バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

:これが、離宮?:

「イメージと全然違うんですけど!」
 思わず声に出して言ってしまってから、白いレースの手袋をはめた手ではっと口元を押さえた。
 大声を出すなどレディにあるまじき振る舞いだったかもしれないと思い、微苦笑を浮かべる。そうしておいて、ゆっくり、いや、おそるおそる、目の前の建物を見る。

 鬱蒼と茂る森の中ほどに突如現れた灰色の屋根。
 てっぺんが大きく欠けてはいるが、それは古式ゆかしいデザインの尖塔である。もしかしたら、立派な鐘もついていたかもしれないが、その影はない。

「これは……」

 愛国心を総動員し、尚且つ贔屓目に見ても「年代物の廃城」としか評せない。
 ストレートに包み隠さず言えば、「今にも崩れ落ちそうなボロボロの監獄」だろうか。
 なにせ、立派に育った蔦が壁にびっしり張り付いているし、鉄格子は錆びてギィギィとうら寂しい音を響かせている。破れた窓には……何もない。カーテンの一きれもガラスの一欠けらもない。

(うう、何かこわいものが出てきそうね……)

 廃墟を見つめるマリアベルの脳裏に旅の吟遊詩人が聞かせてくれた歌の歌詞が蘇る。

 例えば――姫君が延々と眠る廃城。
 例えば――雪山のてっぺんにぽつんと立つ山荘。

 たいてい、そういうところでは悲劇が起こる、と相場が決まっている。

「国を追放された人が生涯そこに閉じ込められて、王に対して恨みを抱いたまま死亡し、幽霊となって彷徨っているのよね……」

 しかしそれらの『創作物』に出てきた建物と目の前の建物では、決定的に違うポイントがある。それはこの建物が『現役』であることだ。
 そう。現在進行形で使用されているのだ。彼女は今から、そこへ行かねばならない。
 そこ、すなわちこの国の守護神・神龍が眠っていると言われる『神龍の離宮』である。

 離宮――というものがこの国に存在しているということは、フォンベルファウンド侯爵令嬢マリアベルも知っていた。そして、『離宮』というからには、王族がバケーションのために滞在したり退位した先王が老後を過ごしたり、あるいは幼い王子たちが暮らすための立派な建物だと思っていた。
 明るくてきれいで……少数精鋭の女官たちによって隅々まで手入れがなされている、そんなイメージだった。

 だが、現実は大きく異なった。現実を知ると同時に、

 『神龍の離宮』へ流す。

 という刑罰がどれほど大変なことか、理解した。これは、この国では終身刑の次くらいに重い罰だ。過去にあまりに危険という理由で一度は廃止されていたものを、当代の王が復活させたらしく、主に、王に逆らったり王の不興を買ったりした人が送られることになっている。
 他国で言うところの『島流し』『都落ち』『左遷』……その類である。

 考えてみれば、素晴らしい住環境のところに罪人を流してもあまり意味はない。しかしこの離宮は、島流しや都落ちというには王都から近すぎる位置にある。馬車で一日とかからない場所にあるのだから。だが、ほとんど王都から出ることのない上流階級や王族たちにとってここは地獄に等しいだろう。そうでない階級の人々もおそらく……絶望感に満たされるだろう。
 この建物に足を踏み入れたら、王都へと帰ってくるのは至難の業であるのは間違いない。

(そもそも……帰って来た人なんて、いるのかしら?)

 王城の門前にある掲示板には、離宮送りが決まった人々の名前や階級、理由がその都度、張り出される。
 騎士団の人や城下町で一、二を争う豪商、旅人たちも流されているが、彼らが戻ってきたという張り紙は見たことがない。
 人知れず戻っているのか。或いは、戻れず離宮で死んでいるのか。
「あのお方はーー……」
 チラリと脳裏に浮かぶ端正な顔を無理やり消して、拳を握る。
「……さて。どんな建物でも、何があっても、マリアベルは生きのびて王都のお屋敷に帰って見せますわ!」

 マリアベルは、そう言いながら無意識に胸元に下がるペンダントを手で握った。
 そこには、小さい頃から愛用しているルビーのペンダントがある。不安な時、落ち着かない時、これを握っていれば、自分を保つことができる。
 マリアベルにとって御守りのようなペンダントだ。

「が、がんばりますわ……」

 如何せん、化けものが出て来そうな建物だ。何が起こっても不思議ではない。生きて帰るためにはかつて自らが封じた『魔法』を使う必要に迫られるかもしれないが、出来るだけ、使いたくない。

(二度と使わないと自分で決めたのだから。素手で、頑張りましょう……)

 拳を握るマリアベルの背後で、馬車の扉が開いた。
「マリアベル、指定された時間に遅れてしまうよ。ここからあの離宮の玄関までは、もう少し距離がある。さ、乗りなさい」
 灰色の髪に灰色の瞳の穏やかそうな紳士がマリアベルの手を取った。
「お父様……」
 マリアベルは、灰色の尖塔をじっと見つめた後、ゆっくり馬車に乗り込んだ。

しおり