(20)あっけない幕切れ
「それでは、試合始め!」
「いやぁぁぁっ! え?」
審判が開始を宣言すると同時に、ランドルフは喜色満面で威勢の良い叫び声を上げながら、剣を大きく振りかぶった。対するアスランは無言のまま持っていた剣を軽く肩の高さ辺りまで放り上げ、素早く柄を逆手に握る。次の瞬間、アスランはその剣を軽く後ろに引いてから、まるで槍のように勢いよく前方に放った。
「うわぁぁぁぁっ!!」
剣が至近距離から自分の顔目がけて飛んでくるなど、予想だにしていなかったランドルフは、悲鳴を上げて身体の正面で剣を持ちつつ、反射的に目を閉じてしゃがみ込んだ。その剣に飛来した剣先が激突し、盛大に地面に落ちる。それを確認したランドルフが、なんて非常識な事をするのかと抗議するべく立ち上がろうとした。
「なっ、何て事を!? ……ぐほぁっ!!」
しかし中腰になって顔を上げたところで、この短い間に五歩分の距離を一気に詰めたアスランが、ランドルフの鼻の下に渾身の力を込めて拳を叩き込む。その攻撃をまともに受けたランドルフは、短い呻き声を上げて勢い良く仰向けに倒れ込た。そして白目をむいたまま、ピクリともしなくなる。
(確かに開始十秒で、纏めて潰れたな。アスラン兄上が、有言実行の人なのが実感できた……。いや、こんな事を考えている場合じゃないぞ!?)
思わぬ事態に競技場内が不気味に静まり返る中、カイルも呆然自失状態に陥っていた。しかし真っ先に我に返り、先程のアスランのように審判を叱責する。
「審判、何をしている!? もう試合続行不可能だろうが!?」
「は、はいっ!! 勝者、アスラン・アル・グラント!! ……ひっ!」
「…………」
弾かれたように声高に判定を告げた審判だったが、慌てて貴賓席を振り返った。すると予想以上に怒りで顔を紅潮させている主君と目が合い、彼の顔から血の気が失せる。当然、場内に驚愕と困惑による気まずい沈黙が満ちたが、ここで無遠慮な哄笑が響き渡った。
「あっ、あははははっ! いやはや、さすがはグレンドル王国の強者《つわもの》と名高いアスラン殿下! 実戦で鍛えた戦闘センスは、ただ者ではありませんな! これはランドルフ殿下も、相手が悪かったですな! せっかくズボンを、濡れても目立たない色の物に履き替えていらしたのに、全く手も足も出なかったとは! いやぁ、実に勿体ない! 立ち合いの結果ではなくて、履き替えたズボンの方ですが!」
競技場に響き渡る大声を張り上げた後、「うわはははは」と腹を抱えて爆笑している初老の男は、グレンドル国に隣接し、かつ大陸一の勢力を誇るバルザック帝国の大使であった。そのため、その非礼をむやみに咎めるわけにもいかず、当てこすられたヘレイスの顔が、怒りで赤くなる。そしてその大国の代理人たる大使があからさまに嘲笑している事で、周囲の各国大使達も「ぶっ」「ぐふっ」などと笑いを堪えきれなくなり、声高に多分に皮肉を含んだ会話が交わされ始めた。
「そっ、そうですな。相手が悪かったですな」
「アスラン殿下は加護無しとはいえ、その勇猛果敢な戦いぶりは、つい先ほどまで戦っておられたリトビアス国が一番お判りでしょうし」
そこで話を振られたリトビアス国の大使は、国境付近での小競り合いで負けた後始末を押し付けられて気分を害していたこともあり、素っ気なく応じる。
「そうですね。アスラン殿下ではなくランドルフ殿下が我が国の相手をしてくだされば、今回のような結果にはならなかったのではないでしょうか」
「確かにそうでしょうなぁ。リトビアス国にとっては、実に残念な事でしたなぁ」
「しかし加護持ちと言えども、万能で全能ではないのが良く分かりましたな」
「才能の持ち腐れとは言いますが、グレンドル国では加護の持ち腐れという言葉があるようで」
「誠に、そうらしいですね」
「…………」
国王であるヘレイスは、普段から自国のみが女神から比類なき加護を授かる人間を輩出していると喧伝し、他国との差別化を図って優越感に浸っていた。そんな彼は建国記念式典を期に、加護の偉大さ、更にそれを授かっている自分達への畏敬の念を、これまで以上に集めようと目論んでいた。
その手始めが武術大会だったのだが、ここで加護を発揮して颯爽と騎士達の頂点に立つはずのランドルフが、自分が肩入れしたにも係わらず一度ならず二度までも醜態を晒したことで、その思惑は瓦解してしまう。国王としての体面を保つために怒鳴り散らしたりはしなかったものの、他国の大使達から嘲笑と皮肉を浴びる結果となったヘレイスは、無言で歯軋りした。
「ランドルフ殿下、しっかりなさってください!」
「だめだ、頭を打っているぞ。急いでここから運び出せ」
「誰か、担架を持って来い!」
「口から血が! 前歯が折れているぞ!?」
相変わらず意識を失ったまま、だらしなく四肢を投げ出して地面に転がっているランドルフを、数人の騎士達が介抱して競技場外へと運び出す。それをヘレイスは憤怒の表情で睨みつけてから、アスランとカイルに目を向けた。それは間違っても、子を見る親の視線ではなかった。