195章 心の苦しみ
扉を開けると、ミライが立っていた。
「アカネさん、失礼します」
「今日はどうかしたの?」
「昨日の出来事が、頭から抜けないんです」
殺人未遂事件で苦しんでいるのは、腹部を刺された当人だけじゃない。事件の起きた場所にいた、たくさんの人間に暗い影を落とした。
「アカネさん、体温をもらいます」
ミライは体を寄せる。彼女の体温からは、心の苦しみがはっきりと伝わってきた。
「アカネさん、3日くらい泊めてくれませんか」
希望をかなえてあげたいところだけど、宿泊できる人数に限りがある。ミライの希望には、添えそうになかった。
「コハルさんのリハビリに付き合っているから、当分は難しいと思う」
「コハルさんはどのような人ですか?」
アカネが小さい声で話をすると、ミライは相槌を打っていた。
「なるほどです」
「せっかく来てもらったけど・・・・・・」
「わかりました。すぐに帰ります」
本心を押し殺して、よい自分を演じようとしている。その姿を見ると、胸を締め付けられるかのようだった。
ミライが引き返そうとすると、コハルが声をかける。
「超一流の絵描きである、ミライさんですか?」
コハルの声に、ミライが反応する。
「超一流かはわからないけど、名前はあっています」
コハルは消え入るような声で、
「ミライさんに絵を描いてもらいたいです」
といった。心の中の不安がはっきりと伝わってくる。
「いいですよ。絵を描かせていただきます」
ミライの了承を取り付けたあと、コハルはキャンセルしようとする。
「すみません、今の話はなかったことにしてください」
「コハルさん、どうかしたんですか?」
キャンセルしようとした理由は、非常にわかりやすいものだった。
「5万ゴールドしかもっていません。それゆえ、絵の代金を払えません」
絵の一枚あたりの相場は、500万ゴールドから1000万ゴールド。5万ゴールドでは、絵を描いてもらうのは不可能である。
絵を欲しがっている女性に、手を差し伸べることにした。
「お代については、私が払うよ」
コハルの瞳がきょとんとする。
「アカネさん・・・・・・」
ミライに交渉を持ち掛ける。
「ミライさん、1億ゴールドでどうかな」
コハルが金額に反応する。
「1億ゴールド?」
「コハルさん、どうかしたの?」
「あまりに大金だったので、びっくりしてしまいました」
大金を稼げることもあってか、金銭感覚は麻痺している。お金が無くなるまでには、正常な状態に戻したいところ。
お金を払おうとしている女性に、コハルはストップをかけた。
「申し出はありがたいですけど、やめたいと思います。アカネさんに、これ以上の迷惑はかけら
れません」
お金を払ってしまうと、コハルに罪悪感を植え付けることになる。今回については、お金を払
わない方がよさそうだ。
依頼は破綻したと思っていると、
「コハルさん、1万ゴールドでいいですよ」
と、ミライが助け舟を出した。
「ミライさん、いいんですか?」
「はい。今回だけの特別大サービスです」
絵を入手できると知って、コハルは無邪気に喜んでいた。
「ミライさん、ありがとうございます」
コハルは絵の代金を渡した。
「ミライさん、1万ゴールドです」
「ありがとうございます」
1万ゴールドを受け取った女性は、感慨深い表情になっていた。
「ミライさん、どうかしたの」
「アルバイトをしていたときのことを、思い出してしまいました」
「セカンドライフの街」の時給は、500~700ゴールドといわれていた。14時間以上の労働をしなければ、1万ゴールドに届かない。
「コハルさん、どんな絵がいいですか?」
コハルは要望をざっくばらんに伝えた。
「気分が明るくなれる、絵を描いてください」
「わかりました。明るくなれるような絵を描きます」
ミライは鞄の中から、画用紙、筆を取り出した。
「アカネさん、部屋を使ってもいいですか?」
「好きなところを使ってね」
ミライは絵の掛けそうな場所を見つけると、ゆっくりと椅子に腰かけた。