②
やれやれ、と思った。さっさと用事を終えて帰りたかったのに、と思ってしまう。
でも仕方がない。一時間、自由時間ができたと思えばいいわ。
せっかくだから、そのへんの雑貨屋さんや洋服屋さんでも見ましょう。
そう思えば楽しみになって、サシャは街の中心部へと向かった。
バーのある、サシャの暮らしている街よりここは少し大きい。輸入店があるだけあって、海が近いのだ。近いとは言っても、歩いていける距離ではないが。今日は一時間しかないこともあって、見に行くことはできないだろう。
でも一度、機会があって見に行ったことがあった。港にはたくさんの船がとまっていて、その先には青く広々とした水がたっぷりとたたえられている『海』というものが広がっていた。どこまで続いているのかもわからない。
その先には別の国があるのだという。ここからでは見えもしないほど、遠くに。
サシャはよその国を知らなかった。話くらいしか聞いたことがない。
でも特に興味もなかった。自分とは違う世界のことだ。
自分にあるのは、学校、バー、そして街中のカフェ・シュワルツェをはじめ、身近な店。そのくらい。交友関係だって、父やちょっとした親戚、学校の友人や教師、ほかにはシャイをはじめバーやカフェに出入りする人々などだけ。そのくらい小さな世界。
でもそれで満足している。この世界で平穏に過ごせればそれでいいのだ。
ああ、でもあの広い海は綺麗だった、とふと思った。今、冬の折では水辺は寒いかもしれないが、広々とどこまでも続く海を何故か、見たいと思ったのだ。
そんなことを考えながら道を歩き、隣街へ来たときはたまに訪ねている雑貨屋へ向かっていた、そのとき。
不意に、きゃぁ、と声が上がった。女性の黄色い歓声だ。愉しそうな、嬉しそうな。
遠くから、がらがらという大きな車輪の音もする。馬車の音ではあるが、サシャが今日乗ってきたものよりずっと大きな音だった。つまり、それだけ馬車が大きいか立派なのだ。
「いらしたわ!」
「王子様の馬車よ!」
きゃぁきゃぁと楽しそうな会話が聞こえてきた。サシャがそちらを見ると、どうやら『それ』が通るのは予定にあったらしく、人々が道路の脇に集まっていた。若い少女から年配の女性までさまざまであったが、とにかくほとんどが女性であった。
『王子』というからには男のひとが乗っているのだろう。そのひとを一目見たい、という気持ちなら、女性が多くて当然。
「海の向こうの王子様よ」
「外交ですって」
馬車を、そして乗っているであろう『王子様』を一目見ようと待っていた女性たちはそんな会話をしていた。
それを聞いたサシャも少し興味を覚えた。
王族の方を拝見したことなどない。どのようなひとなのか、ちらっと見てみたくなったのだ。きっと綺麗に着飾って、もしかしたら顔立ちもうつくしいかもしれない。行き当たったのもせっかくの良い機会であるし。
よって、道のはしへ寄って、こちらへゆっくりと走ってくる馬車を待った。