(34)不明瞭な未来
リーリアとディロスによって案内された先で、初めて会った王子様に小さな子供達は大興奮し、カイルは求められるまま気安く一緒に遊んでひと時を過ごした。
「おうじさま、さよーならー!」
「また来てねー!」
「今日はご足労いただき、ありがとうございました。諸々の事、よろしくお願いします」
「ああ、諸々を進めておく」
「出立する前に、お別れのお食事会をしたいわね。リーン、皆に伝えてくれる?」
「分かりました。日程を調整しておきます」
帰城の時刻になり、カイルとリーンは玄関で大勢に見送られながら馬車に乗り込む。そして静かに馬車が走り出してから、カイルは無意識に溜め息を吐いた。
「はぁ……」
主人の困惑と疲労感を推察したリーンは、慰めるように声をかけた。
「少し、精神的に疲れましたね」
「さすがに小さい子ども達は、ここから引っ越しするという意味が分かっていないようだが、ある程度の年齢以上は冷静に準備をしてくれていて、かなり安心できた」
「そうですね。悲しそうな顔や寂しそうな顔をしている子はいましたが、ちゃんと理解してくれているようです。それは彼が、きちんと個別に言い聞かせてくれているおかげかと思いますが」
「ディロスか……」
懸念や疑問の殆どに繋がる名前が出たことで、リーンも嘆息して応じる。
「最近は、ああいう子がいたんですね……。年に一度は顔を出して、ルーファス様達や子供達宛に贈り物をしていたのですが、面識がなかったです」
「若くても従僕で、十分やっていけるとは思うが……」
「得体が知れないとは言いませんが、何やら色々底知れないですね」
「そうだな……」
先程の短時間でのやり取りと、実際の立ち居振る舞いを見た上での彼についての感想は、ある意味不幸な事に、主従揃って全く同じものだった。
「お帰りなさいませ。お屋敷の方はどうでしたか?」
何事もなく城のプライベートスペースに戻ったカイルは、出迎えたメリアに何事もなかったかのように答えた。
「特に問題は無かった。子供達全員とも顔を合わせてきたし」
「移動の間、何か特別な配慮が必要な子供はいたでしょうか?」
「その辺りは、心配しなくて良さそうだ。既に細かい旅程まで検討されていたし、荷造りも進められていたからな。こちらから人員を配置する必要は無いだろう」
「それなら良かったです」
「ところでメリア。皆の手が空いているなら、ここに呼んできてくれないか?」
唐突に下された指示に、メリアが戸惑った表情になる。
「全員、ですか?」
「ああ。外に出ていたり、外せない仕事中だったら構わないが」
「少々お待ちください」
メリア達四人以外にも下で働く者達はいるが、カイルが「全員」という場合には側近である四人以外を指すものでは無く、メリアは何事かと思いながらもすぐにダニエルとシーラを呼びにいくため、廊下に消えていった。
「お待たせしました。全員揃いました」
「殿下、何かご用ですか?」
大して時間を要さずにカイルの前に四人が揃い、ダニエルが不思議そうに話を促してきた。それでカイルは、リーン以外の三人に問いを発する。
「その……。ちょっとした確認だが、皆は外国語の読み書き会話をどれくらいこなせる?」
「はい? 外国語ですか? 大陸共通語のヒーリス語とバルザック帝国語とスラズ語に関しては、読み書き会話は日常会話程度ならできますが」
「ヒーリス語とバルザック語であれば、読み書き会話はできますが、あとはニーデル語の読み書きはできますが、会話はちょっと……」
「…………」
ダニエルとメリアは怪訝そうにしながらも、即座に質問に答えた。しかしシーラは微妙に顔を引き攣らせて黙り込む。
「シーラ?」
「あ、はい! なんでしょうか!?」
「だから、外国語の習得状況を尋ねているんだが……」
カイルは少し気の毒になりながら再度尋ねてみた。すると予想通り、しどろもどろな答えが返ってくる。
「え、ええと……、その……。ヒーリス語とバルザック語なら、長い文章でなければ、読み書きくらいはなんとか……」
「会話はどうかな?」
「その……、挨拶くらいなら……」
「……そうか。うん、分かった」
「殿下、どうして外国語についてお尋ねになられたのですか?」
心なしか小さくなりながら答えているシーラを宥めるように、カイルは頷いた。ここで不思議そうにダニエルが疑問を呈し、カイルは困惑しながら事情を説明する。
「それが……。今日、大叔父上の屋敷に出向いたら、そこにいたディロスという少年に言われたんだ。『元王族とかの高貴な人に仕えるなら、バルザック語くらいは読み書き会話をマスターしておくべきだ。今後は自分がしっかり特訓する』とね」
「え? ディロスが? なんで特訓?」
「この機会に、俺の従僕になるらしい。全然知らなかったが」
ディロスの名前にぴくっと反応したシーラだったが、従僕就任の話になった途端、悲鳴を上げた。
「ううう嘘っ!? なんでそんな事になっているんですかっ!?」
「俺達も知らなかったけど、即戦力っぽくて問題なさそうだし。殿下の下に就きたがる奴がいなくて慢性的に人手不足だし、良いんじゃないか?」
ここでリーンが口を挟んできたが、シーラは彼に向かって盛大に嚙みついた。
「全然良くありませんよ! 確かにあの子は頭が良いし要領は良いし覚えは良いし、きっと文句なく侍従の仕事を就任初日からこなせますよ! こなせますけど、超絶にめんどくさくてひねくれてて、頭が超絶に良い分、馬鹿な人間には容赦ないんです! それなのにバルザック語の特訓ですって!? 毎日心をバッキバキに折られるのが確実じゃないですか!!」
「そうは言うがな……。例のルーファス様が漏らした、未来が視える加護持ちって、ディロスのことじゃないのか?」
「…………」
サラリとリーンが核心に触れると、シーラは盛大に顔を引き攣らせて口を閉ざした。ダニエルとメリアも瞬時に真顔になり、会話の流れを見守る。
「そいつがさぁ、『バルザック語の習得が必要』と言っているからには、今後俺達もしくはその周囲で、バルザック語を用いる事態になるってことじゃないのか? 屋敷にいる間に真面目に勉強して、なんとかしておくべきだったな」
「ディロス……。あんた一体、何を視たってのよ……」
リーンがとどめを刺すと、シーラは床に崩れ落ちた。そして床に両手をついて項垂れながら、恨みがましく呟く。
そんな彼女を同僚達が憐憫の眼差しで見下ろしていたが、カイルも心穏やかではいられなかった。
(俺の顔を見た時の驚きようだと、やっぱり俺絡みの未来を見たんだよな? まさかバルザック帝国に行くことになるのか? だがこれから行くトレファンは、帝国とはほぼ反対側の国境沿いの領地だが)
不確定要素が多すぎる未来に、カイルは少しだけ憂鬱な気持ちになっていた。