツィアを引っ張る。
「そんなの放っといて。行くよ」
「行かないって言ってるでしょ!」
アリツィアは無理やりカミルの腕を振りほどいた。
「吹雪の薔薇、強えな……」
アギンリーの呟きが聞こえた気がするが無視する。
ーーなんでしたっけ、えーっと。
アリツィアはミロスワフたちの方を見て叫んだ。
「剣で空気は斬れる! なぜなら空気だからですわ!」
ふっ、と剣の抵抗が弱まったように見えた。だがじっくり見ている暇はない。もうひとつはなんだっけ。えーと。
「渦なんてありませんわ! ないったらないんです!」
しかし、それは変わらずそこに浮いていた。カミルは笑った。
「あるよ」
「あら?」
アリツィアは首を捻った。ふと思ったことを呟く。
「じゃあ、あるけど見えない? 井戸の出口みたいに」
その途端。
渦は消えた。