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第二話

大丈夫? 私で……。
そんな不安があったが、今は依頼されたことを遂行するのみと息を整えると、声を掛け障子に手をかける。

中へと入ると、いかにも偉そうな60代ぐらいの男性と、その横に先ほどの電話をしていた男性を初め数人のスーツの日本人の方がいらっしゃり、上座に海外の方とわかる男性が3人座っていた。

ゆっくりと近づき配膳のタイミングを計らっていると、外国人の男性二人がどうやらフランスの方だと分かった。

しかし言語が3か国語あるためが、会話がスムーズではない。

どうしてこうなったかはわからないが、外国人の方同士で話すときは基本フランス語を話していてるようだ。

「一人が英語ができなくて申し訳ないね」
イギリスの男性が申し訳なさそうに、TAコーポレーションの社長らしき人に謝っているのが聞こえた。

ああ、これはなかなか会話が進まなさそうだな……。

そんなことを思いながら、私はにこやかな微笑みを浮かべ先ほどのお盆を差し出した。

「これは?」
英語で聞かれたセリフに通訳の男性が私を見る。

梅酒であるということ、甘味のあり日本古来の美しいお酒であるという事を説明しながら、グラスにピンクの液体を注ぐ。

そのグラスを嬉しそうに手に取り、一口飲んだお客様は美味しいと笑顔を見せてくれた。

横に乗った鶴や毬を興味深く海外のお客様三人はフランス語で話をしている。
それを社長を初め、意味がわからないのだろうニコニコとしている。

そのことが、煩わしいのかもしれない。先ほど電話をしていたたぶん副社長であろうその人は、笑顔を張り付けながらも少し眉根を寄せていた。

「たいしたお話はしておられません。折り鶴が美しいとか、蹴鞠というものが日本にあるそんなお話です」
小声で副社長に声を掛けると、驚いたように睨みつけるような視線を向けられる。

「理解しているのか?」
そこには真剣な瞳があり、私は驚いて目を見開いた。

「いかがなさいましたか?」
あくまで丁寧に聞いた私に、その人は私の耳元で言葉を続ける。
「こっそり通訳しろ」
「え?」

意外なその言葉に私は唖然とした表情を浮かべていたのかもしれない。

「今すぐにだ」
その強引な物言いに、少しだけカチンとしつつも私は静かに言葉を発した。

「しかし仕事がありますので……」
「この店は俺の管轄だ。問題ない」
かなりの暴君ね……。

そんなことを思いながらも、アルバイトの身で何か言えるわけもなく。

そこに香織さんが部屋へと入って来るのがわかった。
耳打ちで一言二言二人が話しているのが解り、私は指示を待つように待機する。

香織さんが小さく頷いて私に視線を送るのが解り、私は覚悟を決めた。

こんな立場ある人の通訳など私にできるのだろうか?
そんな不安もあるが、きっとあきから通訳を手配しようと奔走していたのだろう。

私は配膳係という形で、静かにその場に待機を命じられ、フランス語で内輪の話をするのをこっそり副社長に伝えることを指示される。

お酒も入ってくると、海外のお客様も気が緩んできたのだろう。
かなり際どい会話も飛び出す。

私的なただの会食とは本当に名ばかりで、急遽友達を連れてきたと言っていたが、ヨーロッパの各国にある重要なポストの人たちが予定外に来たことも分かった。

それは共同で展開する一大リゾート施設の建設の話のようで、私からすればスケールが違いすぎる話だった。

しばらく聞いていると、そのプロジェクトは副社長が主にやっているようで、副社長に任せていいのだろうか?
まだ若いし、結婚もしていない。責任を持ってやれるのか。そんな話をしていた。

私としてもそのことを副社長に伝えるのを少し躊躇しつつ小声で話をする。

一瞬動きを止めた副社長だったが、会話の中でにこやかに言葉を発した。


「もうすぐ私も結婚するんですよ」
相手は通訳していることなど知らないだろう、その言葉を疑うことなく笑顔を向けた。

「本当かい? それはめでたい」
そんな風に会話が進んでいく。
これぐらいの人なら婚約者ぐらいいそうだよね。そんなことを思いながら私はなんとかその息がつまりそうな時間をやり過ごした。

なんとか無事に終わり、私はお客様たちを笑顔でお見送りをする。

続いて香織さんや、店長が社長と言葉を交わしているのが見えた。

もうここにいる意味もないだろうと、私は片づけを手伝うべく店の中へと戻るために踵をかえした。

「待て」
その声に私が呼ばれたとも思わず、私はそのまま歩き出す。

「だからちょっと待てと言っているだろ?」

不意に後ろから手を引かれ、私は驚いて振り返った。

そこには副社長がいて、私はさっきの会食で何か不手際でもあったのだろうかと身がすくみそうになる。

そんな私に、副社長は小さく息を吐くと私を真っすぐに見つめた。

こんなに真っすぐな瞳が見たことがあっただろうか? そんなことを思うも、私は次に言われる言葉が不安で仕方がなかった。

「悪い。仕事モードが抜けていないな。そんな怯えた顔をするな」
彼がピシッと整えられた髪をかきあげると、その髪が緩く額に落ちた。

先ほどとは違う少し砕けた雰囲気に、私も自分自身少し安堵する気持ちが広がる。

「さっきは本当に助かった。ありがとう」
まさか素直にお礼を言われるとは思っていなかった私はポカンとしてしまったのだろう。

そんな私に初めて副社長は柔らかな笑顔を浮かべた。

「そんな驚くことはないだろ? さっきは本当に急に予定外の来客にこまっていた。君がいてくれて本当に助かった。ヒアリング以外に会話もできるのか?」

「はい、日常会話程度ですが」
真摯に言われたそのセリフに私が答えると、副社長は小さく頷いた。

「見慣れない顔だけど、いつからこの店に?」
「二カ月前から週に三回ほどお世話になってます」
私の答えにいぶかし気な表情を副社長は浮かべた。

「アルバイト?」
「はい、住吉結衣と申します。よろしくお願い致します」
私を相変わらず真っすぐに見つめ、少しの沈黙の後副社長は静かに言葉を発した。

「高遠光輝です。これからもよろしく頼みます」
恐れ多くも副社長に頭を下げられ、私は恐縮してしまう。

頭を下げた私に、クスリと小さく笑うと副社長は社長のもとへと戻っていった。

初めは傲慢な典型的なお金持ちの嫌味な二代目そう思ったが、きちんとした人なのかもしれない。
しかし、そんなことを思っても、もう二度と会うことはないだろう。

そう思うと私はキュッと少し緩んだ帯を締めると、厨房へと向かった。

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