9、ダンスフロア
「わたくしも主役? ミロスワフ様ったら」
公爵夫妻の元へ向かいながらアリツィアが思わず笑うと、ミロスワフは一瞬虚を突かれた顔をした。
「当たり前じゃないか」
だがミロスワフがそれ以上言う前に、音楽が始まった。公爵夫妻のファーストダンスが始まったのだ。ミロスワフは呑気に呟く。
「相変わらず母上はせっかちだな。息子が無事に戻ってきているのならもう始めちゃおってとこだろうな」
アリツィアは焦った。順番から言うと次はミロスワフだ。こんなところで喋っている場合ではない。
「大変ですわ! ミロスワフ様! 早くパートナーを探して中央に向かいませんと」
話している間に曲は終わりそうだ。ミロスワフは平然としている。
「じゃあ、ここから行こうか」
「ここから? えっ! わ!」
ミロスワフはアリツィアの手をとって中央に進み出た。楽団が新しい曲を奏でる。
「一曲踊っていただけませんか?」
ミロスワフが耳元でアリツィアにそう囁いたときは、すでにステップを踏みかけていた。
ーーって、もう断れない状況ですよね? これ!
仕方なく体を動かしながら、小声で会話する。
「不意打ちですわ!」
「いいからダンスに集中して。楽しもう? 余計なことは考えないで。僕だけを見て踊って」
二人だけの会話のせいか、ミロスワフの一人称がくだけたものになった。そのことに少し嬉しさを感じながら、アリツィアはハッとした。あらかじめ一緒に踊ろうと言われていたら、アリツィアのことだ。それだけで緊張して動けなかったに違いない。不意打ちはむしろアリツィアへの気遣いだったのかもしれない。
いささか強引ではあるが。
でも。
ーーここにいるのは紛れもなく、あのミロスワフ様なんだわ。
アリツィアはずっと会いたかったミロスワフが目の前にいることを、やっと実感した。
「……わたくしの下手さを誤魔化してくださいね?」
「ご謙遜を」
ミロスワフの巧みなリードでアリツィアは心地よくステップを踏むことができた。
ーーあのときから溌剌とした方でしたけれど。
明るい金髪に、深い海の色のような青い瞳。4年の間に、その整った顔立ちに精悍さが加えられている。
かなりの魔力の持ち主であり、留学から戻った今は次期公爵として期待されているミロスワフと自分が知り合いだなんて、ラウラでなくても信じられないだろう。
4年前、迷子になったアリツィアを、ミロスワフは無事に送り届けた。二人は、そこで別れるはずだった。けれど、お互い、このままで終わりたくないと思ってしまったのだ。
もう少し、話していたい。
もう少し、お互いを知りたい。
もう少し、顔を見ていたい。
もう少し。もう少し。
あとちょっとだけ。
それは叶わないはずの願いだった。留学を控えていたミロスワフはその数日後には旅立たなくてはならなかったから。
だけど二人は諦めなかった。
……手紙を書くよ。毎日書くから、届けていいかな。
……わたくしも、書きます。
そのときに出来る精一杯の約束を、二人は律儀に守った。その努力のおかげで、アリツィアとミロスワフはお互いの間に芽生えたなにかを、ゆっくりと、だが確実に成長させることができたのだ。
ーーあの帳簿の山に、ミロスワフ様からのお手紙を隠していたなんて知ったら、イヴォナもドロータも驚くでしょうね……。
「楽しそうだね。よかった」
アリツィアが思わず浮かべた小さな笑みに、ミロスワフも笑みを返した。アリツィアもミロスワフに何か言おうと口を開いたそのときーー。
……バキッ……バキッ。
「何かしら?」
「危ない! アリツィア!」
どぉーーーーーん!!!!
いきなり爆発音がしてダンスフロアが白煙に包まれた。