54 母と娘
「結構早くから、エーレ様はお嬢ちゃんが欲しいと、レアール侯に打診をしてたって事か……だけどレアール侯は、二つ返事で話を受けた訳じゃないよな?だったらとっくに、お嬢ちゃんはルフトヴェークに居を移してた筈だ。何らかの要因があって、保留にしていたところへの、
「
「お嬢ちゃんの気持ち、か……」
「………ええ」
声を殺して泣く、この姿が、何より雄弁な「答え」だと、ヒューバートもロータスも、同時に理解していた。
弟が継ぐであろう侯爵家とは一線を引き、カーヴィアルの近衛隊長として、剣を捧げる――それでも、どうしても手放せなかった思いが、ここにある。
近衛の職を一時退いてまで、ここに駆けつけたのは、ただ、父親の身が危ないからと言う事だけではなかった筈だ。
ヒューバートは、大きく息を吐きだした。
「お嬢ちゃんも…エーレ様を好きでいてくれてたって事か……」
「キャロル様は……3歳で私が初めてお目にかかった頃から、先に相手の思いを汲んで、ご自分の事は後回しにされる方でした。そんなキャロル様の、これが唯一の我儘だとおっしゃるなら……力の及ぶ限りは、何とかして差し上げたいのですが……」
「………3歳?ちょい待ち、
目を丸くするヒューバートに、ロータスはニッコリ微笑って答えをはぐらかした。
「………ロータス?」
その時、彼らが入って来た出入口の方に佇む人影が、恐る恐ると言った
「カレル様!」
その声をよく知るロータスが、慌てて扉の前を離れて、入口の方に駆け寄る。
「申し訳ありません。そろそろ、お声をおかけしに行こうと思っておりましたのに――」
「いいえ、デュシェルはまだ眠っているから、いいの。目が覚めて、外の空気を吸いに出たら…外で会った、そちらの部下の方から、
部屋の扉は、半分とは言え、開いている。
例え
「そう……旅の途中に、お世話になったと言うだけじゃ…なかったのね……」
そして、母の勘は大の男2人よりも、よほど鋭い。
「…もしかして、少し身分の高い方なのかしら?」
「……っ」
ロータスもヒューバートも、言葉に詰まった時点で、推して知るべしである。
カレルは、ため息をついた。
「もう…見た目や頭の中身はあの人そっくりなのに…そう言う不器用な生き方だけ、私と同じ事をするって……
何やらぶつぶつと呟きながら、キャロルがいる部屋の前を通り過ぎ、奥にある店の準備スペースの方へと入って行く。
「カレル様?」
「ちょっと、目を冷やす布と水を用意するわね。キャロルと少し話をするわ。ロータス、デュシェルや他の皆さんの朝食をお願い出来るかしら?」
「……承りました」
「あー…俺んトコは、後で外で適当に食うんで――」
言いかけたヒューバートの言葉は、妙に迫力のある、カレルの笑顔に遮られた。
「息子はまだ5歳になっていなくて、そんな子どもが、一人で食べるのって、とっても寂しいと思いません?」
「え、いや、そう言うのは、家族水入らずで食うんじゃ――」
「泣いている娘には、なす術もないんですから、でしたら、息子の食事くらいは、付き合って下さいますわね?」
「―――」
* * *
どのくらい、そうしていたのか。
突然、頬に冷たい布がピタリとあてられた。
「…お…母…さん…」
「はい。後回しにされちゃって、とっても寂しいお母さんです」
わざと、おどけて見せる
「ごめ…なさ…」
「ああ、良いのよ。とりあえず、泣き腫らした顔だと、デュシェルがビックリするから、これで冷やして…ね?」
「泣き…腫らしては…」
「そう言うのは、後からジワジワくるのよ。経験者の言う事は、素直に聞く事」
カレルがかつて、デューイから貰ったハンカチを手に、クーディアで密かに泣いていた時代がある事を知るキャロルも、そう言われれば頷くしかない。
受け取った布を、そのまま両の
「……この人の事が、好きなのね?」
そっと問いかけるカレルに、キャロルはコクリと頷いた。
「あなた宛の縁談ね…これまでも、なかった訳じゃないの。でもデューイは、
「多分……」
公式行事の後で、何か話をしていたと、ヒューバートが言っていた。エーレがデューイに、キャロルの素性を確認していたに違いない。
「じゃあ、デューイにちゃんと言わないとね?デューイが悩むって言う事は、多分この人の身分は、デューイよりも上。そんな人が…あなたが好きで、あなたと結婚したいって、直接言ったんじゃないのかしら?」
「…そう、なのかな……」
「でなきゃ、デューイは悩まないわよ。他の縁談同様、一刀両断して、終わりだわ。皇弟殿下からも、何か話があったみたいなんだけど…断るつもりだって言ってたから。それで宮殿で孤立しているって言うなら、それはデューイが、そう決めて、受け入れた事なんだから、あなたは気にしないで良し」
「⁉」
驚いたように、布から顔をあげるキャロルの頭を、カレルがくしゃくしゃと撫で回した。
「でもちゃんと、この人の目が覚めたら、私に紹介してね?
「そ…んな人じゃ…」
「分からないわよ?だって
「エーレは、あんな面倒くさい人じゃない……」
夢中になって、
「……何気に酷いわね、
「最初から…甘かったかも知れないけど……」
「あら」
2人の視線が、どちらからともなく、
「……早く目が覚めてくれると良いわね」
志帆が、この世界で誰かを――デューイを愛せたのなら、深青もきっと…大丈夫。
頭に置かれた手から、そんな言葉が伝わってくる気がした。
「……うん」