第一章 聖魔剣士
第一章 聖魔剣士
なんて妖気だ…。まだまだ街中に妖魔があふれてるな。
気配を探るために結界を張らず、シルヴェーラは目を細めて佇みながらぽつりとひとり街中にいた。
旅の途中で寄ったアクエリアスに支配されている小国の一つ、ガイゼラート。 妙に荒廃した街は人影がなくがらんとしていた。
店も宿も固く扉を閉ざした町は何かにおびえ、妖気がただよっていた。
情報収集もかねて唯一開いていたギルドに顔を出したシルヴェーラを、人手不足に陥っていたガイゼラートは諸手を挙げて歓迎した。
突如現れてから街中を跋扈し、人を襲い始めた妖魔を退治できる者を招集しては街へ送り込んでいたギルドだったが、成果は芳しくなかった。
ギルド所属の聖魔剣士や魔導士も疲弊し、退却して国外退去する者も後を絶たない状態が続いていた。
そこへ偶然現れた金の聖魔剣士シルヴェーラを、ギルドと国王が見逃すはずがなかった。
ガイゼラートその国王に妖魔退治を依頼され、はや半月。
斬っても魔導で封じても、どこからともなく涌いて出てくる妖魔の群れに、いい加減頭にきていた頃だ。
一対無数の長期戦となれば、不利になるのは目に見えている。何といってもこちらは生身なのだ。
まったくもう、毎日毎日、きりがないったら…!
苛立ちと疲れが溜まりに溜まり、日々回復魔導で癒してはいるものの、心身ともに疲労困憊の域を超えていた。
どうせ黒幕は魔族が傀儡にしてる元人間だったりするんだろう。魔族の奴は自分は出てこないで、裏で楽しんでいるだけなんだ。質が悪いったら…。
それでも、毎日毎日、やることは変わらない。人に害をなす妖魔を退治しながら、どこかにいる黒幕を見つけて始末しない限り、妖魔の群れは無限に涌き続ける。
そんなことを思いながら、とにかく一番近くにいる奴から始末しようと、神経を集中させたときだった。
「いやああっ!やめてえっ!」
甲高い女の悲鳴が聞こえて、シルヴェーラは咄嗟に声のした方へ駆け出した。
王宮からここ半月ずっと外出禁止令が出てるってのに、誰だ、今ごろのこのこと外歩いてる奴はっ!?
崩れた瓦礫を蹴散らして角の家を曲がると、広場のような場所に出た。
「あ、ああ、マティアス、マティアス!」
いくつもある妖魔の触手に動きを封じられた女が、すでに骨に肉が所々ついている程度の人骨に向かって、泣き叫んでいた。
外出禁止令が我慢できずに逢引きして、襲われた、か…。
シュウシュウと肉が解ける不快な音がして、シルヴェーラはその人骨に群がる妖魔に目をやった。
大したことない、低級妖魔か。
「救けて!彼が…マティアスが!」
救けて、と言われても、骨になった人間に敢えて危険を侵す必要はないからな…。仕方ない、あの女性だけでも救けるか…。
「もう遅い。悪いが、諦めろ」
場慣れしているせいか冷静に判断しながら、シルヴェーラはすらりと蒼真を抜いた。
魔に対して、唯一死を与えることのできる聖剣。
そしてそれを所持できるのは、各四大陸から認められ、聖魔剣士の称号を与えられた者のみ。
…大丈夫。ただの雑魚だ。
自分に言聞かせて白銀に輝く刀身を持つ蒼真を構えると、シルヴェーラは女を捕らえている妖魔に斬り掛かった。
「キィィィッ」
触手を断ち切られた妖魔は怒りに奇声を発し、ぐしゅぐしゅと変体する。
「早く、向こうへ!」
シルヴェーラは女に魔導で結界を張ってやり、突き飛ばした。
いくつも触手を持つ肉塊のように醜悪な妖魔は、変体を終えると岩石のように形を崩した。
中心にあるどろどろと渦巻くような口には、無数の牙が見える。
「…どっちにしても、気持ち悪いな…」
思わず顔を顰めながらも、シルヴェーラはその妖魔の中心部目掛けて踏み込んだ。
ズバッとしっかりとした感触が、刀身を伝い、柄を握る手に残る。
一刀両断——。
ギリギリ、と真っ二つに断絶された妖魔が、断末魔の悲鳴をあげる。
命が尽きた妖魔はさらさらと形を崩し、砂塵とへと還った。
砂塵が風に舞い上がり、まるで嘆くように音を立てて散り去った。
「あっ、逃げるなっ」
自分より強い相手には刃向かわない、という意外に動物的な習性を持つ妖魔は、一斉に逃げ惑い始めた。
しめた、今回はこのまま妖魔を追っていけば、こいつらを放った黒幕がいるかもしれない!
届く範囲の妖魔を次々にぶった斬りながら、シルヴェーラは妖魔を追って街外れの墓場まで足を踏み入れた。
「くそ、逃げ足ばかり早い…」
連日の戦いに疲弊した体で幾分呼吸の早くなったシルヴェーラは、立ち並ぶ墓碑を見渡した。
…おかしい、この辺り一帯に気配を感じるのに、姿が見えない…。
蒼真を握り締めて辺りを伺うシルヴェーラを嘲笑うかのように、くすくすと笑い声がどこからともなく聞こえてきた。
「どこだ…どこにいる?」
「ここだよ」
いきなり背後から声がして、シルヴェーラはぞっとして両手で蒼真を構えたまま振り向いた。
「誰だ!」
声の主は脚を持て余すように組んで、苔むした墓碑に腰をかけていた。
逆光で、顔が見えない!
「ほう、銀髪蒼眼…」
夕日が逆光になって黒い影でしかなかった人影は、次第に輪郭を表し始めた。
濡れたように艶やかで長い黒髪、黒い瞳。切れ長の目元、通った鼻筋、鮮血が滴るような赤い唇。
すらりとした長身を包む黒い衣服は、彼の美貌を一層映えさせる。
まさか…まさか!
「その指輪、金の聖魔剣士か」
認定された大陸の印が刻まれた金の指輪は、聖魔剣士の証。
白金、金、銀、銅、鉄、の位がある。シルヴェーラは順列二位の金に位置していた。
白金の聖魔剣士など、名前だけでお目にかかったことなどない。
その金の聖魔剣士シルヴェーラの力を持ってしても、全身が否定するのだ。
この男は、危険だ…。
喉の奥がからからに乾き、蒼真を握る掌にじわりと汗がにじむ。
今まで妖魔とは頻繫に対峙していたものの、その黒幕とも言える魔族には直接会ったことはなかった。
大抵が魔族が操り、傀儡とする元人間だったのだ。
…どうやら、今回は甘く見すぎていたようだ。
「…魔族の者…?」
彼が、口元に笑みを浮かべた。
背筋が冷たくなるほど、美しい…けれど、決して優しくも暖かくもない微笑みは、見るものを圧倒する。
この威圧感はなんだ?今までの魔族の傀儡とは、比にならないほどの強い妖気。
これが、真の魔族なのか…?
問いに答えるかのように、すうっと額に筋が入ったかと思うと、人ではありえない第三の目が開いた。
黒い双眸と違い、紫水晶のように澄んだ美しい瞳は、言わずもがな、魔族の証であった。
知識としては知っている。魔力の源。魔族の命。そして、魔族の急所。
状況さえ頭から消し去れば、そのまま魅了されてしまいそうなほど美しい瞳だった。
「見事な銀の髪…」
溜め息のようにつぶやいて、彼はシルヴェーラに歩み寄った。
逃げなければ…!
そう思ったときにはもう、シルヴェーラの身体はぴくりとも動かなかった。
しまった、魔導も発動しない!
「金の聖魔剣士よ。おまえに、選ぶ権利を与えてやろう。我の子孫を残すために生き残るか、我の美貌をより増すために、その心臓と血液すべてを我に渡すか、好きな方を選ぶがよい」
うっとりと聞き惚れそうなほど、その声は低くいつまでも耳に残るように優美で、その微笑みは妖艶だった。
何が選択だ!いきなり現れた挙げ句、子供を生むか食われるかだと!?
「なぜ…人の女などに、子孫を委ねる?同族はどうしたのだ?」
どう足掻いても解けない呪縛に苛立ちを覚えながらも、シルヴェーラは睨み付けるのを忘れずに尋ねた。
抵抗することを止めてしまうと、自分の使命を忘れてしまいそうで自信がなかった。
それほど、冷たく冴え冴えとした顔は別の意味で、心を惹き付ける。
「魔族に、女はおらぬ。処女宮の女が男を裏切り、己れ一人が聖者となり離別してから、魔族に女は生まれぬ。魔族は、すべて人の女に生ませたもの。人の女がいる限り、魔族は滅びぬ」
魔族に女は生まれない?処女宮の男女が別離してからって…あの言い伝えは、本当だったのか?
そこまで言って、彼は思い出したように、ふっと口をつぐんだ。
「少し、話が過ぎたようだ。もう選択はできたであろう?どちらを選ぶ?」
本来なら斬り掛かりたいところだが、呪縛されて指一本動かせないので、シルヴェーラは精一杯声を振り絞った。
「どちらも、断る!」
「そうか、ならば…」
それ以上、台詞はなかった。優雅な足取りで、彼が歩み寄る。
白く細い指が、シルヴェーラの顎を軽く持ちあげた。
そして、口接け…。
全身の血が氷りつきそうなほど、冷たい唇。
目を見開いたまま、抵抗できずに立ち尽くすシルヴェーラの背に、するりと腕が回る。
…殺される!
そう思ったときだった。
バチバチと音がして、気のせいか、何か軽くなったような感覚に包まれた。
すっと彼が離れ、シルヴェーラの目の前で、緩やかに波打つ長い銀髪をばさりと落とした。
「我らにはないこの美しい銀の髪に免じ、今日のところは引き下がるとしよう。しかし、次見えたときは、必ず…」
あたしの髪…ばっさりと!
「妖魔どもよ、汝が住みかへ帰れ。この街はもう飽いた。どうせガイゼラートの王に雇われたのであろう?街から妖魔を消したといえば、おまえの手柄になろうぞ」
馬鹿にしてるのか、本気で言っているのかわからない口調で言って、口元に薄く笑みを残したまま、彼は扉の向こうに消えるようにふっと姿を消した。
直後呪縛が解けて、シルヴェーラはがくりとその場に崩れた。
ああ、なんて、なんてすごい呪縛…。
指一本、動かすこともできなかった…。
ガクガクと震える身体を抑えるように、シルヴェーラは自分の腕で抱き締めた。
自分の力が、これほど小さいと思ったのは、あの時以来だった。
こっちこそ、今度会ったときは、必ず仕留めてみせる…!!
地面に散った己の銀色の長い髪を見つめながら、シルヴェーラは声もなく、心に誓った。