第37話 10階層の結束
デスバッファローの巨体が、上層へと這い上がってくる小物の
『グォォ……ガァァ!』
デスバッファローが上体を起こすと同時に、エリシュの魔法で損傷の著しい胸部へと剣を突き立てとどめを刺す。
エリシュたちも転がるように階段から駆け降りてきた。俺たちは命からがら10階層の
だが、安心するのはまだ早い。
階段付近では
「長いは無用だ! 急いで居住エリアに向かおう!」
後方から浴びせられるマルクの指示。俺たちは迷うことなくその場から離脱を図る。魔法力を枯渇させ足元がふらつくエリシュを、アルベートとクリスティが支え、
「俺たちのことは気にしねーでいいからなっ! 二人とも、足を止めるなっ! エリシュを抱えて先に行けっ!」
走り去る俺たちの後方を何体かが追いかけ
退いては撃退することを数度繰り返し、どうにか追撃を振り切ることに成功した。
エリシュたちに追いつくと、居住エリアが視界に入る。簡易的に作られた柵を守る兵士が、俺たちを見て驚愕した。
「あんたら……上層階からよくここまで来れたな。……もしかして
「ああ、ちょっと野暮用でな。悪りぃが少し、休ませてもらうぜ」
居住エリアは相変わらず貧民窟の様相を呈している。
まずは体を休められる場所へ。
街の住人に場所を教えてもらい入った宿場で、疲労の激しいエリシュをベッドへと運んだ。
「……エリシュさん、何か欲しいものあります? お腹、空いてないですか?」
「ありがとう、クリスティ。今は食べ物よりもお水、もらえるかしら」
「分かりました! すぐ用意しますね!」
クリスティが金の入った皮袋を手に宿場を走り出る。命の源である水ですら使い果たした現状に、俺は改めてこの10階層まで辿り着けたことの困難さを突きつけられた。
(それにこの10階層……
遠くに見える下層へと繋がる階段から、休む間もなく
そしてもはや聞き慣れてしまった、
ようやくここまでたどり着いた。
最下層まであともう少し。残り、10階層分。
俺がこの世界に転生してから、早一ヶ月が経とうとしている。
(玲奈……どうか、無事でいてくれ……!)
下層に行くほど劣悪になる
「ヤマト、とうとう10階層まで辿り着いたな」
「……ああ、これであと一息だ。ここまでって約束だったな。本当にありがとよ、マルク」
マルクの
「それで……二人だけで、本当に最下層へと向かうのか?」
槍を壁に立てかけると振り向き
胸の内をぶちまけてしまえば、マルクたちにもついてきて欲しい。
手を貸して欲しい。助けてもらいたい。
だけど、ここから先は危険すぎる。『キュクロープスの角』が高価なものだろうが、これ以上そんなモノでマルクたちを縛りつけることはできないし、したくない。
コイツらのことが、好きだから。尚更に。
「———ああ、当然だ。俺には探さなきゃなんねぇ人がいるんだ。ここまでありがとよ。本当に感謝してる」
「そうだったな……ヤマトが最下層を目的としてるなら、そこに行くことで、何か変化があるかもしれないしな」
「……ん? どういうことだ?」
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
ジャリ、と小石を踏み砕く音が聞こえた。「そんなことより」と小さな言葉を伴って、つま先がにじり寄った。
「ヤマト。お前はなぜ、何も言わない」
一変、マルクの顔付きが険しくなる。
「……マルク。何を言いたいんだ」
「これから先の話についてだ! なぜお前は、俺たちに『ついてこい』と言わないのだ、と聞いている」
「いや……それは10階層までって約束だったしな……それに……」
「それに……なんだ」
「俺は……お前らにしてやれることが見つからねーんだ。何をすれば、何を分け与えればいいのか……」
熱い塊が、頬に衝突した。
タイミング悪く宿場へと帰ってきたクリスティは、その場面に遭遇すると小さな悲鳴を上げ、手にした瓶を落としてしまう。
ガシャンと割れた音が響き、地面に水が広がり染み込んでいく。
吹き飛ばされた俺は、頬の痛みの要因がマルクの拳だと正確に理解するまで、少々時間が必要だった。
上体を支える手のひらに、じわじわ侵食する湿り気を感じると、止まっていた時間が怒りへと変わっていく。
「て、テメェ! 何しやがるんだっ!」
「ヤマト。お前はまだ、見返りだとか報酬だとか、そんなこと言っているのか!? 勘のいいお前なら、もうとっくに気づいていると思ってたんだがなっ!」
「な、何にだよ!」
「お前は言葉使いは乱暴だが、心の底までは荒くない。むしろ……優しい男だ。言葉使いはその裏返しだ。……俺たちのことを気遣ってるんだろ? 自分のせいで危険な目に巻き込みたくないと思っているんだろ? だから報酬だとか見返りだとか、そんな言葉で誤魔化してしまう」
倒れ込んだ俺に、手が差し伸べられた。
ついさっき、俺を殴ったマルクの手。血豆だらけの武骨な手だ。
「言ってみろよ、ヤマト。お前の口から。俺は聞きたい。お前の本音を」
———俺の、本音。
その手を掴むと、マルクは力強く握り返してきた。腕を引かれ、そのまま俺は起き上がる。
目の前にはマルクの顔。険しい顔だが、瞳の光はどこか温かく。
———言っていいのか。頼っていいのか。
「……正直言ってここから先、厳しい戦いになる。もしかしたら、死ぬかもしれねぇ。……それでも、一緒に最下層まで、ついてきてくれないか?」
「おう! 当たり前だ! むざむざお前ら二人だけで行かせるものか! おれたちはチームだ! 仲間じゃないか!」
「ここまできたら、最後まで付き合いますよ、兄貴!」
「私も! 二人の力になりたい!」
アルベートとクリスティの二人も、笑顔で賛同してくれた。
「と、言うわけだ、ヤマト。お前が勝手に壁を作ってもな、俺たちはそれを乗り越えてやる。ヤマト、俺たちはしつこいぞ。少なくとも、自分たちが認めた人間を見捨てるような真似は絶対にしない。それをしてしまえば、自分自身を否定することにもなるしな」
「へっ……じゃあせいぜい……足手まといにならないように、ついて……きてくれよなっ!」
吐き捨てるように言った俺は、マルクたちに背を向けた。
理由は至極簡単だ。
大粒の涙を垂れ流しているこの姿を、三人に見られたくなかったからだ。