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第五話

「お父様に認められるために、努力されてるんですよね? 仕事の時とは別人のようでまだ戸惑ってしまします」
素直に言った私に、なぜか副社長はハッとしたような表情をした。

「寝起きで気が緩んだな……こうしていると若くみえるよね? 俺もう29なのに」
自分の髪に触れながら、副社長は私を見ると恥ずかしそうにした。
私よりも年上なのはわかっていたが、こうしていると同じぐらいにも感じる。

「そうですね」
素直に認めると、まじまじと綺麗すぎる副社長の顔を見た。童顔とまではいかないが確かにこのままでは会社の副社長としての威厳はない。

「だよな」
私の答えに副社長は呟くように言って大きく息を吐いた。

「そう、こっちが素だよ。仕事では若くして副社長に就任したから、親の七光りだの敵も多くていつも気が抜けなくて。初めて会った日も怖がらせたよね。ごめん。会社でいるときはいつもああだから」

真摯に紡がれた言葉は、本当なのか嘘なのか、まだわかるほどこの人の事を知らない。

でも……。
なぜか孤独見えるその人に、私は同情したのかもしれない。

「私が婚約者を演じることは、副社長のメリットになるんですか?」

「え?」
意外な言葉だったのだろう。副社長は反射的に私を見た。

「だって、令嬢でもなんでもないですよ。どういうつもりで私の家まで来たんですか?」

「それは……」
そこで言葉を止めると、副社長はギュッと自分の手を組むと唇を噛んだ。


「親父に色々言われたから、余計に君が婚約者だと言いたかったことは否定しない。子供っぽい反抗だと君は思うだろうな」
副社長は自嘲気味な笑みを浮かべた、
「でも俺はあの時の君の完璧な通訳と、立ち居振る舞いに惹かれたのは事実だ。俺の婚約者を演じられると確信したのもの嘘じゃない。だから咄嗟に相手が君だと言った。それは信じて欲しい」


裏表があるこの人を信じれるほど、何も知らない。それにこんな雲の上の人の婚約者など務まるわけがない。
そんなことはわかっている。

わかっているのに……。

「私でもお役に立てることがあるのであれば」
つい口に着いてしまった自分に、私は呆然としてしまう。
それは副社長も同じだったのだろう。

「いいの?」
確認するように言われ、私はそっと副社長を見ると、ダークブラウンの綺麗な瞳がそこにはあった。

「はい……」
そう答えたことを、後悔するのだろう。
自分でもそう思った。この気持ちが変化しないようにしなければ。
そう思いながら私はギュッと握りしめていたカップをジッと見つめた。

「とりあえずここに引っ越して」
その言葉に私は、「え?」と副社長の顔をみた。

「言い方が悪いけど、あんなところに住まわせておけない」
それはそうだろう。立場のある人の婚約者があんなボロアパートでは体裁が悪いだろう。
私の顔が曇ったのが分かったのか、副社長が声を上げた。

「違うよ、誤解はしないで。心配なだけだし、一緒に住んでいた方がリアリティがあると思わない?」
諭すように言われ、私は驚いて副社長の顔を見た。
「言葉が足りないって言われませんか?」
心底申し訳なさそうに、心配そうに私を見る副社長がなぜかおかしくて、クスリと笑って言うと、副社長は柔らかな笑みを浮かべた。

「言われる。だから結衣がこれからは注意して」
初めて呼ばれた名前と、その破壊力のある笑顔に、私は真っ赤な顔をしている気がする。

「でも、お父様へ反抗すると、また確執が産まれるんじゃないんですか?」
当たり前だが、これだけの人だ。きちんとした令嬢と結婚をするのが普通だろう。
決められた人生を歩むことは大変で、時には反発した気持ちもわかる。
それは大丈夫なのだろうか。

「そうかもしれない。確かに売り言葉に買い言葉だった……。でもきちんと考えるから。それまでの期間限定でいい。とりあえず月末にうちの会社主催のパーティーがあるんだ。それに同伴してもらえないかな、仕事だと思って。今以上の金額は約束するから」

お金の話が出ていきなり現実に引き戻される。あくまでビジネスとわりきればいい。
お金は必要なのは事実だ。自らやると言った上に、報酬が発生する仕事だ。

いきなりの大仕事に私はごくりと唾を飲み込む。
できるだろうか? 不安がよぎる。

「結衣なら大丈夫だよ。それに俺がいる。それに今は仕事に集中したいんだ。周りから見合いだの、せまられたりだの、余計なことに気を散らしたくない」

女避けってことか。それとも他に何かあるのだろうか? 
そうは思うも副社長の言葉に嘘はないように思える。
そして何より、私自身がその言葉を信用したくて、私は無意識に頷いていた。


翌日の土曜日、副社長あらため光輝さんとマンションへ荷物を取りに行く。
私としては契約が終わったあと、戻るだろうとそのままにしておくつもりだった。
しかし、光輝さんは大家さんの所へ行くとあっさりと解約手続きをしてしまった。

「困ります! 私は」
そこまで言ったところで、光輝さんは私に真剣な瞳を向けた。

「契約が終わっても、ここへは戻らない方がいいよ」
「でも、そんなことを言っても私にも事情が」
光輝さんはその言葉に、思案する表情を浮かべた。

「その時は、もう少しセキュリティのいい物件を探させるから。ね」
不動産もやっているTAコーポレーションラならばそれも可能かもしれない。

ふわりと柔らかく微笑む光輝さん。確かに、この場所にもう一度戻ることは不安しかない私は、ギュッと唇を噛んだ後小さく頷いた。

「俺の都合でこんなことをお願いしてるんだから、それぐらいはさせて?」
気持ちを軽くしてくれるようなその言葉に、私は本当にこの人が解らなくなる。
最初の頃の冷たい印象はもはやまったくない。

私は小さなワンルームに入ると、ほとんど持っていくものなどないが、衣類や化粧品、最低限の物をスーツケースに摘める。

「光輝さん?」
ふと正座をしている光輝さんに気づき、私はその方をみた。

部屋の片隅にある小さな両親の位牌に手を合わせてくれいる。

「ありがとうございます」
そっとその横に座ると、私は手を着いて頭を下げた。

「ご両親はいつ?」
「五年前です。ふたり仲良くあっさり事故で」
あの日から生きるのに必死で、遠い日のような思いで私は二人の写真を見つめた。

「兄弟は弟だけ?」
「はい、今は父の懇意にしていた教授のいる関西の大学へ行っています」
「学費の為に、「膳」でもアルバイトを?」
手を合わせ終わり、正座をしたまま私に向き合った光輝さんは静かに尋ねる。
「はい。大学を中退してすぐに仕事を見つけなければいけなかったので、派遣にとりあえず登録をして。それではやはり厳しくてこっそりと」
苦笑しながら言った私に、光輝さんはそっと私の頭に触れた。

「よくがんばってるな」
「え?」
意外な言葉と久しぶりの温かな手に、ブワっと涙がこみ上げる。
どうにか耐えようとしたが、そのまま張りつめていたものが途切れるように、涙が零れ落ちた。
「嫌だ……」

恥ずかしくて顔を背けてティッシュに手を伸ばそうとするも、その涙は光輝さんの指で拭われた。

「こんな無茶苦茶な頼みをした俺を信用できないかもしれない。でも婚約者の結衣を俺が今日からは守るから。結衣も少しずつでいい。俺のことを知っていって」
本当の婚約者ではない、いつか本物の結婚相手を見つけるだろう。
少し残酷にも聞こえたその言葉だったが、少しの間だけでもこの人のことを知りたい。
そう思ってしまった。

小さく頷いた私の髪をそっと撫でたあと、フワリと頬に流れた涙を拭う。

免疫がない私は驚いて頬に手を当てた。
「結衣、俺達は婚約者だよ。少しずつスキンシップにも慣れてくれる?」
かわいらしく聞かれて、私は緊張がほぐれる。子犬のようにじゃれているような光輝さん。

「わかりました」
素直に言葉を発すると、今度は光輝さんが照れたように慌てだす。

「ごめんごめん、気安く触れちゃった」

気恥ずかしい空気になり、私はお父さんたちの写真を直視できずそっと箱にしまう。

「結衣はご両親を持って。俺はこっちの荷物もつから」
光輝さんはそういうと、颯爽とスーツケースと手提げの荷物を持ち、玄関に向かう。
私ももう一度アパートを見回した後、ゆっくりと外へとでた。


黒のドイツの高級SUVの荷室に荷物をしまい、光輝さんに促されるまま助手席に座る。
「いろいろ本当にありがとうございました」
退去の手続きも、荷物の保管もすべて光輝さんが手配してくれた。

「これぐらい当然だよ」
カー雑誌の表紙を飾れそうな程、サングラスにハンドルを握る姿が様になっている光輝さんを盗み見る。

あの日、出会ったときはたった数日でこんなことになるとは思っていなかった。


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