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:彼女は、生ける妖精:


「お父様、馬車でこの森に入って……ずいぶん経ちますわね」

 豪奢な馬車の中、向かい合って座っている父の目が、マリアベルに注がれる。

「ああ、そうだね……」
「遠い、ですわね……」
「そう、だね……」

 ファルザット王国首都ファンテルーシュからくねくねとした道を馬車に揺られることおよそ五時間。
 突如出現する霧に包まれた大きな森は、この国の貴重な資源であり、同時に最大の観光資源である。
 森のほとんどは樫の巨木・古木で出来ているため、地元の人たちはそこを『樫の森』と呼んでいる。

 森を南北に貫く道はきちんと舗装され、馬や馬車、徒歩でも楽しめるよう工夫が凝らされている。観光地や保養地として整備されているため、休暇を楽しむ家族連れが散見される。

 だが、その道は森の真ん中より手前あたりまでしかない。

 その道の終着点はちょっとした広場になっている。
 簡単な食堂のみならず、休憩所や宿泊施設、土産物屋などが一通り並んでいる。そこで休息をとった観光客は来た道を戻って王都へ帰っていく。

 誰もその先に進もうとしないのは、広場の先は急激に細い道になり、さらに樫のほかにガジュマルの巨木やゴムの巨木が突然増え、これまで以上に鬱蒼とした雰囲気が漂っているからだ。行っても楽しそうとは思えない。

 しかしそれを抜けた先に、『神龍の離宮』は建っている。

 まず、手前にどっしりとした巨大な門がある。左右に門番の詰め所があるが、無人だ。
 さらに細い道を進むと、灰色の尖塔や、本城が次々と姿を現す。どれも古い石造りの重厚な建物である。しかし、周囲の樹の根や枝が掃われていないため、建物そのものが傾いてしまっている。木が建物守って、いや、浸食していると言っていい。

 とある扉の前で、マリアベルを乗せた馬車が止まった。馬車の中から、緊張の面持ちのマリアベルと、正装した父親がおっかなびっくり降りる。

「ここ……? ここよね……さっき見た、欠けた塔はこれだものね……」
「ああ、そうだね。扉に、王家の紋章がついている」

 ごくり、と唾を飲み込んだマリアベルが、そっと歩き出す。

「ご、ごめんくださいまし……」

 返事はない。再びノックし、先ほどより大きな声を出す。

 その声をききつけたのだろうか。ファルザット国の紋章がついた甲冑を身に纏った門番らしき男が、どこからか駆けてくる。
 彼の目が眩しそうに細められるのは、ようやっと周囲を照らし始めた朝陽が目に眩しいからでもなく、午前中で眠たいからでもなく、玄関前に立っているワインレッドのドレスを着た妖精――フォンベルファウンド公爵令嬢マリアベルが美しいからである。

 街中で彼女を見た人は恍惚として言う。
「あれは、生ける妖精に違いない」
 と。

 甲冑を纏った彼も、生ける妖精の噂は知っていた。本物をみるのは初めてだが、彼女が噂の『生ける妖精』だというのは疑いようがなかった。

 噂どおりに彼女の髪の毛は艶やかで長く美しい。そして、何より珍しい色をしている。茶色や黒といった暗色系が多いこの国にあって、レディシュと呼ばれる赤い色なのだ。その髪の色に惹かれて彼女を見た人々は、次に彼女の美貌に息をのむことになる。

 卵型の輪郭にバランスよくのった目と鼻。柔らかな微笑を絶やさない血色の良い唇と頬。肌理の細やかな白い肌はあまりに滑らかすぎて触れるのが憚られる。そして、青空を融かしたかのような青い瞳が印象的だ。

 そんな彼女が町を歩けば男女を問わず人が立ち止まり、彼女が乗った馬車が停止すれば人だかりができる。
 実際、甲冑の彼も、仕事を忘れて彼女に魅入ってしまっている。

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