18、脱出
朝食のあとは、それぞれの部屋に戻った。
アリツィアは状況を整理しようとした。少々、混乱している。
手応えは充分あった。商談だったら成功だったと思ってる。だが、現実は逆だ。
ーーわたくしを置いておく? なぜ? どんな利が?
交渉の材料にしたいわけでもなさそうなら、早く帰した方がいいに決まっている。時間が経てば経つほど、サンミエスク公爵家とクリヴァフ伯爵家を感情的に敵に回すだけだ。
ーーミロスワフ様のことを悪く言ったところがよかったのかしら?そんなまさか。一緒に悪口を言いたい子供じゃないんだから。
「社交界嫌いの弊害がここに出るわね……」
裏の裏を読むのは苦手だ。商談ならまだしも。しかし、考えてもわからないものは仕方ない。アリツィアは部屋の中を見回した。陽はまだ高い。
ーー送ってくださらないなら、自力しかないってことよね。
アリツィアは昨日のドレスをベッドに入れ、人が寝ているように細工した。
ーーもったいないけれど、これを着て帰るわけにもいかないし。
足音を忍ばせ、裏口に回り、あたりの様子を伺いながら外に出る。
山深いここがどこかわからないが、いずれは人のいる場所に辿り着けるはずだ。
運が良ければクリヴァフ商会と関係ある店もあるかもしれない。獣と盗賊には気をつけよう。
とにかく行動するしかない。
アリツィアはためらいなく歩き出しーーすぐに見つかった。
「帰さないって言ったよね?」
待ち構えていたかのように先回りしていたカミルが笑う。
「同意はしておりませんので」
アリツィアはその横をすり抜けようとするが。
「きゃっ!」
見えない何かに阻まれた。空気の壁が出来ているようだった。
「魔力ですの?」
「もちろん」
「解いてください」
「やだね。どこか行っちゃうだろ?」
「カミル様、冷静になってください。わたくしをここに置いておいても、サンミエスク家とクリヴァフ家の恨みを無駄に買うだけです」
「別にいいよ」
「いいんですか?」
「恨みなんて一杯買ってる。でもみんななかなかここまでこないんだ」
「意味がわかりませんわ?」
「クリヴァフ伯爵が来るなら歓迎するってこと」
その笑顔が思った以上に幼くて。
「……よく考えたら、イヴォナと同じ歳でしたわね」
思わずそう口に出した。
「なんだよ急に」
「なのに、お一人で住んでいらっしゃる」
「だからなんなんだってば」
「魔力使いの生活はわたくしたちからすれば謎めいておりますけれど、噂では、小さい頃、人より魔力が多い子供を親元から引き離して、修力院というところで生活するとか。そこで魔力について学び、必要なら外の大学にも通う、と。飛び級までしたカミル様はとびきり優秀だったんですよね」
「まあね」
多分、カミルは同世代の誰よりも才能があったのだろう。
だけど。
そのせいで。
「ーーご学友ができる暇もなかったのでは?」
カミルは不機嫌そうにアリツィアを一瞥した。アリツィアは気にしなかった。
「カミル様、僭越ながら申し上げますわ」
それはアリツィアも味わったことのある孤独だった。母が亡くなり、父が落ち込み、妹が悲しんでるとき、自分がしっかりせねばと思えば思うほど、アリツィアは自分が世界で一人ぼっちに思えた。
だからつい、勘違いしてしまった。
同じとは言えなくても、似たような孤独を知っていると思ってしまった。
だからつい。
そんなふうに言ってしまった。
「カミル様、わたくしとお友達になりません?」
カミルはポカンとした顔をした。アリツィアは、はしゃいだ声を出した。
「必要ならわたくしまたここに来ますわ! お望みなら帳簿並みに分厚い手紙も書きます! お友達ですもの!」
「友達……?」
「そうですわ! いい考えだと思いません? それならーー」
だが。
カミルの表情がアリツィアの言葉を遮った。
その表情。
その目付き。
知っている。
よく、向けられる。
でもまさかここで。
カミルは唇の端で笑って、言った。
「僕とアリツィアが? あり得ないでしょ?」
答えはわかっていたが、アリツィアは聞いた。
クモの糸ほどの細さの、わずかな希望を託して。
「……どうしてですの?」
「だってアリツィアは魔力なしじゃないか」
カミルの目には迷いはなく、カミルの声に揺れはなかった。
「魔力なしと友達なんて聞いたことないよ」
アリツィアは微笑んだ。
こんなことは慣れている。
ただ、ちょっと、楽しかったから。
油断した。
「届かないんですのね……あなたも」
と同時に。
「いたぞ! あそこだ!」
カミルの住みかを突き止めたミロスワフが、ついにアリツィアを見つけ出した。