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第1話

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 足は、私の腰をさっきから蹴りつづけている。
 いつからだろう。
 いや、腰を蹴りつづけられているのがではなく、この、足が私にとり憑いているのは。
 きっかけは何だったか。
 バグか。
 ウイルスなのか。
 もしかしたら、エロ動画を堪能した報いの――
 と、そんなことを布団の中で横向きに寝転んで考えながら、私は腰を蹴りつづけられている。
 随分と余裕たっぷりに対応できるようになったものだ。
 もちろん当初は、まず驚き、おののき、うち震え、誰もいないこの一人暮らしの1Kマンションの部屋の中できょろきょろし、助けを求め、泣き、喚いたものだ――多少オーバーかも知れないが、そんな感じだったものだ。

 状況を詳しく説明しよう。
 私は、せんべい布団の中で、さっきも言ったように横向きになり、背を丸め両膝を曲げて寝転がっている。せんべい布団は体に巻きつける形だ。
 一方足は、そんな私の腰を一・五秒に一回ぐらいのペースで蹴り続けている。
 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

 そういった感じだ。
 ここで賢明なる読者は気づくだろう。
 音、ちがくね? と。
 そう。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

だ。決して、

 ぼふ。
 ぼふ。
 ぼふ。

では、ないのだ。
 賢明なる読者はまたここで気づくだろう。
 そう、つまり、この足は、私の腰を「布団越し」に蹴っているわけでは、ないということだ。
 ダイレクトに。
 私の腰直撃で、足は足を見舞っているのだ。
 もう一度言おう。
 私はせんべい布団を、体に――当然腰の部分も含め全身、頭にまで――巻きつけている。

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 塩を撒いたことがあった。あれは足に出会ってから――否、取り憑かれてからどれくらい経った頃だろう。
 私はその時、憔悴していた。
 一体、これは何なのだ。この、足は。
 足は、足だけの存在だ。
 足だけがいて、そこから上の、人間でいう胴体だとか腕だとか頭部だとか、そういう他の部分はない。
 足の、人間でいうと膝から下の部分だけが、くっきりと見えている。
 足の――幽霊、だろうか。
 もし幽霊だとすれば、私が想像していたものとは随分様相が違うのだった。私のイメージしていた幽霊とは、透けていて、頭と胴体と、前方に恨めしげに差し出している手とがあって、そして――
 逆に、足がないものだった。
 とすれば、今現在私の腰をごつごつと蹴っているこの足は、幽霊というよりもむしろ「逆幽霊」とでも呼べる代物かも知れない。
 それはともかく、今ほどこの足の存在に慣れていなかった頃、私はどうにかしてそいつから解放される術はないかと考えあぐね、半ば泣きながら

「塩を撒いたらどうか」

という結論に達したことがあったのだ。
 塩にて何かしらお清めをするという風習は、今も残っている。塩だ。そうだ塩だ。
 その時の私はともかく必死だったから、お清めにはそれ専門の塩があるということにまで考察範囲を拡張するゆとりがなかった。塩ならば何でもいいと思った。
 溺れる者は藁をも掴むの心境で、私は台所の塩のもとへまろぶように駆け寄った。
 足はその時も、私の体を――腰だの尻だの背中だの――蹴り続けていた。
 私は食卓塩の瓶をつかみ、涙を堪えるためぎゅっと目を瞑りながら震える手で、それでも可能な限り大急ぎで、蓋を回し開けた。
 足は委細構わず、当然のことをしているかのように、私の体を1・5秒に一回ぐらいの速さで蹴り続けていた。
 恐怖と絶望のどん底にいたにも関わらず、その時の私には理性が残っていたと、今は胸を張って言える。
 何故なら、蓋の開いた塩瓶を私は、直接足に向けて振ったりしなかったからだ。
 そんなことをしていたらどうなっていただろう?
 恐らく塩は、ろくに瓶の口から放たれはしなかっただろう。チャッ、と音がして、量にすれば精々小匙一杯分かそこらほどの食塩が、空中に飛散しただけにとどまっただろう。
 料理の味付けじゃないんだから、そんな程度の塩を振ったところで意味はないのだ。
 そう。
 私はその時、腰を尻を蹴られつつも、必死で己の掌の上に塩をさらさらと流し出した。
 何度も何度も、瓶を振って。
 私の掌の上に、やがて塩の山が生まれた。
 足は、飽きることなく私を蹴り続けていた。
 首だけ振り向くと、足だけがくっきりと存在していて、私を蹴っていた。
 足の上辺は、闇だった。
 骨も筋も腱もなく、ただ吸い込まれそうな闇が、そこに見えていた。
「ああーッ!」
 私は叫びながら、足に向かって塩を撒いた。ぶつけた、と言った方が正確か。

 !!

 足の反応は、まさにこうだった。
 エクスクラメーションマーク二本。
 漫画などで登場人物が「!!」と叫び体を硬直させる絵が出てくるが、丁度そんな感じだ。
 足はその瞬間、あれほど執拗に――なかば楽しげにさえ見えるほど――繰り返していた私への暴挙を、ぴたり、と止めた。
 そして次の瞬間、蒸発するように消えた。
 私はしばらく、首だけ振り向いた形で茫然と立ち尽くしていた。
 消えた、のか……声にもならぬ呟きを漏らしたのは、何分後だっただろうか。
 足は、清められたのか?
 奴は、成仏したのか?
 もう、私は腰や尻を蹴られなくてすむのか?
 もう、足は私を許してくれたのか? 否、許すも何もないけれど――

 その瞬間、足はものすごい形相で戻ってきた。

 否、足は足しかないのだから、形相、というものがあるわけではない。
 だがそうとしか言えぬほど凄まじく怒り狂った様子で、足は復活してきた。
 そして前にも増して――正確に言うと前など足許にも及ばぬ勢いで、私を猛烈に蹴り直し始めた。尻を、腰を、背中を。
「いててててててて」
 足に取り憑かれてから初めて、私は痛みを訴えた。
 それまで、恐怖とか意味のわからなさは痛烈に感じていたものだったが、蹴りそのものはさほど強いものではなく、純粋なる痛覚というものを感じたことはなかった。
 ――ということに、その時私は気づいたのだった。
 それまでの蹴りは、

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

であったし今もそうなのだが、その時に限っては、

 ばきっ。
 がすっ。
 どかっ。

という表現が一番しっくりくる、そんな蹴り方だった。
 怒りに任せて、足は蹴っていた。
何すんだこの野郎!!
 まるで、そう言っているかのような蹴り方だった。

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