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120 即位式(後)

「……ここまでしてしまうと、修道院も幽閉も難しいぞ、フレーテ」

 死の宣告を匂わせながら、敬称を省いて、いっそ淡々と声をかけるエイダルに、フレーテの態度も、今更変わらなかった。

「おまえたちが、我が世の春を謳歌しているところでなど、どのみち生きられるものですか。せいぜい血(まみ)れの玉座で、流した血の(とが)に身を(さいな)まれながら生きていくがいいわ!」

「!」

 無言のエーレの表情が、僅かに動いた事に、キャロルだけが気が付いた。

 フレーテに、ユリウスの死の真相が伝わっているのかどうか、キャロルは知らない。
 それでも、今、事故と言われて素直に信じるかと言われれば、それは、キャロルでも、信じない。

 玉座が決して清廉潔白なものではない事は、フレーテの方こそ、良く分かっている筈だ。
 だから〝血塗れの玉座〟などと、怨嗟の言葉が吐けるのだ。

 それが確実に、エーレの心を(むしば)むと、分かっているから。

 皆の視線が、連れられて行くフレーテに向いている間、少しだけ、王笏を手にしたままのエーレの手に、そっと触れた。

「…キャロル」
「ちゃんと、いるから」

 血(まみ)れの玉座でも何でも、エーレがそこに()ようとする限りは、離れないから。

 言葉に出さなかった部分も、エーレには正確に伝わったようだった。

「――ありがとう」

 本当は、抱きしめたかったのだろう。王笏を持たない方の手が僅かに動いたのだが、まだ式典が途中と言う状況も同時に理解していたエーレは、柔らかな微笑をキャロルに向けただけで、エイダルの方へと向き直った。

「大叔父上。(みな)からの祝辞と夜会に関しては、明日、一つにまとめてしまって、今日は戴冠までだけでも進めてしまいませんか。それならば、混乱は最小限で収まるでしょう」

「……確かにな」

 頷いたエイダルが、低く、よく通る声で、()()()は既に捕まっている事、処分は明日の夜会以前に(おおやけ)にする事などを参加者に向けて告げたところで、ようやく場が落ち着きを見せた。

 それでも完全にざわつきが静まらないのは、明らかにこの場を収めたのが、レアール侯爵令嬢であるように見えていたからなのだが、本人は周囲の物問いたげな視線を、全て黙殺した。

 そのまま翌朝、フレーテ・ミュールディヒ・ルッセ及び、襲撃者を雇った今回の首謀者である、ミュールディヒ侯爵家現当主の死罪及び、ミュールディヒ侯爵家と姻戚関係のある、子爵男爵家の幾つかが取り潰される旨が、貴族()の間でのみ、(ひそ)かに発表された。

 それは、第二皇子(ユリウス)派が、完全に瓦解した瞬間でもあった。

*        *         *

 本来は、戴冠の後に受ける筈だった、貴族達からの挨拶を兼ねた祝辞を、翌日に夜会とひとまとめにしたおかげで、結果的にダンスを踊らなくても良いと言う、キャロルにとっては、これ以上ない僥倖が、転がり込んで来た。

 そもそもカーヴィアルでも、近衛隊長服で、壁の花になっているご令嬢のために、余興で男性パートを踊っていたのだ。

 ルフトヴェークに来てからも、ダンスの練習をするような時間などもちろんなく、足を怪我しているとか何とか、苦しい言い訳で逃げるしかないと思っていた。

 助かった…と内心ホッとしながら、一家で儀礼として新皇帝への挨拶を済ませたキャロルは、一通りの祝辞が終わるまで、壁の花に徹して、食事を楽しむつもりだったのだが、そうは問屋が下ろさなかった。

 監察を楯に、一度も社交界に姿を見せなかった新皇帝(エーレ)が、祝辞を受けている間は、どうしたって参加者の関心は、こちらも社交界初参加と言って良い、レアール侯爵とその令嬢に向く。

 父娘(おやこ)は、あっと言う間に様々な参加者に取り囲まれてしまった。

 自分に好意的な貴族と、そうでない貴族を見極めろと、エイダルから言われている事もあり、そう、(おろそ)かにも出来ない。

 何人と話したのか分からなくなり、祝辞がどこまで進んでいるかも分からなくなった頃、いきなり、目の前の人垣が、ザッと両端に割れた。

「………あ」

 空いた中央の道の向こうから歩いて来るのは、エーレ・アルバート・ルフトヴェーク――既にルーファス公爵ではない、若き新皇帝だ。

 全ての参加貴族からの祝辞が終わったのだろうか。

 周りの令嬢達を一顧だにせず、エーレは真っ直ぐに、キャロルの目の前まで歩いて来た。

 エーレが(わず)かに視線を投げれば、デューイが、やや不本意そうな表情ではあったが、胸元に手を当てて一礼、キャロルの一歩後ろへと下がった。

「キャロル・レアール侯爵令嬢。――少し、良いかな?」

 そう言ったエーレが、右の(てのひら)を上にして、キャロルへと差し出した。

「御意にございます。――アルバート陛下」

 ここは、公式の場だ。
 キャロルも「エーレ」とは答えずに、左手をエーレの掌に預けた。

 それぞれの服の袖口から、お揃いのブレスレットが垣間見えて、近くで様子を(うかが)っていた、複数の貴族達が息を呑んだ。

 エーレはそのままキャロルを連れて、広間の中央まで戻ると、自分が、キャロル・レアール侯爵令嬢を皇妃として迎える事、この先、側室を作るつもりは一切ない事とを、その場で高らかに宣言した。

「私は、側室を輩出したミュールディヒ侯爵家のような、公国(くに)を乗っ取られかねない危険の芽を、わざわざ育てるつもりはない。何より私は、彼女以外を必要としていない。万一、彼女を追い落とそうとしたり、勝手に寝室に忍び込むような真似をする家があれば、それまで、どれほど公国(くに)に貢献していようと、即刻取り潰す旨、予め申し伝えておく」

「⁉」

 これにはキャロルもデューイもエイダルも、その他エーレ以外の全員が、目を(みは)っている。

 最初にそこまで言われてしまっては、内心がどうであれ、この場では誰も意見が言えない。

 エーレは更に、マルメラーデ、ディレクトア、リューゲ、カーヴィアル語を問題なく操る彼女(キャロル)には、エイダル公爵のお墨付きで「皇妃教育」が必要ない事も告げて、山間部の雪溶けが確認出来る約4ヶ月後をめどに、結婚式を執り行なう旨も、決定事項だと告げた。

「今回の式典に参加出来なかった者達や、一連の王侯貴族の()()()などで動揺著しいであろう民の不安を取り除く為にも、早めの慶事である方が良いと考えている」

「……ええっ⁉」

 この、見事な外堀の埋めっぷりに、当事者である筈のキャロルでさえ、驚愕の声を上げた。

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