第58話 人という字は互いに支え持ち上げフォローし信用し腹を割り拒絶し合って、出来ている
「ん?」磯田はふと顔を上げ、窓の外を見た。
「どうかしましたか?」伊勢が直ぐに反応する。
「――」磯田は少しの間動きも表情も止めて窓を見ていたが「ううん」と首を振りまた伊勢の方に向き直った。「空耳みたい」
「そうすか」伊勢は悪戯っぽい顔で興味を示した。「またオーラが見えたとかじゃないんすか、社長の特技の」
「やあねえ、特技じゃないわよ」磯田は眉をしかめながらもまんざらでもなさげな笑いを浮かべ、伊勢の腕を軽く叩いた。
「でも洞窟の方からなんか聞えたとかでしょ?」伊勢は少し背伸びをして磯田の見ていた窓の方を見る。「オーラでしょ、社長の感性鋭いから」冗談交じりながらも磯田の自尊心をくすぐる。
「うふふ」作戦通り磯田は嬉しそうに笑った。「なんかさ、私の祖父の声みたいなのが一瞬聞えたのよ」
「えっ」相葉が顔を引きつらせる。「それって、まさかゆ、幽霊」
「オーラすよ、専務」磯田が相葉を睨むより先に伊勢がフォローする。「怖いやつじゃなくて」
「そもそもこの会社の創業者だからね、私の祖父は」磯田は冷たく説明する。「会社の経営がうまくいってるかどうか、見に来ててもおかしくはないわよ」
「え、あ」相葉は目を泳がせ、唇を震わせた。
「いいすね」伊勢は大きく頷く。「護ってくれてるんでしょうね、皆を。危険から」
「そ、そうですよね」相葉は伊勢の言葉にすがりつく勢いで何度も頷いた。「護って」
「ふん」磯田は席を立ち窓に近づいた。「ちょっと、下りてみようかしら」エレベータの方を見ながら呟く。
「え」伊勢は隣に立ちながら磯田の横顔を見た。「地下にすか」
「ええ」磯田はにっこりと笑った。「君も来る?」
「俺もすか」伊勢は笑顔を返しながら素早く社の者たちの意見を確認した。
「磯田社長、出現物に気づくの鋭いからな」大山が言う。「なんか出てきてるのは間違いないだろう」
「しかし、創業者の磯田氏が出て来てるって、本当すかね」伊勢が問う。
「うーん、声まで聞えたって言ってるからなあ」住吉が考え込む。
「下りて確かめてみるのもよかろう」石上が促す。
「行きますか」伊勢はいつもの軽快な調子で頷く。
「是非ご一緒させていただきたいす、社長」伊勢は太陽のように笑って言った。
「伊勢君に靴出したげて」磯田は畑中の方に少しだけ顔を向け指示した。
「あっ、はい」畑中は慌てて立ち上がりロッカー室へ小走りに移動した。
「うわー、下に下りさせてもらうの久しぶりすね。楽しみす」伊勢は無邪気に喜んだ。そうしながら引き続き社の者たちと打ち合わせを続けていた。
「新人君たちもいるのかな」鹿島が問う。
「どうっすかね」住吉が首を傾げる。「いてくれるといいっすけどね」
「そうだな」大山も言う。「無事でいてくれるといいが」
「大丈夫す」伊勢が請け負う。「見つかり次第、合流するすか」
「いや、あまつんとサカさん今依代なくしちゃってるから、新人ともども洞窟奥にまで進んでる体でいこう」大山が判断を下す。「指導者不在で新人だけが洞窟内にいるってのも、不信感招きかねないから」
「了解す」伊勢は答える。「じゃあ俺は磯田社長の祖父さんに挨拶する位で、その間全力サーチでお願いするす」
「了解」
「わかった」
「承知した」神たちはそれぞれ返答した。
◇◆◇
「クーたんに助けてもらうって、どうするの」結城が本原に訊く。
「わかりません」本原は無表情に答える。
「わからないのか」時中が腕組みする。「通常どのように祈念や祭事を執り行っているんだ」
「特に何もしません」本原は無表情に答える。「クーたんは汎精霊です」
「あーそっか、別にお供え物して願い事を叶えたりするわけじゃないのか」結城が納得する。
「しかしそれならどういった手順を踏めば助けてもらえるんだ」時中が食い下がる。
「大丈夫だよ、トキ君」結城が時中の肩に手を置く。「俺が何とかするよ」
「――」時中は目を細めて結城を見た。「信用できるものか」
「ええっ」結城は本原のように手で口を押さえた。「どうしてなのでしょうか」裏声で質問する。
「口では何とでも言えるからな」時中は回答した。
「そんなことない」結城は大きく首を振った。「俺は心に思ったままを言ってるよ」
「心でも何とでも思えるからな」時中は捕捉回答した。
「ええー」結城は目をぎゅっと閉じた。
「お前は信用できない」時中は繰り返した。
「俺は、トキ君のことを信じてるよ」結城は両手を時中の方に差し出して告げた。
「――」時中は眉根を強く寄せ結城を見た。
「さっき俺がワゴン車のドアで頭打ったとき、トキ君痛そうな顔してくれただろ。だから」
「――」時中は一旦愁眉を開いたがまたすぐ眉根を寄せる。
「俺はトキ君を親友だと思ってるし」結城は自分の心臓の辺りを親指で指した。「トキ君を信じてる」
「――」時中は返答せず横を向いた。
「クーたんに助けてもらえと言った方はどなたなのですか」本原が言葉を差し挟む。
「誰だろうね」結城は本原の方を見た。「本原ちゃん」
「その呼び方はやめて下さい」本原は真顔で拒否の意を示した。
「ええー」結城は亀のように首を肩の間に引っ込めた。
「ではさっきの私の呼び方もやめてもらおう」時中が便乗して拒否の意を示した。
「ええー」結城は口を手で押えた。「まあ、そんな」裏声で嘆く。
「スサノオさまなのではないのですか。本物の」本原が話を元に戻す。
「スサノオ?」時中が眉を寄せ、
「スサノオ?」結城が口から手を離す。
「はい」本原が頷く。
「クーたん連れて来てやったぞ」声が答える。
三人ははっと目を見合わせた後それぞれに周囲を素早く見回し、
「何処だ」
「誰だ」
「クーたんがいるのですか」それぞれに問いかけた。
「ちょっと、どこよここ」甲高い声が反響する。
三人は声のした方、皆の足許から数メートル離れたところの岩面が、がらがらと音を立てて割れ、崩れるのを見た。
「うわ」
「何だ」
「クーたんですか」
ぼこっ
最後に何か水泡が浮かび上がるような音がして、その次に岩盤上に開いた穴から水が溢れ出し、さらに穴の中から、黒く光る丸味を帯びた形のものがぬるりと姿を現して穴の淵にべちゃんと乗り上げた。
「うわ」
「何だ」
「――」三人はそれを凝視し、それが何かをすぐに悟った。
「鯰?」結城が問い、
「鯰か」時中が確認し、
「――」本原は無言だった。