79 遭遇の種明かし
「その後はもう、相手の動き方を見るしかないけど、宜しくね、ランセット」
「はっ」
「ロータスは、ヘクターが動いたくらいのタイミングで、お父様を連れて、もう動いて。下手に相手を見極めようとしないで。第二波が、間髪入れずにそっちに向いてしまう可能性があるから、場の混乱は避けたい」
「……仕方ありませんね」
この中で、誰よりもイルハルトと対峙しているキャロルの言葉を、
ロータスの言葉に無言で頷きながらも、キャロルが眉間に皺を寄せ、取り巻く空気がハッキリと変わったのを、この場の誰もが感じ取った。
「キャロル」
デューイの声が、キャロルを案じてくれていると分かったが――もはや振り返れない。
この、身も竦むような殺気の持ち主は、ただ一人だ。
「ヘクター、ロータス」
最初に動くべき2人の名前だけを、静かに呼ぶ。
「―――来る」
執務室の机からは遠い、部屋の奥の窓枠とガラスが――砕け散った。
執務机の位置を考えれば、手前の窓は、相手との距離が近すぎて、一撃必殺の間合いは取りづらい筈とキャロルは考え、イルハルトもその通りに、奥の窓から飛び込んで来た。
床に足が着いたのと同時に、身体を捻って、デューイが座っていた方をめがけて、地を蹴る。
だがイルハルトが剣を振り上げたその瞬間、
「‼」
とてつもなく重い剣戟音が、辺りに響く。
空中から振りかぶっていた分、イルハルトの方が力に押された。
バランスを崩す前に、一瞬交わした相手の剣を支柱として、イルハルトは空中で一回転して、斜め後方に飛び退いた。
「もうっ…」
どんな体幹だと、内心で腹立たしく舌打ちしながら、今度はキャロルがヘクターの前に飛び出し、剣を鞘から抜き放った。
イルハルトは間一髪のタイミングで身を
そのままイルハルトの右手の剣が、キャロルを狙って横に一閃されたため、立て続けにランセットがキャロルの背中から入り込んで、イルハルトの剣を上から押さえつけるように、剣を振り下ろした。
だが地力の差か、
「チッ……」
部屋に飛び込んだ時、イルハルトの視界の先には、確かにレアール侯爵と思しき人影が映ったのだが、護衛であろう複数名とやりあっている内に、その姿は、部屋の中から消えていた。
「読まれていた、か……」
その上、最初の一撃で誰一人斬り捨てられていない。
いったん間合いの外に退いて、体勢を整えたイルハルトは、軽い既視感を感じて、自らの剣を弾いた護衛に視線を向けた。
「なっ…貴様、小娘…っ⁉」
「やーっぱ、4回目にもなると、顔を覚えるよねぇ……」
構えは解かないまま、わざと余裕がある風を装って、キャロルが軽い調子でイルハルトに話しかけた。
ヘクターとランセットにも、軽くウインクする。
「ヘクター、ランセット、ありがと。
キャロルの態度が、自分達を構え直させる為の、時間を稼ぐものだと分かって、2人ともが何も言わずに、サッとイルハルトに向き直る。
「…なーんで、私がここにいるんだ、的な?」
ふふふ、と笑えば、ピクリとイルハルトの頬が
「…そうだな。カーヴィアルのルフトヴェーク大使館で別れた筈が、ルフトヴェーク本国のレアール侯爵邸で会うとは、さすがに思わんな」
「でも、物理的には間違ってないんだよね。マルメラーデのイエッタ公爵家に、余計な話を漏らさないように圧力かけて、
「……〝影〟の尾行でも付けていたのか、小娘……」
まるで見てきたように言い切られ、イルハルトから、驚きのあまり一瞬殺気が飛んだ。
とは言え、隙は全く見えず、誰もその間合いに踏み込む事が出来ない。
「うふふー。今、
言質を取ったとばかりに、ものすごく楽しそうに笑うキャロルを、余程カチンときたのか、イルハルトが
「ふざけるな。そんな『うっかり』が、あってたまるか。筋金入りの第一皇子派の貴様が、ここにいる時点で、そんな言い訳は、口にするのも時間の無駄だろう」
イルハルトは、キャロルを「第一皇子の駒」の一人と思いこんでいる。キャロルも、敢えて訂正はしていない。
ランセットとヘクターは、場の空気を壊す愚は侵さず、ここは無言を通した。
「うん、それは確かにね。ついでに言うと、カーヴィアル帝国金貨の質が落ちている事の確認は、アデリシア殿下に注進してきたし、
「……なっ」
「ちなみに〝影〟とかは動いてません。あなたが一人で大陸中を飛び回っているのと同様、こちらもそんなに人材豊富じゃないもので」
そもそも、どこの国でも〝影〟などとは、聞いた事がない。いるのは専属護衛や諜報部員など、役割を細分化されて、存在する者達だ。スパイ小説の読みすぎか、と思わずツッコミたくなってしまうくらいだ。
「馬鹿な…そんな話は……」
「多分、ちょうど今頃、あなたの大切な
ランセットやヘクターには、キャロルが何をやってきたのかが、ほとんど分かっていない。
ただ分かるのは、ほぼ単独で、リューゲ自治領以外の全ての国を、良い意味で引っ掻き回してきたと言う事だ。
拳を握り締めたイルハルトから、再びユラユラと殺気が立ち昇ったのを、この場の誰もが視界に認めた。
「………小娘、ひとつ教えてやろう」
剣も再び、構え直している。
キャロルも軽口を畳んで、眉間に皺を寄せた。
「何でしょう」
「私が
「………心配」
フレーテ・ミュールディヒは、キャロルを「殺せ」と口にした訳ではない。
あくまでフレーテの心配の種は残らず取り除きたいと願うイルハルトが、
自主的に――次々政敵を刈りとっていく。
「他の計画がどうなろうと、私の中では、さしたる重みはない」
イルハルトの殺気が、一気に圧力を増す。
「つまりは、レアール侯爵を取り逃がしたとしても、貴様を殺すだけでも、立派に
――第二ラウンドが、始まろうとしていた。