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第9話 蘇生させし者。

 今年55歳になるエルザは夫のマルドと二人暮らし。今日も午前中の畑仕事を早めに終えると、村へ戻り夫の昼食の準備を始めた。

 夫のマルドが戻ると二人で食卓に着く。全粒粉の黒いパンと野菜のスープという質素な物だ。今年になってゴブリンの出現と害獣の被害により作物の収穫量が大幅に減ってしまったからだ。

「勇者さまが化け物どもを早く退治してくれるといいわね」

「じゃが、あの勇者さまちょびっと頼んねぇ感じじゃよな。モモちゃんとイチャついてばっかりじゃからの」

「あなた、うちの()が今の旦那連れて来た時とおんなじ顔をしてますよ。うふふ……」

 一人娘のエミーナは出稼ぎに出た夫について行ってしまい、町で暮らしている。だから年の頃が近く、娘の友達であったシスターモモを自分の子供のように可愛く思っているのだ。

「この村にはもう年の近い子がおらんし、神父さまも心配じゃろうな」

「モモちゃん、可愛いけど引っ込み思案だしね。友達もうちの娘くらいしかいなくて、町に出て行った時は淋しそうだったものね」

「勇者さまがワシくらい良い男だと良いんじゃがな!」

 エルザは笑いながら、『そうね』といって席を立った。午後の仕事の前に洗濯をする為、村の西側を流れる川へと向かって行ったのだ。

 川の水は飲料水としても利用されるため、洗濯場は川下に設置されていた。エルザがたらいに貯めた水で洗濯をしていると、西の森の方でドーンという激しい音が響き、続いて熱い突風が吹き付けた。

 今まで聞いた事もない大きな音と熱風にびっくりしたエルザはその場で腰を抜かして動けなくなってしまった。だが、しばらくすると夫のマルドが心配して駆け付けた。

 村にも轟音と地響き、熱風が吹き荒れたが若干の被害で済んだようだ。村の広場では神父さまが集まって来た人々に、建物や家族に被害が出た者はいないかを訪ねて回っていた。

 とりあえず村の状況が落ち着いてから有志を募って森の探索に向かう事に決まった。マルドは広場に姿を見せないエルザを心配して川へと様子を見に来たのだ。

「ごめんね、あんた。びっくりして腰が抜けてしまって」

「謝ることねぇ、ワシもびっくらこいたさ。こんな事ワシも生まれて初めてじゃ。お前が無事で良かったわ」

 お互いの無事を確認し安堵した二人がふと川上を眺めると、大きなモモがどんぶらこ、どんぶらこと………って。

「「えぇっ! シスターモモ!!!」」

 二人が声を揃えて叫ぶと桃ならぬシスターモモが川をいい感じに(・・・・・)流されていった。いやいや不味いって! あわててマルドが川へ飛び込もうとした時だ……水中からシスターモモを抱えて男が浮かび上がった。

「「勇者さま!?」」

「ぷはぁぁぁっ、死ぬかと思った!!」

 シスターモモを抱えて岸まで這い上がると彼女を横たわらせ、自分もその隣で大の字になってひっくり返った。はーっ、マジでヤバかった。滝壺に落ちたあと少しの間気を失っていたようで、気が付くとかなり流されていた。すぐ近くを流されていたシスターモモを助けようとしたのだが、流れに邪魔されて波の穏やかになるこの辺りまで流されてしまったのだ。

「いやぁ━━っ、モモちゃんが死んでる!」

 エルザさんの叫びで飛び起きた俺は、彼女の口元に顔を近づけた。ヤバい、息をしていない。あわてて俺はマルドに怒鳴るように尋ねた!

「医者は!? 医者はどこだ!」

「この村に医者なんていませんよ。街道を抜けた二つ先の村になら」

 ちぃっ、そんなの間に合わねぇ! 一か八かやるしかない。人工呼吸なんて防災訓練の時に人形相手に1回やった事があるだけだ。
 泣きじゃくるエルザを遠ざけると、シスターモモの気道を確保し鼻を摘まんで空気のモレを防ぐ。彼女のくちびるを覆うように口を合わせるとゆっくりと息を吹き込む。

「勇者さま、あんた何をやっとるんじゃ!」

「うるさい! 黙って見てろ!!」

 何をしているのか分からないマルドが怒鳴り付けてくるのを制して人工呼吸を続ける。エルザは真っ赤になった顔を手で覆い、指の間からこちらを見ていた。俺は2回息を送り込んだあと、両手を組むように合わせて彼女の胸の中心部をリズミカルに押し始めた。

「帰ってこい、フィルス! 帰って来い、帰って来い!!」

 30回程繰り返すとまた彼女の鼻を摘まんで息を吹き込み始める。黙っていられなくなったマルドが俺の服を掴んで彼女から引き離した。

「いい加減にしろ! いくら勇者さまだろうと死者にこんな破廉恥な行為は酷すぎる!」

 マルドが俺に殴り掛からんとしたその時、シスターモモは飲んだ水をゲホゲホと吐き出し呼吸を始めた。意識が完全に戻った訳ではないが、エルザが彼女に抱き付き泣いて喜んでいる。掴み掛かって来たマルドも落ち着きを取り戻し『すまない』と謝ってきた。

「こちらこそすみません。彼女の命に関わる事だったのでちゃんと説明せずに始めてしまいました。先ほどの事は俺の世界の【蘇生術】なのです。始めてやったので自信がありませんでしたが、彼女が助かって本当に良かった……」

 俺はへたり込んで、いつの間にか涙を流していた。その様子を見ていたエルザとマルドは優しく微笑んでいた。

 エルザ夫妻と共に教会へとシスターモモを運んだ俺は、彼女を神父さまに預けると自室に戻ってそのまま疲れ果てて眠ってしまった。疲れた……本当に疲れた。



その夜、ようやく目を覚ましたシスターモモは、自分を看病しているエルザに気が付いた。

「エルザおばさん、私どうして……?」

「モモちゃんは勇者さまと一緒に川に流されてたんだよ」

川に……流されてた? おばさんの言ってる意味が全く分からない。確か、ゴブリンに囲まれて……って、エルザおばさんは私の疑問を無視してドンドン説明を続けている。

「川で溺れて死にかけて、息をしてなくて。川から勇者さまがザバ━━ンって現れて、モモちゃんにブチュー ! ってしておっぱいにモミモミしたら助かっちゃったの! 勇者って凄いのね」

エルザおばさん、悪い人じゃないんだけど興奮すると言ってる意味が全く分からない。

「要するに、川で溺れてた私を勇者さまが助けて、キス……して、胸を…………………いやぁ━━━━っ!!」

シスターモモは自分の言ってる意味をようやく理解すると顔を真っ赤にして布団に潜り込んだ。なんで、なんでーなんで、なんで。

日比斗が疲れてぐっすり寝てる間にも誤解と思い込みはぐんぐん加速していくのだった。



ーつづくー

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