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27 語られる光景

 副長のサウルを走らせた後、昏倒した典礼省の使者と、軍の護衛を運ぼうとするトリエルを、いったん止める。

「隊長?」

「状況が不完全な内から、これ以上大勢の人間の目に触れさせる訳にはいかない。トリエル、衛兵と門番に箝口令を。この2人はいったん、オルドナー侍医のところへ運ぶから、よろしく」

 近衛隊に近しい侍医、とは宮廷侍医たちの中でも、政治色・権勢欲が薄く、己の職務に最も忠実な――要は少々、変わり者の医師の事である。

 案の定、宮廷付き医師テレンス・オルドナーは、運び込まれた血塗れの使者を目にしても、顔色一つ変えなかった。

「これは、全てこの者達の血ではないな。精神的なショックで気を失っているだけだ。じきに目を覚ますだろう」

 手早く使者達の服を脱がし、その血を水に浸した布で拭き取りながら、オルドナーはそう言って、最後、キャロルへも別の布を投げた。
 怪訝そうなキャロルに、黙って血塗れの手を指さしている。

「あぁ…すみません」

「今日はルフトヴェーク公国の駐在大使が来ると、聞いているぞ?いたずらに騒動を大きくしたくないのは、分かっている。彼らは、ここで間違いなく預かる。君は殿下の所へ戻れ」

 まだ三十代も半ばで、宮廷内でも若手の部類に入るオルドナーは、現在、下級兵士や下士官の手当てなどを中心とする立場にあり、いきおい彼の口調も、気安いものとなっている。

「どちらかに目を覚まして貰って…事のあらましを理解したいと思うのは、無茶ですか?」
「ああ、まったく無茶だな。君らしくもない」

 まさに、一刀両断である。いっそ清々(すがすが)しすぎて、キャロルも苦笑しか出てこない。

「私らしくない、ですか」
「どうした?」
「いえ、さっきサウルにも同じ事を言われたので…何となく笑ってしまったと言うか」
「そういう事を、正面きって言ってくれる者は重宝しておけ」
「心得ます。あ…じゃあテレンスさんも、大事にさせていただきますね」

「おい、ついでか。まあ、元より言われずとも、この男が口にした事を耳に留めておくつもりはない。侍医の守秘義務は、町医者のそれよりも遥かに厳しいからな」

 いったん、そうやって話を区切る事で、オルドナーは間接的ながら再度、アデリシアの元へ戻る事を勧めている。

 確かに、ここにいたとて、使者達の意識が戻るまでは、無為な時間が過ぎていくだけなのだ。
 キャロルは諦めたように、ため息をついて立ち上がると、執務室へ向かうために、身を翻した。

「⁉」

 だがその扉は、彼女が予測するよりも早く、物凄い勢いで開け放たれた。

 飛び込んで来た人影に、避ける間もなく激突したキャロルは、執務室や控えの間とは素材の異なる、堅いバウム石の床に、不本意にも背中から叩きつけられた。

(いった)っ…!」

 当然、飛び込んで来た側もしたたか、キャロルとは逆方向の扉に身体をぶつけた訳だったが、それどころではないとでも言いたげに、サッと身体を起こした。

「…サ…ウル……?やけに早い――」
「どういう事ですか、隊長!」

 顔をしかめながら、キャロルもゆっくりと身体を起こす。

「ちょっ…何?」

「隊長が、ルフトヴェークに家族や知り合いがいるって言うのは、この数年、隊長を見てきた俺たちにだって分かっていたし、今更、気にも留めなかった。けれどあれは、違う!あなたが、普通にしていて関わる様な話じゃない!さっきは、敢えて理由は問わないと言ったが、撤回します。説明していただきますよ。それも、納得のいくものを!」

「―――」

「隊長!」

 説明をする側と、される側とが、共に興奮していたのでは、話にならないと、深呼吸をしたキャロルは、激昂するサウルをなだめるように片手を上げて、彼を制した。

「声を落として、サウル。扉を閉めて。それから貴方が大使館で何を見たのか、具体的に説明して。話は、それから」

 落ち着いたキャロルの仕種は、かえってサウルを苛立たせたものの、話が進まない、と思ったのは、彼も同じだったようである。

「…大使館は、宮廷に駆けこんで来た彼らのような、血の海でしたよ」

 奇しくも、使者達と同じ「血の海」と言う言い方を、サウルもしたが、それ以外に説明のしようがなかったと、後でキャロルも知る事になる。

「あれでは誰一人、宮廷へは来れませんよ!大使はおろか、誰一人として‼」

「……それ、は」

「…全て斬り殺されていましたよ。職員も、使用人も――全てです。あれで、生きている者がいるとは思えません。いるとすれば、それは手引きした裏切者以外には有り得ない」

 いっそ冷やかにサウルは言い、かえってその光景の凄惨さを、居並ぶキャロルとオルドナーに感じさせた。

「そこの彼らも、恐らく俺と同じ光景を見た筈です。文官や、入隊して日の浅い武官などには、刺激が強すぎる。おおかた血の海に足をとられて、何度も転んだが故の、あの状態でしょうが…血の臭いに吐かずに、気を狂わせずに、馬に乗って宮廷に戻ってきただけでも、褒められてしかるべきだ」

 元・軍人として戦場経験のあるサウルですら、顔を(しか)めた程なのだ。

「彼らが意識を取り戻した時点での報告なんて、遅すぎる。詳細が分かるまで、伏せていました――で、済む話じゃありません、隊長。あの血の臭いは、まだ半日もたっていない事を表していた。斬殺者が、まだこの帝国(くに)にいるのか否か、一刻も早く軍に確認をさせる必要があるし、宮廷内の警備とて、早急に強化する必要がある。分かっていますか?このままだと、殿下とあなたが手引きを疑われかねないんですよ!」

 キャロルに、大使館を襲撃するような、腕はあっても時間はない。近衛として、アデリシアの指示なく宮廷を出る事がないからだ。
 だが、キャロルには、ルフトヴェーク公国との〝繋がり〟がある。

 何か不正を抱えていて、会談をさせないために、子飼いに大使以下職員の殺害を指示したとも、アデリシアがキャロルの不在を黙認して、殺害させたとも、複数の言いがかりをつける事が可能な状況になっているのだ。

「いったい、何をやっているんです⁉あなたの所属は、近衛隊でしょう!聞き飽きましたか?ええ、そうでしょうとも、自業自得です!ご理解頂けないなら、何度でも言いますよ。これは、我々の領分を逸脱してる‼」

 サウルの手が、机に叩きつけられ、派手な音を立てた。

「サウル……」

「ああ、はいはい。今、ここで職務権限について語り合わないでくれるか。とりあえず、殿下にお知らせしない事には、話にもならんだろう。執務室で差し障りがあるなら、私の名前を使って、ここにお呼びすれば良い。どのみちそろそろ、表門の騒ぎがお耳に届いている筈だ。人の口に戸は立てられない。今なら、ここにお呼びしても、不自然じゃないだろう」

 サウルの叱責に顔を歪めたキャロルに助け舟を出したのは、ようやく、血塗れ云々の話から心理的動揺の再建を果たしたらしい、オルドナーだった。

「テレンスさん…」

「私が落ち着いているなどと思うなよ。空元気の糸が切れて、あちらこちらに喋り出してしまわないうちに、事態を収拾して欲しいだけだ。分かったら、さっさと行け」

 出て行けと言わんばかりに手を振るオルドナーに、サウルは舌打ちし、キャロルは軽く頭を下げた。

 結局、現在は最もオルドナーの言葉が、現実に則していると、二人ともが認めたようなものだった。

「サウル……ここには誰も近づけないよう、お願い。話の続きはその後で」
「……分かりました」

 侍医室を出た2人は、いったんそれぞれ、別の方向へと歩き出した。

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