序章 次元流砂
蒼い幻 緋い夢 ~ヴァーゴの聖者~
西の茶店
序章 次元流砂
辺り一面、砂、砂、砂。
その砂に風が多様な模様を描きだす、砂と風の永遠の幻想画。
客観的に見ればその幻想的で美しい砂漠は、一旦入り込んだらとんでもなく果てしないただの砂の大地と変貌する。
「畜生、あの貧乏国王め!」
ざくざくと乾いた砂漠の砂を踏みながら、シルヴェーラは思わず叫ばずにいられなかった。
「誰が国の治安よくしてやったと思ってんだ!弱っちい聖馬押し付けやがって!死んだら化けてやるからなーっ!」
叫びは干涸びた風がさらって行き、シルヴェーラは砂に足を取られてがくんと膝をついた。
駄目だ、このままだと飢え死により先に、乾燥死だ…。
このアクエリアス最後の砂漠さえ抜ければ、ようやくマグノリア大陸西部パイシスに入り、最初の国ロメリアナ公国だというのに…!
肩からずり落ちた皮の荷袋には、もう食料も水も尽きて、防寒用のマントと野営用品が入っているだけだった。
何が最上級の聖馬だ。水はがばがば飲むくせに、砂漠に入って三日でころっと逝っちまうし、食料は一昨日尽きたし、水は昨日の一口で最後だったし、五日で抜ける予定だった砂漠ですでに十日もたってるし、その内七日は徒歩だぞ、徒歩!
生憎、転移魔導はまだ上位にならなければ使えない。
中途半端な砂漠のど真ん中で放り出されて、シルヴェーラは途方に暮れていた。
まったく砂漠というやつは厄介で、日中は日ががんがん照り付けて気温も余裕で四十度を越えるというのに、一旦日が沈むとゆうに零度近くになるという始末。
おかげでどんなに日中暑くても、魔導で防寒処理されたマントは手放せない。
初めの頃こそ提供された聖馬に乗り、楽にロメリアナ公国へ向かっていた。
目的はパイシスの国をいくつか回り、その先四大陸の一つ、ラトリアナに向かうことだった。
三日後、聖馬が死に、砂漠越えの重い荷物を持つわけにもいかず、魔導で運びながら進行を続け、運悪く半日以上続く砂嵐に見舞われること数回。
食料が尽き、水が尽き、やがて日光を遮る魔導を使う体力も尽きた。
砂に付いた両手を片膝に当てて、身体を起そうとしたシルヴェーラは、ふらりと宙をさ迷うような感覚に包まれた。
「はれ…?」
気が付いた時には、どさりと砂の上に身体を投げ出していた。
「水が欲しい…」
呟いたシルヴェーラの後方で、ずず、ずず、という嫌な音が響いた。
この音…まさか、流砂!?
慌ててもがき、態勢を整えようとする。
まずい、まずい、まずい!
急いで手で砂をかき、足で砂を踏みしめる。
こんなところで流砂なんて、次元流砂しかありえない!
そんなシルヴェーラをあざ笑うかのように、突然現れた穴に向かって砂はどんどん吸い込まれていく。
冗談じゃない!次元流砂にのまれるなんて嫌だぞ!生きて出られるなんて噂、一度だって聞いたことがないってのに…!
ずず、ずず、ずずず…。
必死にもがくシルヴェーラは、砂の流れに従って、着実に次元流砂の中心に向かってずり落ちていった。
そんな馬鹿な…マグノリア三指に入る金の聖魔剣士ともあろうあたしが、次元流砂で死ぬなんて…。
*
その昔、神は神界と相反する魔界との均衡と保とうとして、神と魔の間に人間を創り出したといわれる。
神は人間を神に近い姿のものから、星座十二宮に男女を一人ずつ造り出し、均衡を保つ意を込めて天秤宮から配置した。
そして最後に造られた人間は最も魔に近く、その人間は己れが醜いのを恨み、魔に魂を売り美しい姿態を手に入れた。
それが一番最後になった、処女宮の男だと人は言う。
男は魔界の妖魔を操り、人を食し血を好む、という精神を魔から与えられた。
それを嘆き悲しんだ処女宮の女は、神に祈りを捧げ聖女になった。
これが魔界と人界を行き来する魔族の始まりと言われ、魔族は美しい姿態に最も闇に近き色、漆黒を髪と瞳に彩るという。
そして魔族の証として、額に第三の目を持つ、と。
その瞳の色は―――紫。
妖魔とは、魔族が支配する醜い魔界の魔物を差して言う。
その魔族や妖魔を滅する聖魔剣士や、魔導を使い捕獲や封印をする魔導士は、言わば人界に残された最後の切り札のような存在。
しかし儲かる仕事ではあるけれども、何より素質が必要であるため、聖魔剣士や魔導士になれる者は希望者に対してごくわずかだ。
とくに聖魔剣士には稀有な聖剣を必要とし、その聖剣の希少価値に、法外な値が付くことさえあるのだから。
そして、ひとつだった世界は、人間と、魔族と、神とに分かたれた。
人の世界は四つの大陸ができた。
剣技に長けたマグノリア
武術に長けたメルカルス
精霊に長けたルドイルド
魔導に長けたラトリアナ
すべてにおける最高神の名はティファ・ビシシェナエント
その神々しい姿は黄金色の髪に翠玉色の瞳を持つという―――