二人きりだから言えること。 中編
「でも、さっきの貢、なんかコワかったわよ? すごい威嚇してたみたいだし」
わたしがよく知る彼はもっと温厚な人のはずなのに。あれで本当に「平々凡々な学生」だったのだろうか? それとも、わたしのまだ知らない〝桐島貢像〟があるのかしら?
「それは……、つい本能的に威嚇しちゃったんです。『俺の
「…………はあ」
「女」っていうか「妻」なんですけど。
そして、貢はなぜかまだご機嫌ナナメだ。ナンパ男たちはもうどこかに行ってしまっているというのに、パンダ像の前から動こうとしない。次の予定について相談したいのに……。
「……ね、貢。なんか怒ってる? わたしに」
「っていうか、絢乃さんもいつも無防備すぎるんですよ! 心配しっぱなしの僕の身にもなって下さい!」
「……え?」
どうしてわたしは彼に怒られてるんだろう? 無防備ってどういう意味? わたしの頭の中は今、「?」でいっぱいだ。っていうか論点ズレてない?
「絢乃さんは誰彼構わず愛嬌振りまきすぎなんです! あなたはあざとさ抜きに可愛いんですから、男がそれに釣られてホイホイついて来るのが分からないんですか!? あと、スキだらけで狙われやすいっていうのも自覚ないですよね!?」
「……う、うん」
わたしも勢いにつられて頷いてしまったけれど、貢の熱弁がスゴすぎる。そして顔が耳まで真っ赤だ。
「ちょ、ちょっと貢! 落ち着いて!」
「…………僕は、他の誰にもあなたを取られたくないんです。自分でも信じられないんですけど、僕の中にもこんな……独占欲みたいな感情があったなんて。情けないですよね」
わたしも信じられない。この
でも、別れの危機を一緒に乗り越えたわたしたち二人の絆は固いはずだし、もう結婚してるのに……と思うのはやっぱりスキがある証拠なのかしら。
「情けなくはないわ。それが当たり前の感情なんだと思う。でもね、貢。わたしは絶対に、貴方以外の男性を好きになったりなんかしない。神様の前でも、パパの前でも誓ったもん。だから大丈夫! ねっ?」
彼の手を取ると、こんなに蒸し暑い日なのにひんやりと冷たい。でも、それこそが彼の優しさの証。心の優しい人の手は冷たいのだ。
わたしはむしろ、彼が優しすぎて、心配のしすぎで胃
「無防備……っていうのは、まぁ当たってるかもね。わたしも今後は気をつけます」
今まで誰かに指摘されたことがなかったから気づかなかっただけで、わたしは多くの男性を惑わせてきていたのかも、と反省した。
「――で、次はどこに行くんですか?」
「港の方に行こうかと思って。ハーバーランド方面のバスに乗るには、また長安門の方まで戻らないといけないみたいなんだけど」
わたしはパンフレットの路線図を彼に見せ、説明した。
「なるほど、さっき僕らが降りてきたところですね。じゃあ戻りましょう」
「うん。行こっか」
貢と手を繋ぎ、来た道を引き返す。歩きながら、わたしより二十センチ背の高い彼の横顔をチラリと見上げた。
この人には、今までわたしに話せなかったことがまだあるんじゃないか……。多分、わたしと二人きりにならなければ言えないようなことが。
でもそれは、わたしの方も同じ。彼にまだ話していないことがいくつもあるのだ。それを打ち明け合うのに、今回の旅行は絶好の機会なんじゃないかしら。
「……? 僕の顔に何かついてます?」
「ううん、そうじゃなくて。――港に着いたら、ポートタワーの展望台に上がってみたいなぁ。今日はお天気がいいから、淡路島だけじゃなくて四国の方まで見えるかも♪ その後、ハーバーランドの観覧車に乗らない?」
本当は、この場で訊きたかったけれどグッとこらえた。とっさの思いつきで話をはぐらかす。
でも、このはぐらかし方はちょっと失敗だったかもしれない。明らかに脈絡なさすぎだもの。
「……いいですよ、僕もそれで」
貢、絶対に納得いってないよね? 思いっきり顔に出てますけど。
「……うん」
わたしたちはその後、会話らしい会話もなくバスに揺られ、ポートタワーの最寄りである
****
チケットを買い、エレベーターで展望台まで上がると、そこは四階。グッズの販売コーナーもあるけれど、周囲が三百六十度ぐるりと見渡すことができる広いフロアーだった。
五階へは階段で上がれるようで、わたしたちも上がってから景色を楽しむことにした。
「わぁ……っ、いい眺め……!」
わたしがその眺望に感動していると、貢も隣で「ホントだ」と同意してくれた。
「絢乃さん、あれが淡路島ですよね。あそこに明石海峡大橋が見えますから」
「うん。明日の今ごろは、わたしたちもあの島にいるんだよね」
実際に見る淡路島は、想像以上に大きい。そして〝国生み伝説〟が伝わる島だけに、大きいだけではなくて神々しくもある。
「楽しみだなぁ……」
「明日は、レンタカーを予約してありますから。いつもの車種じゃないのが残念ですけど」
「ありがと、貢。もう車種なんかどうでもいいのよ。貴方の運転で、二人っきりで島のあちこちを回れたら」
「そういえば、最初に絢乃さんをお宅までお送りした時の僕の車、ケイでしたもんね」
「そうそう」
二人で思い出して笑い合う。
わたしはあの時、ケイでもマイカーを買っているだけ十分立派だと言ったのだ。つまり、車種への拘りなんてなくて、彼の運転する姿が好きだということ。
「――さて、観覧車乗りに行こっか。少し歩くけどいいよね?」
今いるポートタワーから観覧車のあるハーバーランドまでは、シティループのバス停二つ分の距離がある。とはいえ、ベイクルーズなどの乗り場を通ればそれほど遠くないので、歩けない距離というわけでもない。
「はい」
わたしたちは地上へ下り、ブラブラと歩き出した。本当は歩きながら話を聞きたかったけれど、じっくりと話を聞くなら観覧車のゴンドラの中で二人きりになった時の方がいい。
一人分で八百円の料金を払い、四人乗りのゴンドラの片側に二人でくっついて座る。外の景色を眺めている貢に、わたしは声をかけた。
「……ねぇ貢。せっかくの機会だから、今までお互いに打ち明けてなかったこと言い合わない? 二人きりになってる今だからこそ言えるようなこと」
「え……?」
「貴方にもあるんじゃない? ママの前とか、他の人がいるようなところでは言えないこと。どんなことでもいいから話してほしいの」
「えーっと……、そりゃあ色々ありますけど」
彼はその後しばらく考え込んだ。たくさんありすぎて、どれから話そうか迷っているのか。それとも、そんなに言いにくいことなのか……。
「じゃあ、わたしから話そうかな。――わたしね、実はキスされるまで、貴方の気持ちにまったく気づいてなかったの」
「…………へっ? ホントですか、それ?」
「ホントよ。こんなことでウソついてどうするの?」
目を丸くした彼に、わたしは肩をすくめて見せた。
「それは……そうでしょうけど。おっかしいなぁ。小川先輩からはめっちゃ分かりやすいって言われたはずなんですけど」
「小川さんは大人の女性だし、恋愛経験もあるでしょうから。わたしは多分、恋愛経験が皆無だったから気づかなかっただけだと思う。でも、貴方がわたしのことを特別な存在なんだって思ってたことには気づいてたよ」
鈍感なわたしは、それこそが彼の恋心だということをまったく知らなかったのだ。
「そっか……、そうだったんですね」
「うん。でもね、今なら分かるわ。貴方は初めて出会った時からずっと、わたしのことを大事に思ってくれてたのよね」
父の病気のことで苦しんでいたわたしをずっと励まし続けてくれたのも、父の死から必死に立ち直ろうとしているわたしの支えになってくれているのも、すべては彼の、わたしへの純粋な愛からだったのだ。