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26 副長の矜持

 ルフトヴェーク公国駐在大使との会談予定時間から、約1時間が過ぎた。
 だが大使本人や、大使館からの使者などは、未だ来る気配がない。

 むしろ、こちらから出した使者が、戻って来てもおかしくない時間だ。
 幾つもの仮説が、頭をよぎっては、消えた。

 とても控えの間に、じっとしていられる心境ではなかったので、キャロルは巡回と称したまま、宮廷の表門の側まで来ていた。

「!ローレンス隊長、馬が1頭こちらに向かって来ます!ですが、少し様子が――止まる様子がありません!」
「開門して、中へ入れて!私が確認する‼」

 門の外にある限り、管轄は、軍だ。慌てた様子の門番に、キャロルはとっさに、そう指示をして、表門を開けさせた。

 馬上には、2人。一人はまるで、鞍を着けるかのような体勢で荷物のように乗せられており、もう一人は、その人物が落ちないように(かば)いながら、馬にしがみついているような状態の為、前が見えている様に見えなかった。

「止まれ!…と言っても、無理か…」

 門を走り抜けた馬は、まだ止まる気配がない。

「ごめんね、ちょっとだけ耐えてっ!」

 言うが早いか、キャロルは、通り過ぎようとした馬の手綱を掴むと、自らがヒラリと馬上に身を躍らせた。
 勢い良く手綱を引くと、馬は大きく(いなな)いて、前足を高く上げたが、勢いはそこで削がれた。

 大の大人の3人乗りなど、馬が骨折しかねないので、キャロルは、前足が地に着くタイミングを見計らって、自分は素早く地面へと飛び降りた。

「はいはい、どうどう。頑張ったね、お疲れ様」

 キャロルは、ポンポンと馬の顔や立髪を叩いて、ようやく落ち着かせたものの、手にぬるりとした違和感を感じて、ふと、手を離した。

「隊長、お怪我を⁉」

 駆け寄ってきた門番が、真っ赤に塗れるキャロルの手に、ギョッと目を見開いたが、キャロルはもう一方の手で、それを制した。

 ゆっくりと、馬上の方を見上げる。
 ――血塗(ちまみ)れの、2人を。

「誰か、水を!」

 静まりかえった表門周辺が、キャロルの一言で皆、我に返る。

「う……」

 そして、キャロルの鋭い声が耳に届いたのだろう。小さい呻き声とともに、馬上の人物の唇が、微かに動いた。
 自分の服にも血が着いてしまう事は無視して、キャロルは2人を馬上から引きずり下ろした。

「ローレンス…隊長……?」
「ええ、そうです。先ほど出られた軍の方と――そちらは、典礼省の方ですよね?」
「…大変…殿下に…お知らせ…せねば……」
「今、取り次ぎます!ですが一体…一体、何が…っ‼」

 本来、アデリシアよりも先にその内容を(ただ)す事は、儀礼上好ましくはないのだが、この時のキャロルには、それを思いやる余裕はなかった。

「…血の…海が……」
「え?」
「大使館…は、血の…海で……」

 ルフトヴェーク公国大使館からここまで、もう一人を乗せて、バランスを取りながら走り続けてきた青年の、それが限界だった。

 キャロルの方に倒れこむように、気を失ってしまう。

 元より、典礼省の使者は、気を失ったままの状態で、何かを聞けるとは思えない。

「……っ!」

 意を決したキャロルは、大きく息を吸い込むと、その場で指笛を勢いよく吹き鳴らした。

「――隊長っ⁉」 

 一瞬の間を置いて、あちらこちらの窓やバルコニーから、近衛隊の部下たちが顔を覗かせた。

「サウル、私と来て!トリエル、この2人を侍医室へ!意識が戻り次第、殿下に謁見申請!セナル、近衛の何人かをここへ残して、追跡者がいないか警戒待機!――急いでっ‼」

 矢継ぎ早のキャロルの命令に、最も早く反応したのは、近衛隊の副長たるサウル・ジンドだった。

 彼は無言でバルコニーの手すりに手をかけると、躊躇なくその身を躍らせて、目の前の木で器用に身体を1回転させると、キャロルの前に降り立った。

「サウル。ユニについて来られる馬を出して。大使館に――」

 しかしサウルは、それには応えず、落ち着いた仕草でキャロルの右腕を掴むと、走り出しかけていた彼女の動きを、制止した。

「近衛の(おさ)が、殿下の許可なく城を離れてどうします!」

「…っ、サウル⁉」

「殿下への謁見申請は、あなたが行って下さい!そのうえで、どうしてもと言うのなら、俺を大使館へ()って下さい」

「―――」

 キャロルは唇を噛みしめて、目の前の副長を睨みつけた。

「隊長、どうやら自覚がないようなので言わせて頂きますが、朝からあなたは、明らかにおかしい」

「……っ」

「今、敢えて理由は問いません。ただ、いざという時に最も迷惑を被るのは俺なんでね。あなたには、あなたの責任の範疇の事をしていただきますよ。――あなたが、何と言おうとも」

 2人は短い間(にら)み合っていたが、そこに宮廷の中から、トリエルが駆けつけてきたため、いったん中断される形となった。

 舌打ちをしたキャロルが、サウルの手を振り払う。

「隊長!」
「いい、分かった!」 

 拳を握り締めるながら、キャロルが叫んだ。

「宮廷に戻ればいいんでしょう、戻れば……っ!」
「だから俺に命じて下さい、と」

 淡々としたサウルの声に、徐々にキャロルの苛立ちも収まってきたようである。

 副長の言葉をかみしめるように、ゆっくりと、視線を向ける。

「サウル」

「あなたの『無謀』は看過出来なくとも、あなたが『やれ』と言う事に、『出来ない』とは、言いません。近衛隊は、そういう隊です」

 濃い紺色の髪に、やや褐色じみた肌は、内陸・リューゲ自治領の血を色濃く映し出している。

 移民系3世であるサウル・ジンドは、少し前まで近衛隊ではなく、帝国正規軍の方に所属していた。

 上司に対しても堂々と諌言してのけるその性格や、移民への差別意識などもあって、軍内で追い落としをかけられた事も一再にとどまらない。

 数年前、士官学校を発端にした、アデリシアへの叛逆未遂事件が起きた際も、あわや巻き込まれて、命を落としかけたのだが、その窮地を救ったのが、キャロルだった。

 キャロルにしてみれば、あくまで「アデリシアのついで」、たまたまアデリシアの側にいたために拾い上げたに過ぎなかったのだが、恩は恩である。

 10歳と言う年齢差があるにも関わらず、サウルは二心なく、副長の地位を受け入れている。

 人の性格と言うのは、そう簡単には直らないのだが、キャロルにはサウルの諫言を、受け入れる度量がある。
 この時も、数秒の空白をもって、彼女はサウルの「提案」を受け入れた。

 左手でサウルの胸倉を掴むと、自らの方と引き寄せて、耳元で囁いた。

「なら、ルフトヴェーク公国大使館の様子を見てきて」
「隊長」
「ただし、表立っては行かないで。万が一、何かが起きていたのだとしても、今、騒ぎになるのは、(まず)い。外交問題になりかねないから」
「外交、ですか」

 近衛隊長らしからぬ発言なのだが、ディレクトアの将軍まで招いた、重要な会談を控えていた事は確かである。

 キャロルの手を胸元から外しながら、「分かりました」と、サウルは答えた。
 キャロルが、近衛隊長としてではない、何かに関わっている事は間違いない――と、目を(すが)める。

 自らが大使館に向かおうとした時に、近衛組織としてみれば、本来ならサウルはこの場に残さなくてはならない筈なのに、敢えて同行させようとした事が、その証左だ。

 分を超えた事をしている自覚があるから、生半可な部下は同行させられないと、判断したのだ。

 その点、それ相応の信頼は受けていると見て良いのだろうが、複雑な気分がするのも否めない。

「使用人の出入口から、中を(うかが)ってくる――それで宜しいですね、隊長」
「………任せる」

 …典礼省の使者たちを運んできた馬を、再び走らせるのは酷だ。

 サウルは血(まみ)れの馬を、馬留めの方まで連れて行くと、代わりにそこにいた自らの愛馬に(またが)り、キャロルの横をすり抜けるように、表門を駆け抜けて行った。

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