01.絶望的な状況
落ち着け!
落ち着くんだ!
意図的に強く念じる。何か考えないともたない。
とにかく考えるんだ。
考えを止めたら、死が待っている。
まだ何か方法はあるはずだ。
意図的に息を大きく吐く。少しでも冷静になりたい。
多少の効果があったのか乱れた呼吸が戻った気がする。
さっきよりは少しは冷静になれただろうか。
足の震えが無くなっている事に今頃気づく。
相当パニックになっていたんだな。
そんな事を考える余裕が少しできたようだ。
・・・と、思いたい。
何があっても考える事を止めちゃいけない。
以前として目前の危機が去ったわけじゃないんだ。
状況は全く改善していない。
寧ろ悪化している。
この状況だ。
良くなっているとは誰が見ても思わないだろう。
既に周囲は血の匂いに満ちている。あちこち赤い飛沫が飛び散っているんだろうな。ほとんどが体中から流れている僕の血だ。凄い匂いの筈だけど感覚が無い。どの位出血したのかもはや分からない。
変な味が口内に満ちている。これも僕の血なんだろう。時折喉に詰まり呼吸が乱れる。途切れがちな意識が乱れる呼吸で戻る。不味・・・。
肌にまとわりつく嫌な空気感。まるで水の中にいるようだ。動きづらい。これは洞穴の湿気なのだろうか。今は不快感しかない。
既に右目は何も見る事ができない。残った左目も流れている血でよく見えない。お陰で視覚は全く役に立たない。見えても見えなくてもどうせ暗い洞穴の中だ。はっきりと見える訳じゃない。
耳障りな唸り声に鳥肌が止まらない。敵対している魔獣の唸り声は何かの効果があるのだろうか。嫌な感覚しかない。できればこの場から立ち去りたい程だ。
体のそこかしこがが痛い。骨も折れているのは間違いない。血も一杯流れている。・・・今となっては、そうだろうという感じか。無事な部位を探すのが難しい。
既に左腕は感触が戻らない。腕が残っているかも分からない。ちらりと見ると力なく垂れ下がっているのがなんとなく分かる。これは・・・ダメだな。
左腕は武器の槍を添え木にして固定していたはずだ。プラプラする腕では広くない洞穴では動きづらいからだ。いっその事動かない腕をもぎってしまおうかとも考えたけどその力も既に無い。できたとしても・・・痛いんだろうな。
腰から下の感覚も微妙だ。きちんと立てているのかも足元の感覚では全く分からない。ふらついているような気がする。平衡感覚が狂っているのだろうな・・フラフラする。
今の僕の状態を一言で表現すれば瀕死状態だ。
それともゾンビ。
それとも・・・。
このままだと・・・死ぬ・・・のだろう。
コイツと遭遇した時点でこうなる事は予測できたんだ。
今の惨状は僕が誤った判断をした結果だ。
遭遇した目の前の四つ足の魔獣。
遭遇する前に素直に逃げていればよかったんだ。結局コイツから逃げる事ができなかったのだから。
屈強の戦士が何人もいても敵わない相手なんだぞ。ヒョロヒョロの僕が相手にできる訳が無い。
当たり前の事なんだ。
勝てる相手ではなかった。
今の僕に与えられるのは無慈悲なほど確実な”死”だ。
死を目前として、やっと落ち着けたような気がする。
開き直りなんだろうな。
だからなんだろうか。
不思議と思考は落ち着いてきたかも。
見えないモノまで見えそうだ。
聞こえないモノまで聞こえそうだ。
感じられないモノまで感じられそうだ。
こんな異常な状況になったからか、不思議と周りは見えているような気がする。
なんでだ?
最早体の痛みも気にならない。脳が痛覚を遮断したのかもしれない。ボロボロという表現すら生温いもんな。こんな体でよく動けているよ。
僕にしては頑張ったと思う。
僕は自分を知らない。
それを知るために生きていたはずだ。
でもそんな悩みも・・・もうすぐ終わりになる。
目の前の魔獣に殺されるからだ。
せめて一矢報いたい。
目前の魔獣は勝利を確信しているようだ。
弱っている僕が間もなく死ぬから様子を見ているのだろう。それとも他に何か理由があるのだろうか?なぜか止めをさしに来ない。
だからこんな事考える余裕があるんだけど。
僕が今死んでもこの世界では誰も気にしない。少しは気にしてくれるかもしれないけど。所詮その他大勢の一人だ。
人知れず死ぬのは寂しいという考えがよぎる。
・・・未練かな?
せめて何か残して死んでおきたい。今の現状も実際には犬死みたいなもんだ。何ヒーローぶって助けに行ったんだか。身の程知らずにも程がある。
次はこうしないようにしよう。
生きていれたらだけど。
でも・・・誰に悲しんで欲しいんだろう?
悲しんでもらえる程何かを成し遂げていないんだ。だから願望なのだろうか?
既に助からない状況。これだけは変わらないだろう。
だけど・・・。
このままでは何か悔しい。
・・・もう少し抵抗してみようという思いが湧いてくる。
・・・このまま簡単に殺されるのはやはり悔しいな。
ほんの・・・少しだけでも仕返しと思って抵抗してみるか。
もし、うまく逃げられてもこんな重症だ。長くはもたないだろう。
体の感覚がどんどんなくなっているんだ。そのうち考える事もできなくなるさ。
ふと気づく。
僕は今泣いているようだ。いつから泣いていたんだ?
なんで泣いているんだろう。
多分・・・悔しいからか。
なぜこうなったんだろう?
選択もできず流されるままだったからかもしれない。
それとも未だに自分を知っていないからか。
考えても仕方ない。
この魔獣と対峙するしかないんだ。良くて相討ちとしたい。
会った事の無い人のために残った力が役に立つのだろうか?
絶望的な状況の中で僅かではあるけど。
・・・ほんの僅かだけど戦う力が湧いてくるのを僕は感じてきた
一矢報いてやる。
僕は魔獣を睨む。