バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第二章 水晶宮


 第二章 水晶宮





「う…」



 胃の辺りをきりきりと締め付けるような痛みが走って、シルヴェーラはふと目を醒ました。



 …水晶と、白大理石でできた美しい部屋…。長い夢を見ていた気がするけど…まだ、これは、夢か?



 ぼんやりしながら、目だけで部屋を見渡していると、横から急に声をかけられた。



「ご気分はいかがですか?」



 シルヴェーラはゆっくりと身体を起こすと、そこにしずかに佇む長い栗色の髪と瞳の女性を見付けた。



「…ここは?」



「ここはガルディエル様の宮殿、水晶宮の一室です。丸一日眠っていらしたんですよ。お食事は取れそうですか?」



 …ガルディエル様?誰だ、それ…。



 にこやかに答えてくれたものの、一体どこでどうなってこうなったのかがわからなくて、夢の続きのようだった。



 しかし、喉と胃の辺りの痛みの原因が渇きと空腹によるものだとわかるまでには、そう時間はかからなかった。



「水、水、は…っ」



「こちらに。慌てずにお飲みください」



 差し出された玻璃の杯になみなみと注がれた水を、こぼれるのも気にせずに飲み干した。



「おかわりなされますか?」



「頼む…」



 今度は水をじっくりと味わうように喉へ流し、シルヴェーラはほうと一息吐いた。



「ずいぶんとうまい水だな…」



 水は塩と柑橘の味がして、今まで味わったことのないものだった。



「この国ではよく飲まれているものですよ。乾いた喉にはよいでしょう?」



 あれほど水に餓えていたというのに、思ったほど喉は乾いてはいなかったことに気づいた。



「発見された時は脱水症状がひどくて、ガルディエル様がすぐに手持ちの水を飲ませて差し上げたそうですよ」



 ふふっと小さく笑って、女はシルヴェーラから玻璃の杯を受け取った。



「飲ませたって、どうやって…」



 まるで覚えていない状況に一瞬嫌な予感がして、シルヴェーラは顔をしかめた。



「口移しだそうですよ」



 ああ、穴があったら入りたい…。いや、穴に落ちたからこうなったわけなんだが…。



「…腹減って、死にそう…」



 情けなさのあまり蚊の鳴くような声で言うと、女は鈴の音のようにころころと笑った。



「ではすぐにご用意いたします。ああ、ガルディエル様にもお知らせしないと…。私はお世話係のアイシュナと申します。少しお待ちくださいね」



 ぺこりと頭を下げてアイシュナと名乗った女は部屋を出ていった。



 確か、あたしは砂漠で流砂にのまれて…やはり、あれは次元流砂だったのか…。



 大陸間の次元の歪みできる次元流砂というものがある。



 その名の通り、どこに転移するかわからない、砂漠だけでなくどこにでも現れる超自然現象の一つだ。



 砂漠の真ん中で次元流砂に落ちたはずが立派な部屋にいるということは、どうやらどこか別の場所に転移したらしい。



 滅多に遭遇するものではないだけに、転移して生存しているという話などは耳にしたことはない。運が良かったようだ。



 シルヴェーラはほっとして額に手をやり、いつもの銀糸の額飾りがついているのを確認して、安堵した。



 そして、砂漠をさまよい砂まみれになっていた自分が、絹の女性用の衣服に着替えさせられていたことに気づいた。



 そうだ、蒼真は…!?



 寝台に腰を掛けると、額飾りと揃いの銀糸で織られた包みに入った蒼真は、きちんと枕元に置いてあった。



「よかった…蒼真…」



 蒼真に手を伸ばすのとほぼ同時に、バタン、と荒々しく扉が開いた。



 咄嗟に蒼真を左手に持ち、シルヴェーラはさっと身構えた。



 姿を現したのは背の高い体躯のよい青年で、蜂蜜色のくせのある長髪を無造作に縛り、こぼれるような前髪からのぞく双眸は、淡い朱を纏った金色。



 装束は鮮やかな緋色で、身に付けた装身具は数えきれないほどだ。



 …ずいぶんと豪奢だな、貴族か?



「…やっぱり、蒼い瞳…セレフォーリア!」



 …え、セレフォーリア?



 青年はカツカツと靴音を響かせてシルヴェーラの前に来ると、その朱金の瞳にじわっと涙を浮かべた。



「よかった…セレフォーリア!」



 青年は叫ぶなり、いきなりシルヴェーラに抱きついたのだ。



「うわああっ!?」



「セレフォーリア!生きていたんだな!?」



 驚くシルヴェーラをよそに、青年は勝手にシルヴェーラをセレフォーリアという人物と思い込み、がっちりと抱きしめた。



「ちょっと待て、放せっ」



「嫌だ、ずっと探していたんだぞ!」



「そうじゃない、人違いだ!」



「そんなわけあるか!俺が見間違えるはずがない!」



「落ち着けと言っている!」



「八年ぶりだぞ、落ち着いていられるか!」



 ぎゅうぎゅうと抱きしめられたまま押し問答を続け、シルヴェーラは仕方なく、ぐいっと左手の蒼真を青年と自分の間に割り込ませた。



「剣を抜くぞ」



 獣が唸るように低く響いた声に、青年はびくりとして抱きしめている腕を解いた。



「…本当に、違うのか?セレフォーリアではないのか?」



 蜂蜜色の髪の奥の朱色をまとった金色の瞳が、不安げに揺れていた。



 演技でもなさそうな真剣な眼差しに、シルヴェーラはふと眉根を寄せた。



「…セレフォーリアという名は、今まで呼ばれたことのない名だ。あたしに何か関係があるのか?」



 それ以上近付けば抜く、という姿勢で蒼真を持ち、シルヴェーラは青年に尋ねた。



 青年は困惑したように、シルヴェーラから視線を逸らした。



「…すまなかった。俺はガルディエル・ヴェイス。セレフォーリアは、一つ下の俺の従妹で許婚だった。銀色の髪に蒼い瞳で、おとなしい娘だった。八年前に行方不明になって、それっきりで…。狩りの途中で倒れてる君を見付けて、あまりにも似てるものだから、つい、ここに運び込んでしまった。悪い…」



 許婚?通りで、大胆な行動だと思った。いきなり抱きつくからびっくりした…。



 青年の勘違いだと理解して、シルヴェーラは蒼真を下して警戒を解いた。



「いや、そのおかげで命拾いしたのだから、こちらこそ礼を言わねば…。ところで一つ聞きたいのだが、ここはどこだ?」



 シルヴェーラの質問に青年は驚いたらしく、きょとんと目を真丸くした。



「どこって…ここは四大陸の一つ、メルカルス大陸。この地はヴァーゴが治めている」



 メルカルス大陸だって!?次元流砂に落ちて、目的のラトリアナ大陸一つ飛び越えてきちまったじゃねーか!それに、ヴァーゴっていえばメルカルス大陸きっての裕福な国家のはず…。



 まてよ…ガルディエル・ヴェイス!?



「…確か、ヴェイス家は、ヴァーゴ王家の!?」



 ぎょっとするシルヴェーラに、ガルディエルはなんでもないように頷いた。



「ああ、俺の父はヴァーゴの国王だが」



 どっと全身から冷汗が吹いて出て、普段は豪胆なシルヴェーラも思わず顔を引きつらせた。



「失礼を致しました。私はマグノリア大陸の金の聖魔剣士、シルヴェーラと申します。ラトリアナ大陸に向けての旅の途中、ガイゼラートの砂漠で次元流砂にのまれ、このヴァーゴの地に転移したものと思われます。この度の数々のご無礼、お許しください」



 シルヴェーラは蒼真を床に置き、片膝を付いて頭を垂れた。



 大陸間にある関所の通行許可もなく、ましてや一国の王子に刃を向けようとしたとは、はっきり言ってただ事ではすまない。



 もちろん、これが依頼されている関係にあれば、立場が大きくなるのは聖魔剣士の方になるのだけれど。



 王子ガルディエルは驚いたように沈黙の後、ははっと笑い飛ばした。



「無礼も何も、連れ込んだのは俺の方だと言っただろう?それに、一匹狼で一ヶ所に留まらない流浪の剣士と風の噂で聞いた金の聖魔剣士か。丁度いい、何かの縁だ。おまえに依頼するとしよう」



 助かった…おまけに、依頼されるとは、なんて好運。路銀も稼げる。



 首が繋がったのを確認して、シルヴェーラはほうっと安堵して顔を上げた。



「ご依頼、喜んでお受けさせていただきます。私に出来ることなら、何なりと…」





      *







「剣術を教えてほしい?」



 久々のまともな食事を済ませて、綺麗な琥珀色の葡萄酒を一本開けて気持ち良くしている時だった。



 やっと話を切りだしたガルディエルの依頼内容に、シルヴェーラは思わず拍子抜けした。



「そんなこと、わざわざあたしに頼まなくても、メルカルスは武術に長けた大陸。探せば剣術師範くらいいるだろう?」



 久々に金になる仕事かと思えば…あたしを馬鹿にしてるのか?この男は…。



 しっかりと対等に話すようになったシルヴェーラは、とくとくと銀杯に葡萄酒を注ぎたして、くいっと軽くあおった。



「それが…雇うにも、今この国には剣術も武術もまともに出来る奴がいないんだ」



「剣術師も武術師もいない?」



 そんな馬鹿な、どの国でも武闘家や剣士ぐらいはいるはずだ。そうじゃなければ、いったい誰が宮殿を警護するんだ?



「なら、騎士団は?ギルドは?」



「今はいない。本当なんだ。ギルドは開店休業で国内にはほとんど聖魔剣士も魔導士も滞在していないらしい。昔は武術大会まであったくらいなのに、今は剣を持つものすらいない。いくら平和とはいえ、名を挙げた武術師や剣士たちが黙っているとは…」



「…妙な話だな。元々絶対数が少ない魔導士や聖魔剣士はしかたないとしても、ただでさえ力のない人間が剣も持たないで、どうやって妖魔や魔族から身を護る?人間の盗賊や侵入者は?」



 まさかはいどうぞ、と命を渡すわけでもないだろうに…。



「それで、宮殿の警護は誰が?」



 シルヴェーラは何となく不安を感じながら、ガルディエルに尋ねた。



「特級魔導士、ディアゴ・ヴァルシュただ一人だ」



「特級魔導士ディアゴ・ヴァルシュ?知らない名だな…王家に仕えているような五芒星紋なら、大体は覚えているつもりなんだけど…その魔導士は、古株なのか?」



 シルヴェーラの質問に、ガルディエルは少し首をひねり、口元に手をやった。



「いつだったかな…七年前、いや八年前だ。確かセレフォーリアが行方不明になった後、王宮に仕えだしたんだ。多分、その翌年ぐらいに武術大会が中止になったはずだ」



 セレフォーリアの消息、特級魔導士ディアゴ・ヴァルシュの出現、武術大会の中断、ギルドの開店休業…事の中心は、特級魔導士ディアゴ・ヴァルシュ。これは、叩けば埃がでそうな…。



「…おもしろそうな話だな。ちょうど仕事を探してたところだ。剣術稽古と国の異変の原因追求、まとめて金貨五十枚でどうだ?」



 シルヴェーラは葡萄酒の入った銀杯を傾けながら、にやりと笑った。



「原因追求の後、解決もしてくれれば、もう五十枚出そう。受けてくれるか?」



 これはこれは、久々に聖魔剣士だけじゃなく、魔導士の腕を見せることになるかな?



 おまけに、成功すれば金貨百枚だ。



「万が一の保険で、危険が起これば危険手当で五割増し」



「いったい何の保険だよ…了解だ」



「結構。では依頼成立に、乾杯」



 シルヴェーラの声に銀杯を掲げたガルディエルの肩から、するりとマントが滑り落ちて意外にがっしりした肩が現れた。     



 へぇ、中々均整の取れた身体じゃないか。もっと細いかと思ったけど、抱きしめられた時も、胸板がけっこう厚かったな…。                



 二の腕の筋肉の付き方もいいな、などと思いながら軽く葡萄酒をあおると、何かがきらりと反射しているのに気付いた。



 マントから現れた日焼けして少し浅黒いガルディエルの左の二の腕には、小石ほどの大きさの鮮やかな緋水晶をはめこんだ銀の腕輪が、美しく光を反射していた。



 緋水晶か…。かなり大きいな。



「珍しい腕輪をしているな」        



 シルヴェーラの台詞にガルディエルは銀製の腕輪に目をやって、ぱちんと外した。



「この緋水晶の腕輪は、王位継承者の証。緋色の装束は王族しか纏えない。ヴァーゴでは、緋色を神聖な色としている。太陽と人の血液に喩ているらしい」 

          

 ガルディエルが外した腕輪をシルヴェーラに投げて寄越した。くるくると弧を描きながらすっぽりと手の中に入ってきた腕輪を、シルヴェーラはまじまじと眺めた。



 細かに細工を施された、古から魔を退けるといわれている銀にはめこまれた緋水晶は、本当に鮮やかな緋色の光を放っていた。



 鮮やかな緋色…太陽と、人の血液の喩にふさわしい色…。



「…王位継承の証を、そう簡単に外して人に見せるもんじゃない、ガルディエル」



 苦笑いして腕輪を返すと、ガルディエルはあれ?という顔をして首を傾げた。



「そういえば、なんでだろ…。シルヴェーラに対して全く警戒心が起らないんだ…」





         *







 契約締結の後、ガルディエルの水晶宮の隠し部屋とも言えないほど広い鍛錬場で、シルヴェーラは使い方と急所を端的に教えた後、練習用の刃がない剣で直々相手になった。



「腕だけを振るな!下半身を据えて上半身を使え!」



「はいっ」



「力が全然出てないっ!」



「はいっ!」



 実戦を始めて間もないというのに、ガルディエルは慣れない剣を振り回して、肩で息をしながら額から汗をにじませていた。



「馬鹿みたいに振り回すな、次の構えまで無駄が多すぎる!」



「はいっ!」



 罵声を飛ばしながらも呼吸一つ乱さないシルヴェーラは、胴に向かってきたガルディエルの剣を薙ぎ払った。



「遅い!」



 カキーンと金属がぶつかる音がした後、ガルディエルの手から離れた剣がカラカラと床を転がった。



「馬鹿野郎!しっかり握れ!」



「は、はいっ!」



 汗を顎から滴らせたガルディエルは、ぐいっと手の甲で拭って、剣を拾い上げ再び構えた。



「でやあああっ」



「あーまーいっ!」



 ガルディエルの振り降ろした剣を、シルヴェーラはすいっと避けて、足を軽く引っ掛けた。



「う、わあっ!?」



 ガルディエルは見事に転倒し、剣は再び手からすっぽ抜け、床の上でくるくると回って止まった。



「剣先だけに集中するな!足元が隙だらけだ!隙をなくせ!これが本物の剣だったら、今ので首は完全にないと思え!実戦だったら何をしようが、卑怯なんて言葉はないぞ!」



 床の上に大の字になって肩で息をしているガルディエルに怒鳴り付けると、シルヴェーラはほうっと溜息を吐いて覗き込んだ。



「どうだ、きついだろう?」



 声もなくガルディエルが頷いて、シルヴェーラは横に屈んでぱたぱたと手で顔を扇いでやった。



「これがあたしのやり方だ。剣術なんて一応指南は受けたが我流だし、身体で覚えるのが一番なんだ。ついてこれるか?」



「あっ…たりめーだ…」



 案外敗けず嫌いらしく、荒い呼吸のくせに、ガルディエルは無理に言葉をつないだ。



「そうか。じゃあ、まだやれるな?」



「…いや、それは、ちょっと、無理かも…」



 素直に完敗したガルディエルだが、これでも鍛錬場で自主練習で身体は動かしているらしい。



 程よく筋肉がついた身体の理由がわかったと、シルヴェーラはそれなりに機材の揃った鍛錬場を見渡した。



 さすがはメルカルス大陸大国のヴァーゴ。相手がいなかったのが、残念だったな。剣の稽古もしていれば、腕も上がっていただろうに。



「じゃあ、今日の注意点だ。まず腕だけで剣を振らないこと。相手の動きをよく見ること。剣先だけに集中しないこと。むやみに剣を振り回さないこと。動きに無駄が多すぎる。力が弱い、もう少し筋肉を付けること。以上」



「わかった。わかったから。もう少し、休憩…」 



 言ってる側から力尽きたガルディエルはくーくーと寝息を立てだして、シルヴェーラはガルディエルの額を叩いた。



「こら、起きろ」



 呆れるほどの寝付きのよさに、子供か、と呟いた。



「こんなところで寝るな、ガルディエル」



 腕を掴んでみたものの、体格のいいガルディエルの身体が持ち上がるはずもない。



「やっぱり重いな…」



 シルヴェーラは諦めて魔導の力を使った。



 ふわりとガルディエルの身体を持ち上げると、秘密の鍛錬場を抜けて部屋に引き上げる。



 そのままガルディエルを寝台に下ろして寝かせると、シルヴェーラは寝台脇のランタンを消した。



「おやすみ、ガルディエル」



 寝台に腰を掛けて汗をかいた額の髪を払ってやると、なぜかシルヴェーラはころんと後ろに引っ繰り返った。



「おっと?」



 おかしいな、今引っ張られたような…。



 手をついて上半身を起してみると、驚いたことに、ガルディエルがしっかりとシルヴェーラの衣服の腰の辺りを掴んでいたのだ。



「放せ、こら、ガルディエル」



 掴んだ拳はぎゅっと握り締められていて、引っ張っても叩いてもつねっても、びくともしなかった。



「…はいぃ、しかり握りますぅ…」



 こいつ、さっきの練習の夢見て、しっかりあたしの衣服握ってる…。



「うわっ!?」



 むにゃむにゃと寝言を言った後、シルヴェーラの衣服を掴んだままガルディエルがごろりと寝返りをうって、シルヴェーラは見事に腕の間に挟まれた。



 目の前には、子供のように無防備に眠っているガルディエルの顔があった。



 整った彫りの深い顔立ち。今は閉じられた朱を帯びた金色の瞳は、どこか優しさを感じるのはなぜ…?



 シルヴェーラは溜め息混じりに笑って、ガルディエルの額を人差し指ではじいた。



「仕方ない、今晩は一緒に寝てやる。変なとこ触るなよ」



 しっとりと柔らかい月光だけが、ぼんやりと水晶宮を照らしていた。



 不思議だな。怖いとか、気持ち悪いとか、嫌な気持ちを感じない…。



 そっと指でガルディエルの頬を突き、シルヴェーラは少し迷って、唇で頬に触れた。



 気のせいだ。何かの、気の迷いだ。きっと…。



 腕の中は、広くて、思いの外、心地よかった。



「…おやすみ」







      *







『シルヴェーラ』



『なぁに?父さん』



 シルヴェーラの頭を撫ぜる、ごつごつとした大きな手。 刀鍛冶の大きな体。



 父さん、大きくて、強い。あたし父さん好きだよ。



 町はずれの鍛冶屋。母はおらず、一人でシルヴェーラを育ててくれていた父。



 不器用だが、鍛冶師としての腕はアデルバイドの町の誰もが認めていた。



『おまえももう独り立ち出来る歳だ。自分の身は自分で護らなくてはいけない。これを、おまえに渡そう』



 すらりと長い、細身の剣。細工の職人に造らせたのか、細かな細工が施された銀の鞘。



 柄にはめ込まれた水晶は、透き通った吸い込まれそうな蒼。蒼水晶の横に、小さく掘り刻まれた文字は見たこともない古代文字で《蒼真》。



『…剣?』



 鍛冶師の父カインリックは頷いて、シルヴェーラに柄にはめ込まれている大きな蒼水晶を指した。



『これは、お前が記憶を失う前から、大事にしていたものだ。誰にも見せてはいけないよ』



 初めて聞いた話だった。



 記憶を失う前。あたしは、何を大事にしていたんだろう…?



『抜いてごらん』



 元々身体が細く、非力なシルヴェーラに鞘から抜けというのは困難なものだった。



 鞘を足で挟んで柄を握り、やっとのことで剣を抜いたシルヴェーラは、思わず息を飲んだ。



『…綺麗…!』



 寸分の違いもなく鍛えられたその刀身は、陰り一つもなく輝く銀色。



『これはね、父さんがおまえを護りたい一心で鍛え上げた、剣なんだよ。魔に対して、唯一死を与えることの出来る聖剣だ』



 父の言葉も頭の中を素通りしてしまうくらい、シルヴェーラはその剣に心を奪われていた。



 なんて、なんて美しい…!



『名を、蒼真という。どんなことがあっても、蒼真を手放してはいけないよ、シルヴェーラ』



『…ソウマ…?』



 聞いたこともない言葉。なのに、心に響く。



『蒼真を振るえるくらい、強くなりなさい』



しおり