③
馬車はたいそう豪華だった。金色とワインレッドに彩られていて、サシャの乗ってきた、木材剥き出しの粗末な実用性しかない馬車とは比べ物にならない。
素敵だわ。
その特別な乗り物を見ただけでサシャはうっとりしてしまった。
馬車の速度はゆっくりだった。『外交』だそうなので、少しくらいは街の人々に顔見せでもしようということなのかもしれない。
王子様。
どのような方かしら。
野次馬のようだがわくわくと待ってしまう。
馬車に乗っていたのは、若い男性と女性だった。
男性は成人して間もないほどの、黒髪のひと。
女性はそれよりだいぶ若かった。若い、というか、まだ少女。サシャより少し下に見える。
同じ黒髪で、衣装の雰囲気も似ていたので、結婚している夫婦というよりは兄妹のようにサシャには見えた。
しかし、目にしたその男のひとのほうに、サシャは違和感を覚えた。なんだか既視感があったので。
黒い髪をオールバックにして綺麗に撫でつけていて、瞳は高貴な琥珀色。とても格好のいいひとだった。
なのに、見惚れてしまうよりはなんだか妙な感覚がした。
私、この方を知っているような気がするわ。
そんなことを思ってしまって自分に驚いた。
知っているはずがないだろう。海の向こうから外交に来た王子様なんて。
どこかでお写真でも見たのかしら。
不思議な感覚にちょっとぼんやりとしているうちに、馬車はがらがらと音を立てながら目の前を通過していった。乗っている男性と女性は微笑を浮かべて、窓から時折町のひとたちに手をひらひらと振っていた。そしてそのまま行ってしまった。
「素敵だったわねぇ」
「ロイヒテン様、やっぱりイケメンだわ」
観ていた女性たちは、ほうっとため息をついてそのような会話をしていた。
先程の王子様。ロイヒテン様というらしい。
知らない名前だった。名前も知らないひとのこと。どうして変な感覚を覚えてしまったのか、余計にわからなくなってしまった。本か写真かなにかで見たなら、当たり前のようにお名前も一緒に見たことがあるだろうに。
「妹様も大きくなられたわね」
「ええ。素敵な女性におなりになりつつあるわ」
雑談を聞くに、やはり兄妹だったようだ。そのうち野次馬をしていた女性たちもちらほらと散っていった。
サシャもその場を去ろうとして、でもうしろだけが小さくまだ見える馬車を見遣ってしまった。
なんだろう。なんだかとても心がざわめく。
そのあとはお店を見るどころではなくなってしまって、結局街中をふらふらするだけで一時間は終わってしまった。そして再び輸入店を訪れて、帰ってきていた店主に今度こそ手紙を渡し、煙草を五カートン買った。
そのあとは馬車乗り場で乗り合い馬車を待ち、また三十分ほど揺られて暮らす街へ帰った。景色を見ている間は、目にした王族の馬車と兄妹だという二人のことを考えていたが、馬車を降りる頃にはもう意識はバーの仕事へシフトしていた。
遅くなっちゃった。あと二時間もすればバーが開くのに。それまでにドレスの準備をして、メイクを少し派手に化粧し直して。
馬車を降りて運賃を払って、そのあとはカートンの煙草を抱えて、サシャは小走りでバーへ向かっていた。