③
「キアラ様たってのお願いなのです。どうぞ、ご一考くださいますよう」
彼は慇懃だったが、断ることなど許さない、という響きを帯びていた。当たり前であろうが。ここでサシャからの良い返事を取ってこなければキアラ姫の機嫌を損ねてしまうだろうから。つまり、サシャはこの封書の中になにが書いてあろうとも、yesの返事をする以外ないのである。
ごくりと喉を鳴らした。請けないという選択はない。とりあえずこの封書を読んでみて、なんと返事を書くか考えなければ。
「……わかりました」
震える手で封筒を受け取った。裏には封蝋(シーリング)が丁寧に押して封がされている。紋はわからなかったが、ミルヒシュトラーセ王家のものに決まっていた。見てしまって更に手は震えた。
「お願いしますよ。……お時間を取らせました。お仕事なのでしょう」
「……はい」
それで話はおしまいになってしまった。彼はバーの入り口までやってきて「長々と失礼いたしました」とマスターに軽くお辞儀をして去っていった。
マスターはなにか聞きたそうな顔をしていたが、幸いサシャの出番の時間が迫ってきたので、サシャは誤魔化すように「急いで着替えてきますね!」とバックヤードへ走っていった。
どこか夢心地のままバックヤードで薄っぺらなドレスに着替え、簡単なメイクをして店に出た。今日はピアノの伴奏に合わせて力強く歌う。しかしどこか集中しきれなかった。
バックヤードの、自分のバッグに忍ばせた水色の封筒。
シャイは確かに『ロイヒテンの身分があるから、ややこしいこともたくさんあるだろう』と言っていた。
しかし、こんなに早く『ややこしいこと』が起ころうとは。彼と恋人関係になったことをちっとも後悔などはしていないが、少なくとも思っていたよりもずっと、ずっと大変な事態になってしまったのだと、やっとサシャは噛みしめた。