72 届いた手紙
『キャロル様、これを!』
ロータスが、馬留めに置いてあった、使われていないタオルを数枚差し出した。
伝書鳩程度ならともかく、
キャロルが素早くそれを右腕に巻き付け、首から下げられるようにしておいた香木を、胸元から取り出す。
指笛を吹いて、腕を掲げると、上空を旋回していた
やはりあれは、ルスラン・ソユーズの白隼だ。
『苦手とおっしゃっていましたが、指笛、ちゃんと鳴っていますよ』
真顔のロータスは褒めているつもりなのかも知れないが、普段からあまり得意ではないキャロルとしては、若干複雑な気分だ。
せっかく格好良くキマったと思ったのに、生温かい目で見ないで欲しい。
とりあえず、いつ飛んで来ても良いようにと、ポケットに忍ばせていた干し肉を与えて、腕に留まったタイミングで、背中を撫でてやった。
『ロータス、後で生肉を厨房から少し貰ってきて、この
『承知しました。料理に使わない、切り落としたお肉なら、多少は分けて頂けるのではないでしょうか』
『うん。お願い』
短く頷くと、キャロルは白隼の足元に付けられていた、小型の筒を取り外した。
筒の中に入っているのは、もちろん手紙だ。
『‼』
手紙は2通あった。
1通は、ルスラン。この白隼の世話の仕方と、ルスランの所への戻し方が、まず書かれており、そして最後に、一行、付け足されていた。
〝エーレ様の意識が戻った〟――と。
『……ごめん、ロータス。この
キャロルの声も、隼を留まらせていた腕も、震えている。
タオルごと白隼を受け取りながら、その様子をロータスが
ただ視界の端に、キャロルの唇が、小さく「エーレ」と動いたのだけは、捉える事が出来た。
〝キャロルへ――。
君にまで距離を置かれてしまう事に怯えた結果が――こんなにも、君を追い込んでしまった。
代わりに俺は――アデリシア殿下の後宮から「キャロル・ローレンス」を、
彼の本心は、会ってみないと分からないけれど…この期に及んでも、やっぱり俺は――君の隣の席に、誰も座らせたくない。
君と会って、もう一度最初から、きちんと話をしたい。
その上で、俺を選んで欲しい。
アデリシア殿下との話が終わったら、俺もレアール侯爵領に向かう。傷口が開いてでも、無理をしてでも、最短日数で、駆けつける。
イルハルトは、今でも恐らく、君より強い。
君が、何も考えずに向かった訳ではないと、ルスランも言っていたけれど、それでも、一筋縄ではいかないと思う。
多分、俺がレアール侯爵領に着くよりも早く、イルハルトと君は剣を交える事になるんだと思う。それは避けられないと思う。
そうさせてしまった自分自身を…俺は一生許せないだろう。
それでも、頑張れ…とは、俺は言わない。
それよりも、何を差し置いてでも、生き残って欲しい。俺が行くまで、
せめてクーディアで、君に会っておきたかった。
会って、伝えたかった。
俺の隣の席は――永遠に君だけのものだと。
エーレ・アルバート・
『キャロル様⁉』
手紙を握りしめたまま、膝から崩れ落ちたキャロルに、ロータスが慌てて駆け寄った。
大丈夫だと言うように、無言で首を振りながら、キャロルはかろうじて、
『そ…うですか……』
キャロル言う「あの人」が誰なのかは、気付かないロータスではない。
キャロルが涙を
『追いかけるから……生き残れ、と……』
『それは……重大任務ですね』
『………うん』
初めて見る〝ルーファス〟の文字。
偽りのない、彼自身の感情。
キャロルはこれまで誰にも、アデリシアにさえも、生きて戻る事を約束しなかった。イルハルト相手に、それは無理だと思っていた。
今でも、半ば無理だと思っている。それでも。
『ロータス……手助けしてくれると、嬉しい。一対一とか、そんな騎士道精神を発揮してたら…瞬殺されるだろうから…』
エーレだけが、たやすく自分の感情を揺さぶってくる。彼が言うなら――生き残りたいと思ってしまう。
『――もちろんです、キャロル様』
ロータスが片膝をつき、キャロルと同じ目の高さにまで視線を落として、頭を下げた。
『どうして私が、無為に、デューイ様の後継たる貴女様を死なせたりするでしょうか。今、屋敷には二人ほど、特に使える護衛もおります。では、貴女様も私に約束下さいますか』
『ロータスと…約束?それは私でも出来る事…?』
『恐らく、キャロル様にとっては、そう簡単ではない事の筈です。ですが、本気で生き残ろうと思われるなら、避けては通れません』
ロータスは、キャロルはもちろん、
私の無謀は看過出来ないが、私がやれと言う事に否やはないと言った
自分達を上手く使えと、常に主張していた――副長に。
『私は、デューイ様をお守りします。そちらには、一切気を取られずに済むように致します。そして、キャロル様にお付けする、護衛二人を――無闇に
『……っ』
『以前、ルヴェルの街で襲われた際に、屋敷の護衛を土壇場で逃がそうとされたとか。今回は決して、それを
『ロータス……』
『最初から、護衛達を
決して、一対一になるような戦い方をしてはいけない。圧倒的な力の差がある相手に、綺麗事だけでは生き残れない。
キャロルも、それは分かっているつもりだ。
『その…二人?と、会ってみてからでも良いかな。でないと…今は、約束出来ない』
少なくとも、もしもの時に、自力でイルハルトから
そんなキャロルの内心を汲み取ったのかどうか、ロータスの口の端に、笑みが浮かんだように見えた。
『もちろんです。ですが恐らく…キャロル様にも、お認め頂ける2人だとは思います』
その、意味ありげな笑みの正体をキャロルが知るのは、侯爵領に入ってからの事になる。
『キャロル様。馬装は私が致しますので、その
『………あ、うん。そうだね。じゃあ、ちょっと、部屋で手紙書いてくるね。この
見上げれば、
『うん、ありがと。よろしくね』
そして立ち上がったキャロルは、手紙を大事そうに懐にしまうと、いったん馬留めの場からは離れた。
レティシア達との、最後の昼の会食までの短い時間で、キャロルが何を書き上げたのかは、ロータスは知らない。
もちろん、そもそも何が書いてあったのかも、分からない。
『隣の席…か……』
だからその呟きは、聞かなかった事にしておいた。