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第二話

エレベーターを降りると、さながらホテルかと思う場所だった。
広いエレベーターホールには綺麗な花が飾られ、その奥の廊下には数個しかない重厚な扉があった。


「どうした?」
その圧巻の光景に私はしばし立ち止まっていたようで、前をあるく副社長が振り返る。

「いえ、すごいなって……」
正直な感想を言うと、副社長はとくに何も言わず歩き出した。

その様子に、私は慌てて前を行く副社長を置きかける。一件の扉に鍵をかざすと小さな機械音がして、その扉を副社長が開く。

「どうぞ」
紳士な対応は生まれ持ったものだろう。当たり前のようにドアを開けてスマートに私を中へと促す。
仕事と家事ばかりしていた私は、こんな経験はもちろんなく、落ち着かない。

「お、おじゃまします……」
噛んでしまった私をみて、副社長がクスリと笑い声をあげる。

こんな風に笑えるんだ……。そんなことを思いながら、ドアを開けている副社長を見上げた。
そんな自分に驚いたのか、バツの悪そうな顔をすると、副社長コホンと咳払いをした。

「いいから入って」
「はい」
私はその言葉に、靴を脱ぐと家の中へと足を踏み入れた。
長い廊下を抜けると、目の前には広いリビング、そしてその向こうには大きなテラスがありそこは木々が見えた。

そこは今まで見ていた冷たい印象の副社長の部屋とは思えないほど、落ち着ける空間でナチュラルな木を基調とした家具が並んでいた。

「大丈夫?」
家の中を見回していた私は、後ろから聞こえた声に我に返ると副社長に視線を向けた。

スーツのジャケットを脱ぎ、いつもきちんと絞められているネクタイを緩めながら、副社長は私を見ていた。

「え?」
何を大丈夫か聞かれたかわからず、私は聞き返す。

「いや、さっきの……」
その言葉に、あの男の感触がよみがえり、ギュッと腕を抱きしめる。
そんな私に気づいたのかもしれない。副社長はハッとしたように「悪い」そう言うと、私のそばへとやってきた。

「思い出させるつもりはなかった。けがはない?」
意外な言葉に驚く私の手首にそっと触れる。その行為に私はビクリと肩を揺らした。

「跡になってる。痛みは?」
今までは気が張っていたのかもしれない。手首が真っ赤になっていることに今更気づいた。

「痛みは……大丈夫です」
少し手首を曲げると、痛みがあるがたいしたことはなさそうだ。

その言葉に、副社長はホッとした表情を見せた。

本当にどっちが本当なのだろう? 会社で見たときとまったく違う表情に替え玉とか、双子なのではそんな気さえしてしまう。

もしくは、何か裏があるのか……。婚約者がどうとか言っていたし……。

何が何だかわからないし、隣の人には襲われるし散々な日だ。

「座ってて」
そう言うと、リビングに存在感を放っている大きなソファーに促される。
抵抗する気ももはや起きず私は、黙ってそこに腰を下ろした。


私が座ったのを確認すると、副社長はキッチンへ行くと冷蔵庫を開けるのが見えた。

「何か飲む?」
正直緊張をしていて何も飲んでおらず、私は素直に頷いた。

「なんでもいいです。お水でも……」
そんな私の声に、副社長は冷蔵庫の中を覗き込んでいた。

「聞いておいてなんだけど、水しかないな」
呟くように言った後、ペットボトルを持って戻ってきた。

「飲んでいて。手を洗ってくる」
私の手にペットボトルを乗せると、副社長はリビングを出て行った。

これからどうしよう。のこのこと着いてきてしまったが、このままここにいられるはずもない。
スマホを出してとりあえず安いビジネスホテルを検索する。

週末ということで、空きもあまり多くはないがなんとか泊まれそうなところはありそうだ。
何も持たずに出てきてしまったが、今日は家には帰りたくはない。

これからの事を考えると、不安で涙が零れそうになる。こんなとき両親がいてくれたら。
そんなことを思うも、どうしようもならない。

がんばらなきゃ。
頑張らなきゃ。
そう自分に言い聞かせ、何度か涙をこらえていると副社長が戻ってきた気配を感じる。

しかし、こんな顔を見られたくなくて、私は水を一口飲んでごまかした。

「こっち来て」
「え?」

てっきりすぐに話があると思っていた私は驚いて顔を上げた。
意外にもすぐそばにいた副社長に驚いて、私はすぐに視線を逸らす。

そんな私の手が暖かく包まれ、私は驚いて目を見開いた。副社長はそっと私の手を引いて立たすと歩き出した。

「あの……副社長? お話は……」
特に返事をすることのなく、長い廊下を歩いて行く。そしておもむろに扉を開けた。

「入って」
訳がわからなくて、恐る恐る中へと足を踏み入れた私だったが、その光景に唖然とした。

まるで高級ホテルの一室のようで、目の前には大きな窓がありキングサイズのベッドが置かれていた。

テレビも書斎もあり、この部屋に私のおんぼろアパートが二つは入りそうだった。


「こっちがバスと洗面台。ゲストがいつでも泊まれるようになっているか好きに使って」
洗面台の引き出しには、ミニサイズのシャンプーやコンディショナーを初め、ほとんどのアメニティが揃っていた。

その時インターフォンがなり、副社長が部屋を出て行ってしまった。

私はマンションの中にこんなゲストルームがあると思っておらず、ぼんやりとしてその部屋を見ていた。
もしかしてここを使っていいってこと?

そんなことを思っていると、副社長はなにやら紙袋を持って戻ってきた。


「コンシェルジュに頼んだから、好みはわからないがないよりましだろう」
そう言いながら、私に紙袋を手渡す。中を見れば入っているのが洋服や下着類だとわかる。
一見して高級品に見え、私は慌てて副社長にその紙袋を返す。

「こんな高級品、お支払いもできませんし、いただけません。どこかビジネスホテルにでも……」
そこまで言った私だったが、鋭い副社長の視線に言葉を止めた。

「あんなことがあった女性を俺が外に行かせる男だと思うのか?」
一気に仕事のときの鋭い瞳を向けられ、私は言葉を止めた。
「あいにく俺はそんな人間じゃない」
そこで副社長は大きなため息を付いた。

「悪い、うまく言えなくて。とりあえず今日はもう休んだ方がいい。いろいろあって疲れているだろう」
視線を逸らしながら言った副社長だったが、その言葉は優しくて体の力が抜けていく気がした。
確かに今はもう何も考えたくないほど疲れていた。

今からコンビニで買い物をして、ホテルを探して……。
考えただけで、ため息が零れ落ちそうだった。

グルグルと考えていた私だったが、上から降ってきた言葉に顔を上げた。

「何も考えずに今日は眠るんだ」
まるで子供に言ってきかす様なその言葉が、心に浸透していく。

「ありがとうございます」
呟くようになってしまったが、私はそう言うと頭を下げた。

「ああ」
その安堵を含んだ声音に、私はそっと副社長を見上げる。
「ゆっくり休め。何かあったら俺の部屋は前だから」
心配しているような、深いダークブラウンの瞳と私の瞳が交わる。
すぐに副社長は視線を外し表情を再び真顔に戻すと、クルリと踵を返して出て行ってしまった。

よくわからない。副社長の真意も、これからのことも何もかも。

そんなことを思いながらぼんやりとパタンと無機質な音を立てた扉を見ていた。


紙袋の中には肌触りのよさそうな部屋着と、明日の服だろう。
シンプルだが、きっと上品なものであろうワ濃紺のワンピースが入っていた。

その中から部屋着を出すと、浴室へと向かう。さきほど握られた気持ちの悪い感触を流したくて、私は熱いシャワーを浴びながら身体を洗った。


そのまま、何か考えないといけないことはあると思ったが、ふわふわのベッドとさっきの副社長の『何も考えずに眠れ』という言葉が暗示のように頭の中に響く。

副社長の声と共に吸い込まれるように私はゆっくりと夢の中へと落ちていった。

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