メリカは自分の手元を凝視した
メリカは自分の手元を凝視した。手は震えていた。……これは、なんだろう。……夢じゃない。現実なんだ……。メリカの手の中には、一枚のコインが握られている。銀色に輝く十セント硬貨だ。メリカはそれを見つめていた。その視線の先に何かあったわけではない。彼女の意識は過去に向けられ、現在を素通りしているだけだ。……思い出せ、思い出すのよ……。私は前にもこの光景を見ていた……。
メリカはハッとして、目線を動かした。……えっ……、……嘘……!? メリカは驚いて立ち上がった。その拍子に足を滑らせ尻餅をつく。痛みが襲ってくる。それでも彼女は立ち上がろうとしていた。彼女の視界に映るもの、それはとても奇妙で奇妙なものだ。メリカはそれに釘付けになった。
***
ランフォード博士の研究室はいつも同じ匂いで満ちていた。メリカはこの場所が好きだった。
その部屋に、一人の若い男が入ってきてメリカに尋ねた。メリカと同年輩だ。メリカはその若者を見て微笑んだ。
――いらっしゃい、待ってたわ、アルヴィン・ランフォード君。
メリカは彼に向かって両手を広げた。
――待っていたわ、ずっと……。さあ、こっちに来て……。一緒に遊びましょう……。
***
ランスロットは、床に転がるメリカの姿を見つけて慌てて駆け寄った。メリカを抱き起こして脈をとる。大丈夫、息をしている。死んではいない。……しかし、なんて無茶をする子だ。ランスロットはため息をついた。アルヴィン・ランフォードとメリカは同じ施設で育った幼友達だった。二人は年が同じということもあり、兄弟のように仲が良かった。二人は親友だった。ランスロットとメリカが別れるまでの数年間を、彼らは共に過ごした。
しかしある日を境に、二人の関係は変わった。ある事件をきっかけに、二人はお互いを避け合うようになった。二人とも自分のせいだと分かっていたが謝ることができなかった。気まずくなったまま離れ離れになり、再会することは二度とないだろうと思われた。それから長い時間が経った。二人は別々の道を歩むようになっていた。
***
メリカの呼吸は落ち着いているが、ぐったりとしたまま動かなかった。ランスロットは彼女に呼びかけた。
――メリカ、起きなさい。こんなところで寝たら風邪を引くよ。
メリカの瞼が動いた。目が開いた。
メリカはぼんやりとした表情を浮かべている。しばらくして、ようやく状況を把握したのか、驚いた様子で辺りを見回した。
――ここは? ランスロットが答えた。
――僕の研究所だよ。君はここで眠っていたんだ。
メリカの顔から驚きが消えた。安堵しているようでもあった。メリカの唇が動いた。
――そう……。よかった……。……私ね、変な夢を見ていたの……。
メリカはポツリポツリと言葉を紡いだ。ランスロットは相槌を打った。
――そうか……。どんな内容だい? メリカが言った。
――うん……。昔の話……。私たちがまだ子供だった頃の……。――昔? ああ、そうだね……。
ランスロットが苦笑する。
メリカが訊いた。――あのね、あなたがここに来る前の事だけど……。私の名前ね、実はね、アルフォンスがつけてくれたものじゃないの。
メリカは続けた。――アルヴィンっていう名前は、本当はね、別の人がくれたものだったの。私ね、それをすっかり忘れてしまっていたの。……アルフォンスはそのことを知らなかったと思う。だから、アルフォンスには言わないでほしいの。……お願いします。
そう言って、メリカは頭を下げた。
***
あれは何年前の出来事だったろう?メリカ・リリスは思い出そうとしたが、よくわからなかった。彼女はもう大人になっている。
あの時と同じ部屋だった。
――ここは君の好きな場所だ。そして僕たちの思い出の場所でもある。
そう言う彼の口調も当時のままだった。
「思い出? 毒親に虐待されて順応する。それが思い出?」
私は皮肉を込めて言いました。彼は悲しそうな表情を浮かべています。彼の瞳の中に自分が映っているのが見えます。私はそこに、かつて自分であったものを見出しました。私の肉体は既に失われてしまったはずなのに、不思議です。今見ているものは記憶の中の風景に過ぎないのですから。私が人間をやめたのは、私が子供の頃、交通事故に遭い、両親を亡くしてからすぐのことでした。
――お前は事故にあったんじゃない! 捨てられたんだよ! 私が病院で目覚めると両親は既にいなかったそうです。彼らの死の原因については何も知らされていません。私を捨てたから死んだのだという人もいますが、本当のところは分かりません。
――まぁ、どちらにせよ、今のお前は人間じゃない! いい加減認めろ! お前は出来損ないなんだ! 私を叱咤した医師はそう言っていました。そう、この人は、確かにそういう人だった。
――お前は失敗作だ。欠陥品だ。お前は人じゃない。お前はゴミだ。お前はクズだ。人間以下の存在だ。
医師は毎日のようにそう罵りました。私に暴力を振るうことはありませんでした。ただ罵倒しました。私は反論することもできず、黙って耐えていました。それは何日も続きました。私が反応しないことに苛立った医師は、ある日、刃物を持ち出してきました。その時、彼はこう言っていたと思います。
――そうだ、これで刺せば殺せるじゃないか! ――そうだ、これが俺の仕事だ!
――そうだ、こいつは人じゃない!
――そうだ、こいつを殺してやるんだ! 私は殺されると思いました。
――そうだ、そうすれば俺は自由になれる!
――そうだ、そうだ!
――そうだ、そうだ!
――そうだ、そうだ!
――そうだ、そうだ……!
――そうだ……!! そうだ……! 私は怖くて泣き叫びました。
――そうだ!
――そうだ……!
――そうだ……! その時、彼が手に持っていたものが床に落ちました。
彼はそれを踏み潰してしまいます。プラスチックケースが割れて小さな虫が出てきました。ブゥゥゥン。
その羽音に彼は怯えます。「うわああ。やめてくれ。刺すなぁああ」
彼は慌てて私から離れて部屋を出て行きました。私は呆然としたままベッドの上に座り込んでいます。
しばらくして、扉の向こうで物音が聞こえなくなりました。私は部屋を出ることにしました。私は裸足で廊下を歩きました。途中で誰かとすれ違います。白衣を着た男です。その男は私の方を見て笑いかけます。
私は思わず後ずさってしまいます。私は急いで階段を下りて外に出て、そのまま逃げ出してしまいました。
***
外はとても寒い冬の夜でした。空気は冷たく乾燥しています。雪が降っていました。空を覆った厚い雲の隙間から星が見えることもあれば、月や星の光が全く届かない真っ暗な夜のこともありました。
病院の外に出た私は当てもなく歩いていきます。寒さで手が凍えて痛くなり、疲れて歩くことができなくなるまで、ずっと遠くを目指していました。私はふと我に返り、自分がどこにいるのか分からなくなってしまいました。周囲を見ると、街灯が照らす歩道の向こう側にコンビニがあるのを見つけました。店内の照明が明るく、とても暖かそうな場所でした。あそこで休憩しよう。
コンビニに入る直前、私はガラス窓を眺めました。するとそこに、私自身が写っていました。