③
「サシャ、聞いてくれ」
サシャをそっと引き剥がして、シャイは言った。一気に溢れた涙で視界はぼやけていたけれど、サシャはその顔を見つめただけで理解した。
このひとは今、『シャイ』ではない。
『ロイヒテン様』だ。
「俺は、サシャの前では『シャイ』でいたかった。だからこそ、この国に帰ってきてからサシャに『シャイ』として告白した」
涙が止まらないまま、サシャは彼を見つめるしかない。そんなサシャに言い聞かせるようにロイヒテン様は続けていく。
「でもこのままじゃ駄目なんだ。きみをもう『かりそめのお姫様』にしておきたくない。サシャのことを護るためにはきちんとしないといけないんだ」
うしろから、いつのまにか近付いていたおつきの男性がいた。何度もミルヒシュトラーセの行き来に付き添ってくれたひとだ。
彼がシャイになにかを渡した。
大きな花束。真っ赤な薔薇だ。何本あるかもわからない。百本近くあるかもしれない。
シャイがそれを受け取り、そっと身を屈めた。サシャの前に跪(ひざまず)く。
薔薇の花束を差し出され、言われた。
「だから今度は、ロイヒテンとして告白する。サシャ、きみを愛している。きみは、『シャイ』じゃない俺のことも愛してくれるかい」
今度は違う意味でサシャの頬に涙が伝った。
花束を受け取る。ずっしりと重かった。まるで彼からの愛情の深さを示しているような重み。
手に抱いて、やわらかく抱きしめて、サシャはそっと目を閉じた。目に溜まっていた涙が勢いよく頬へ流れる。
「ロイヒテン様」
目を開けて、サシャは笑った。
「言うじゃない。薔薇はどんな名前でもそのうつくしい香りに違いはないと」
いつかと同じ、泣き笑いではあっただろうが、本心からのほんとうの笑みで笑う。
「だから、勿論よ。『シャイ』も『ロイヒテン』も貴方の中にいるひとだもの。愛しているわ」
サシャからの返事は半ば予測されていただろうが、ロイヒテン様は幸せそうに微笑んだ。立ち上がって花束ごとサシャを抱きしめる。二人に挟まれた薔薇から、甘い香りが立ち込めた。
ほんとうは、いつからかどちらでもよくなっていた。
呼ぶ名前が『シャイ』でも『ロイヒテン様』でも。
だってサシャの愛しているひとは、なんと呼ばれていようとその一人なのだから。