第四話
「光輝さん?」
意味が解らず問いかけると、窓際でなにやら話をしている。寛貴にいきなりどう説明しているのだろう?
ハラハラしながら光輝さんを見ていると、自分のスマホを手にしつつ何やら話をしていてが、チラリと私を見るとニコリと微笑んでこちらに戻ってくる。
「じゃあ待ってる」
その言葉を最後に光輝さんは通話を終了すると、私の手にスマホを乗せた。
「光輝さん寛貴は?」
不安げに聞いた私に、光輝さんはポンと私の頭に触れる。
「ここに来るよ」
「いいんですか?」
家もないし、どこかのカフェで会って、寛貴とホテルにでも泊まろうと思っていた私は驚いてしまう。
「あたりまえだろ? 結衣の大切な家族だ」
優しく言ってくれた光輝さんに、心が温かくなる。
しかし、二人で生きてきたこともあり、シスコン気味の寛貴だ。
今の状況にどんな反応をするのか……。
そんな私の気持ちが分かったのか、光輝さんが言葉を続ける。
「すごく心配をしてたし、俺こそきちんと寛貴くんに説明して認めてもらわないとな」
「光輝さん……」
その言葉に、私は嬉しくて涙が零れ落ちそうになる。光輝さんと一緒にいるようになって、いろんな感情が自分にあったのだと気づく。
ただ、がむしゃらに生きていた頃には感じる余裕がなかったのかもしれない。
光輝さんの柔らかな表情に、光輝さんにとっても私がそんな存在になれていたらいいな。
そんなことを心から思った。
「寛貴くんの泊る準備してもらうよ」
光輝さんは私に微笑むと、どこかへ電話を始めた。
光輝さんはすぐに戻って来ると、私に優しく微笑みかけてくれる。
さっきのことが夢ではないと分かり、私も自然に笑みが零れるも、加納さんのことを思い出す。
そんな私に気づいたのだろう、光輝さんはそっと私の手を取りソファーへと向かう。
「寛貴くんが来るまで少し話をしよう」
私もこのままではモヤモヤしてしまうと、同意するように光輝さんを見た。
「加納さん、光輝さんと結婚するって、私との偽装結婚も知っていたし……」
「え? いつ勝手に聞いたんだか……」
そう言いながら、いつものリラックスした光輝さんは、大きなため息を付きながらソファーへと身体を沈めた。
私もちょこんとソファーに座り、そんな光輝さんに視線を向けた。
「加納瑠璃子、製薬会社大手のアミタスの社長の娘なんだ。今度TAグループがアミタスを合併、まあ事実上吸収合併のようなものだから立場を対等にしたいんだろうな……それに加納社長には黒い噂も絶えないし……」
「ちょっと待ってください! 加納さん、アミタスの人なんですか?」
私は今までの甘い気持ちが吹き飛びそうなほどの驚きに、光輝さんに詰め寄ってしまう。
「結衣?」
そんな私に驚いたのだろう。光輝さんが目を丸くする。
今光輝さんに聞いたことがグルグルと頭を廻っていると、光輝さんはそんな私に困惑しつつも話を続けた。
「それで今度、アメリカから急に帰国し、無理に秘書課に来ると勝手にやってきて。俺がその必要はないといったんだが……その後西村と話を盗み聞きしたのかもな」
その言葉に、私は光輝さんを見た。
「私じゃパーティーの相手が務まらないって話ですか? だから今週末なのに言わなかったんですか?」
不安げな顔をしているだろう、西村室長とこういう話をしたのだろうか。そう思うと気持ちがどんどん落ちて行く。
「違うよ。きちんと結衣に俺の気持ちを知ってもらってから、きちんとした婚約者としてパーティーに言って欲しかったんだ。いろいろな人がいて、結衣も嘘をつくのは心苦しいだろ? 俺だって正々堂々と結衣に気持ちを知ってほしかった。もし結衣に拒否をされたらきちんと結衣との関係を終わらせるべきだって」
そこで光輝さんは言葉を止めた。
「でも、いざとなったら今まで誰かに気持ちを伝えたこともなければ、結衣に拒否をされるのが怖くなって。ずるずると日にちだけが経ってしまった」
罰の悪そうな顔をして、光輝さんは苦笑して私の頬にそっと触れた。
「結果、加納さんにきっかけを作ってもらうことになったのは、よかったけど結衣を悲しませた。ごめん」
真摯に伝えられた言葉に、心が温かくなる。
「そうだったんですね……」
きちんと私のことを考えてくれたことが嬉しくて、勇気をだして光輝さんの腕の中に身体を寄せる。
しっかりと光輝さんが抱きしめてくれたことで、ようやく心から安堵できた気がした。
「でも、加納さん、お父様同士が親友で、光輝さんともずっと知り合いみたいに言ってましたけど。本当ならば、またお父様に反対をされるのではないか。
そんなことが頭をよぎる。
「は? 彼女がそんなことを? 親父同士が親友なんてことは全くないし、彼女となんて面識はない。むしろ親父が親交があったとすれば、昔の社長とだけだ」
「そうなんですか? 光輝さんのお父様と……。それにしても加納さんがアミタスの関係者だなんて……」
腕の中でぼんやりと言葉を発すると、光輝さんが私の顔を覗き込む。
「さっきから結衣、アミタスのこと知っている感じだけど何かで知ったの?」
「ああ、言ってませんでしたよね。私アミタスの創業者の娘だったんで……」
そこまで言ったところで、光輝さんがガバッと私を放して肩を掴む。
「ちょ! 光輝さん?」
「なんて言った! 結衣、あの住吉社長、あれ?住吉結衣?」
光輝さんはかなり興奮しているようで、言葉がめちゃくちゃだ。
そこへインターフォンが鳴る。寛貴がくることをハッと思い出して私は立ち上がった。
光輝さんはまだ興奮なのか、呆然としているような感じだった。
インターフォンに映る寛貴は少し前会った時より大人びて見えた。
少しして玄関を開けて待っていると、エレベーターから降りてくる寛貴はかなりムスっとして私を睨みつける。
「どういうことだよ」
光輝さんも高いが弘樹も180cm近くあり、いつもは愛嬌のある二重の瞳が私を睨みつける。
「これにはいろいろあったのよ……」
「俺の為に無理はするなっていってあったよな!」
かなり怒気の含んだ寛貴の言葉から、本当に私のことを心配してくれていたことがわかる。
「寛貴、本当にごめんね……」
泣きそうになりながら、寛貴に謝った私の後ろから声が聞こえる。
「結衣、中に入ってもらって」
いつの間にか玄関まできていた光輝さんは、寛貴の真正面に立つと真面目な表情を見せた。
「君にも本当に心配をかけて申し訳なかった。きちんと説明させてくれるかい?」
できる男と言った雰囲気の光輝さんに、寛貴は一瞬何かを言おうと口を開きかけて、それをグッと止めると「おじゃまします」と靴を脱いだ。
光輝さんは私を安心させるように、柔らかな笑顔を向けてくれる。
二人で先に歩いて行く後姿を見ながら、私も不安を拭いきれないまま着いていく。
光輝さんに促されて、ダイニングテーブルに座った寛貴に、光輝さんは今までの経緯の説明と謝罪をしてくれた。
三人分のお茶を持って、私も寛貴の横に座る。
「本当にごめん、寛貴には余計な心配をかけたくなかったの」
頭を下げた私に、寛貴は小さく息を吐いた。
「俺が何も言えないのわかってるだろ? 姉貴に一目ぼれしてあのおんぼろアパートから連れ出してくれた人に。でも、姉貴一つ確認」
そこで、寛貴は私の顔をジッとみた。
「光輝さんの気持ちはきちんと聞いた。でも姉貴の気持ちは聞いてない。ちゃんと光輝さんのこと……」
それ以上は家族間で言いにくかったのか、寛貴が言葉を濁した。
ここはきちんと私も言うべきだろう。
そう思うと、私は息を吸い込んで呼吸を整えると寛貴を見た。
「うん、きちんとお姉ちゃんも光輝さんのこと思ってるから大丈夫」
そう言うと、寛貴は少し複雑な表情を見せた後、私の昔から大好きな笑顔を向けてくれた。
「よかったよ。姉貴、親父たちがいなくなってから、俺の為だけに生きてきたから。これからは幸せになってよ」
それだけを言うと、寛貴は席を立とうとした。
「寛貴?」
「二人の家なんかにいられないだろ? どこかホテルでも探すよ」
そう言った寛貴に私が声を掛けようとすると、光輝さんが「待って」と寛貴を止める。
「結衣の家族を追い出す様なことするわけないだろ? 今日はこのレジデンスのゲストフロアに二人で泊って。久しぶりに姉弟でゆっくりすればいい」
「光輝さん……」
その優しさに、私が光輝さんを見つめると、寛貴は少しうれしそうな、それでいて照れ隠しのように、光輝さんを見た。
「いいの? 姉貴いなくてさみしくないの?」
その言い方に、私が慌てていると、光輝さんは声を上げて笑い出した。
「寛貴、これからは俺のことも兄貴と思って何でも言えよ」
男同士というのは、距離を詰めるのが早いのだろうか?
いつの間にか、視線で会話をしている様な二人に、更に幸せな気持ちになった。
その後、三人とも夕食を食べていないことに気づき、パパっと用意をしてテーブルに並べる。
育ち盛りなのだろうか、どんどんと目の前から消えるおかずを私はぼんやりと見ていたが、食べている間も寛貴と光輝さんはいろいろ話をしているようだった。
私もそんな二人を見ながら、幸せな気持ちでご飯を口に入れたところで疑問がわいた。
「そういえば寛貴、大学は大丈夫なの?」
そう、今日は平日だ。
「ああ、実は教授のお供もかねてるから、明日はセミナーに行く。教授は明日の朝の移動だけど、俺は姉貴の様子を見に早く来た」
「そうだったの」
それならばよかったとホッと胸をなで下ろす。
「セミナー?寛貴は大学はどこ?」
光輝さんもようやくリラックスしたように、ビール片手に寛貴に問いかける。
「K大の薬学」
作り置きしてあった豚の角煮を頬張りながら、淡々と答える寛貴に光輝さんは驚いたような表情を見せる。
「すごいな、難関中の難関だろ」
「親父の懇意の教授がいたからどうしても行きたくて。姉貴には本当に迷惑かけた」
箸を置いて、珍しく真面目に言った寛貴に、私は小さく首を振る。
「やりたいことがあることは大切なことだって言ったでしょ?」
クスクスと笑いながら言った私に、光輝さんは寛貴をジッと見つめた。
「それはお父様の意思を継ぎたいってことか?」
その言葉に、寛貴はピクッと一瞬動きを止めた。
私はそんなことを一ミリも考えたことがなく、寛貴に視線を向ける。
「光輝さん親父のこと知ってるの?」
口に入っていたものをごくりと飲み込むと、寛貴は箸を置き真剣な瞳を向けた。
「あの時だいぶニュースになったから」
「そう」
悲し気な表情を浮かべた光輝さんに、寛貴は表情を変えることなくそれだけを言うと、食べるのを再開した。
確かにあの頃、私自身が両親の死を受け入れることが出来ず、途方にくれていた時期だ。
寛貴もまだ小さかった。父と同じ道に行きたいと言ったときは、やっぱり血は争えないのかな。
そんな程度しか思っていなかった。
しかし、まさか寛貴がお父さんの背中を追いかけていたなんて全く知らなかった。
「寛貴、きちんと勉強しろよ」
光輝さんはそれだけを言うと、ポンと寛貴の頭に触れた。
「やめろよ、子供扱いするなよ」
ブツブツ言いつつも、兄弟のようにすぐに打ち解けた二人に私はホッと息をついた。
「先にそのゲストルームに行ってる。まだまとめたい資料もあるし」
変な気を遣ったのか、寛貴は持っていた荷物をもつと出て行ってしまった。