第二話
着替えて外に出て少しすると、先ほどとは違う和服姿の人たちが、たとう紙を手に現れ、私たちの目の前に何点ものあでやかな振袖や、結婚式を思わせるような色打掛などたくさんの着物を飾ってくれる。
話を聞けば『膳』も入っているテナント棟の高級呉服店の方だった。
あまりの準備の速さに、驚きをかくしきれないまま、私はその着物に目を向けた。
「結衣はどれがいい?」
光輝さんも何点もあるとてもいいものだろう着物を眺めている。
あくまで主役はお父様である社長、そして副社長である光輝さんだ。
しかし、その場に呼ばれていく、光輝さんのパートナーで行くとなれば、それなりの物も必要だろう。
地味過ぎてもいけないし、派手過ぎてもいけない。
そう思いながら見ていると、ひと際目を引く着物に目がいく。
黒地に鹿の子絞りと金彩の流れるような束ね熨斗に、牡丹の花があしらわれたもので、上品だが華もある。
「光輝さんはどれがいいと思いますか?」
そんなことを思いながら、尋ねると光輝さんは『これかな』と私と同じ振袖を選んでくれる。
嬉しい気持ちで、私はスタッフの方に頷いて見せた。
簡単に着つけてもらえば、なんとなく自分でも一番しっくりする気がする。
真っ黒の髪も、瞳も父と母から受け継いだもので、一見地味に見えるが、こうして着物には自分でもいうのも何だが、似合っていると思う。
そうは思うも、光輝さんの反応が気になってしまい私はチラリと視線を向ける。
嬉しそうな、眩しそうな瞳を向けられていて、私は聞かなくてもなんとなく光輝さんの言うことが想像できてしまい、それだけでドキドキしてしまう。
「結衣」
またもや、甘い声でこれ以上言われてしまっては、私は平静でいられない気がして慌てて声を出す。
「これにします! お願いします」
そのセリフに光輝さんは目を丸くしたあと、クスクスと笑いながら頷いた。
そんな私たちをスタッフさんたちが、不思議そうな面持ちで見てきて私は更に恥ずかしくなった。
週末、私は立派なホテルの広間の一室の隅で、あの艶やかな振袖を着て立っていた。
記者会見場となっているその場で、プロジェクトの内容を堂々と話す光輝さんは本当に素敵だ。
しかし、これからの事を考えると、胃がキリキリ痛む。
この後のパーティーは、外部の招待客も多いし、会社の幹部も多くいらっしゃる。
そしてなにより、私との付き合いを反対をしていた社長であるお父様と、今日初めてきちんとお会いするわけで。
初めのような契約だけのときならば、もしうまくいかなかったとしても仕方がない、それだけだったが、今は私自身が未来の光輝さんと一緒にいたいと願ってしまっている。
こんな何もない私を認めていただけるのだろうか。
壇上の光輝さんを見つめながら、私はキュッと唇を噛む。
そんなことを考えている間に、記者会見が終わったようで光輝さんが歩いてくる。
「結衣お待たせ」
初めて会った時では考えられないだろう。仕事中なのも忘れているのか、光輝さんは甘い微笑みを浮かべた。
そんな光輝さんを、部下だろう記者会見の仕事をしていた社員の方が呆然と見ていた。
「副社長、お急ぎください」
「ああ」
そんな社員達の中を、西村室長が冷たい表情で歩いてくるのが見え私は頭を下げた。
「お疲れ様です。いろいろと大変お世話になりました」
今日までたくさん手配をしてもったお礼を静かに伝える。
「いえ」
クイッとシルバーフレームのメガネに手を触れた後、西村室長はジッと私を見た。
「最近社内でも副社長の雰囲気が変わったともっぱらの噂ですよ。相変わらず仕事には厳しいですが。貴方のおかげですかね」
最後は初めて見たかもしれない、微笑みを浮かべた西村室長の言葉が私も素直に嬉しかった。
「西村うるさい」
照れかくしのように光輝さんは言うと、そっと私の手を取った。
「さあいこうか」
時間もギリギリの為、きっとパーティー会場はもうたくさんの人だろう。
ホテルのスタッフの方に案内され私たちは、大広間へと移動している途中で光輝さんが足を止めた。
「少しだけ時間をくれ」
「副社長!」
慌てたように声をあげた西村室長だったが、仕方がないと言わんばかりに大きくため息を付いた。
「10分だけです。それ以上は無理です」
静かに言うと、光輝さんは小さく頷き私に微笑みかけた。
「少しだけ話したい」
こんな大切なパーティーの前なのに、いったいどうしたのだろう。
何か大変なことが起きたのだろうか? さらに不安になった私の手を光輝さんがスタッフの人に頷くと、目の前の大きな扉が開いた。
「え?」
私はその場所に声を上げた。そこには大きな祭壇があり十字架が見える。
「チャペル?」
単語を並べる私に、光輝さんがゆっくりと私の手を取って真っ赤なカーペットを歩いて行く。
「忙しくてなかなか話もできなくて当日になってしまった。でも結衣ときちんと話をしたくて場所を借りた」
チャペルにドキドキするも、「話をしたい」その言葉に嫌なことかと不安な過ぎる。
ジッと私の顔を見つめていた、光輝さんが大きく息を吐く。
「契約を終わりにしたい」
「終わり……?」
確かに気持ちを確かめ合ったものの、付き合うとか将来の話をしたわけではない。
やはりお父様に反対をされたのだろうか。泣きたくなりそうな私に、光輝さんは少し苦笑する。
「チャペルに振袖じゃ、ちょっとカッコ付かないけど許して」
そう言うと光輝さんは祭壇の前で足を止めて、光輝さんはポケットから小さな箱を取り出した。
「住吉結衣さん、僕と結婚してくれませんか」
え……?
悪いことばかり考えていた私は、言われた意味がわからずに、きれいな光輝さんの顔をぼんやりと見つめた。
「終わりじゃなく?」
呟くように言った私に、今度は光輝さんが不安げな表情を見せる。
「結衣は終わりたかった?」
「違います! だって、まだまだお父様のこととか問題もあるし、契約を終わりって言うし」
泣いたらせっかくの化粧が崩れてしまうと、キュッと唇を噛むと光輝さんが私の唇にそっと触れる。
「親父が反対しようが、俺はもう結衣しかいらないし、一生一緒にいたいと思ってる。結衣だけを愛してる」
そこまで言われて、ようやく光輝さんの言葉が心にしみわたる。
「私も一緒にいたいです。光輝さんが大好きです」
そこまで言うと、光輝さんが満面の笑みを浮かべて、箱を開ける。ブラックの美しい箱の中からは、ダイヤモンドがちりばめられた素敵な指輪。
「うそ……」
「きちんと俺が選んだから」
そう言いながら、光輝さんは私の左手を取ると、ゆっくりと薬指にはめてくれる。
「きちんと俺の婚約者として、今日みんなに紹介したかった。結衣は何も心配しなくていいから、俺の隣にいろ」
自信に満ち溢れた光輝さんに、私はうれしくて涙が零れそうになる。
その涙をそっと光輝さんの指が拭ってくれる。チャペル前でタキシード姿の光輝さんと振袖の私。
「きちんとした衣装で結婚式しような」
そう言いながら光輝さんの顔が近づいてきて、ゆっくりと私も目を閉じる。
「もう時間だ!」
バンと大声で入ってきた西村室長に、私たちは驚いてその方を見る。
そして二人で顔を見合わせて、笑いあう。
「行こうか」
「はい」
しっかりと握られた手を私も握り返した。
さっきまで緊張と不安しかなかった私だったが、今はもう不安はなかった。
大きな木製の扉が開くと、中にはたくさんの人が集まっていた。
「少しだけ待っていて。西村一緒にいて」
それだけを言うと、光輝さんは私を安心させるようにゆっくりと私に語り掛けた。
そんな光輝さんに、私も頷くと気合をいれるように背筋を伸ばす。
何もない私だが、なるべく光輝さんの恥をかかせることは避けたい。
そんな思いで、社長の隣へと歩いて行き、挨拶をする光輝さんを見ていた。
「姉貴」
「え? 寛貴?」
立食パーティーの為、だれが来ているかわからなかった私だったが、聞こえた声に驚きを隠せない。
「え? なんで。どうしたの、こんなところで」
てっきり知っていたと思ったのだろう。寛貴は怪訝そうな表情を浮かべた。
「それこっちのセリフなんだけど。光輝さんから聞いてないの?」
コクコクと頷くと、寛貴はなにか思い当たることでもあるのか、大きくため息を付いた。
「まったくあの人ってサプライズ好き好きだろう…」
そういいつつ、壇上の寛貴さんに目を向ける。
挨拶も終わり、各々歓談が始まると、チラチラと私に視線を向ける人もいた。
「あら、あれだけ忠告したのによく来れたわね」
そんな中、派手な赤のドレスを着た加納さんが私の方へと歩いてくるが解り、私は心の中でため息をつく。
やはり出席してるよね。そう思っていると今の言葉に寛貴がかなり怪訝な表情を見せる。
「なに、この女」
加納さんに視線を送りつつ小声で私に問いかける。
「アミタスの加納社長のお嬢様よ」
「え?」
寛貴の表情がピシッと険しいものに変わる。
「瑠璃子。どうしたんだ?」
あ……。
6年前に見たあの時より、かなり老いた印象があるが、私はその人がすぐにわかった。
同情しつつも、私達兄弟を完全にアミタスから引き離した人物だ。
「おや、君たちはもしかして」
少し驚いた表情を見せた加納社長。
まだ私たちを覚えていたことに驚きつつ、私はゆっくりと言葉を発した。
「ご無沙汰しております」
「結衣お嬢さん、寛貴坊ちゃんお久しぶりですな」
その言葉に、隣にいた瑠璃子さんは驚いたように加納社長を見た。
「パパ、知ってるの?」
「ああ。まあ」
言葉を濁したところで、周りが騒がしくなった。
「結衣」
後ろから聞こえた大好きな声に、私はゆっくりと振り返った。
「高遠社長!」
加納社長が慌てたように、いきなり頭を下げて私の横をすり抜けていく。
「結衣さんね」
お父様の後ろに、和服を着た上品な女性がいて、すぐに光輝さんのお母様だとわかる。
目元が光輝さんそっくりだ。
「初めまして、住吉結衣と申します。ご挨拶がおそくなり申し訳ありません」
婚約をしているといいつつ、ずっと会うことすらしていなかった私は無礼を詫びた。
「謝らないで。全部光輝が悪いのよ」
「え?」
意外なセリフに私は驚いて顔を上げた。
その横で、何やらこの場にふさわしくない言葉が聞こえてきて、私はお父様と加納社長に視線を向けた。
「加納社長、これを説明頂けるかな」
光輝さんよりも、更に鋭い言葉遣いでお父様が言うと、差し出された資料をみて、加納社長が真っ青な顔になる。
「それにうちの大切な嫁を苦境に追いやったことも調べ済みだ。君の進退については追って連絡する」
それだけをいうと、お父様はあっさりと加納社長の横をすり抜け私の横へとやってきた。
「結衣さんだね?」
「初めまして、住吉……」
「申し訳なかった」
名乗っている途中に、いきなりお父様に頭を下げられるし、お母様にも謝られるし何がなんだかわからない。
「あの、どういう意味か」
こんな晴れの場で、この場この人たちに頭を下げたれ、私はもうパニックだ。
「困っているので、それぐらいにしてください」
ため息交じりに光輝さんが言うと、ご両親二人がキッと光輝さんを睨みつける。
「それもこれもすべてお前のせいだ」
「それはわかっています」
ご両親にそう言うと、光輝さんは私を見た。
「結衣、全部説明したんだ。だからもう何も心配はない」
その言葉に私は驚いてしまう。まさか契約のことやすべて話をしたなんて。
「昔からあまり感情をあらわさない子で心配していたけど、最近は幸せそうだ。それもすべて結衣さんのお陰だ。これからも息子をよろしくお願いします」
まさかこんな風に言ってもらえるなんて思っていなかった私は、涙をこらえて頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
それから、お父様たちは関係者の方たちに、自慢げに私のことを婚約者と紹介してくれた。
50周年パーティーはさながら私たちの婚約パーティーになってしまったが、温かい祝福を受けて、私はとても幸せだった。