第三話
応接室に通された三人の表情は、少しばかし面白かった。家の外観から内装まで全てに驚いてくれたのか。おそらく、入り口からずっと口を開けたままだったのだろう。
そして、追い討ちのようなわたしの正装とコリンの執事姿に、さらに目を丸くしていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
恭しく一礼する。三人は釣られたように、お辞儀を返してくれた。
「どうぞ、おかけになってください」
ローテーブルを挟んだソファに座るよう促す──三人はぎこちない動きでソファに腰を下ろした。平民のノアとマークはともかく、デリックは多少場慣れしていてもいいと思ったが、そこはまだ子ども、ということかしら。
メイドが紅茶とお茶菓子を持ってきてくれる。
「……アンって、貴族だったんだな」
デリックが、淹れられる紅茶を眺めながら、ボソリと呟いた。
「そうよ。デリックのお父様とわたしのお父様は仲がいいの」
「……だから、俺にクソガキって言ったのか」
初対面の時のことをよく覚えているものだ。忘れていて欲しい出来事だ。
「コリンくんは、アンちゃんの執事だったの?」
ノアが横で立っているコリンに話を向けた。
「そうです。幼い頃から、お嬢様の身の回りのお手伝いをしていました」
「本物のお世話係じゃん……」
いや、本物のお世話係はメイドなんだけど……。
修正する気にもならず、ノアには微妙に勘違いさせたままでいることにした。
「……お姫様じゃなくて、お嬢様だったのか」
「だからって、お嬢様扱いしろってわけじゃないからね?」
女の子は姫だと教わってきたマークに注意する。
人数分の紅茶が淹れられ、お茶菓子も整った。メイドが礼をしてから、その場を去る。
この部屋にいるのは、わたしと四人の十六歳だけ。
──遂に、この時がきてしまった。
言おう、この子たちに。
わたしが、二十六歳だって。
「今日はね、本当は、話したいことがあって呼んだの」
三人は紅茶やお茶菓子に、思い思いに伸ばしていた手を止めて──わたしを見やる。
心臓がどくどくうるさい。
手の汗が気持ち悪い。
──でも、言わなきゃ。
「わたしね……、十六歳じゃないの」
「…………は?」
デリックとマークは固まった。ノアだけがいつもと変わらない微笑を浮かべたままだった。
「ちょっと長くなるけど……わたしの話、聞いてくれるかしら」
三人はコクリと頷いた。その様子をコリンが見守ってくれているのが分かる。
「わたしが十代の頃は病弱で、学校に通えなかったの。家庭教師を雇って魔法を学び、今は全ての属性魔法を使いこなせるようになったわ。魔法研究の趣味が高じて、ライターの仕事もやってて、病気の症状も良くなった──でも、お父様から『お前には社会性が足りないから学び直してこい』って、この学校に入学させられたの。だから、わたし、本当は……」
膝の上で、両手をぎゅっと握りしめる。
「二十六歳なの……」
しん……と、応接室が静まり返った。
二度目の説明となるノアだけが、呑気に紅茶をすすっていた。
デリックとマークは、理解が追いついていないようだった。
同い年のクラスメイトだと思っていた人物が、本当は十個も年上だったなんて。ただでさえ貴族という身分で驚かせてしまっているのに。
俺たちを騙していたのか、と怒鳴られたとしても、わたしは全身全霊で謝罪をするほかないのだ。
「アン……」
デリックがわたしの名前を口にした時──
コンコン。
「アン、今いいか? お客人が来ているのか?」
ドアの外からお父様の声がした。
「はい、お父様──お友達を、連れて参りました」
「そうか。ぜひ、挨拶をさせてくれ」
ドアが開いて、お父様が入室してくる。途端に三人の背筋が伸びた。
お父様はわたしの隣まで歩いてきて、三人に向かって会釈する。
「初めまして。アンの父です」
にっこりと紳士の振る舞いをするお父様に、三人は高速で頭を下げた。
「デリックです」
「ノアと言います」
「……マークです」
三人の十代らしい挨拶を微笑ましく見てから、お父様は尋ねた。
「君たちは、アンのお友達かね?」
──それを、今、聞くのか。
背中に冷や汗が流れるのを感じた。歯の奥に嫌な味が広がる。
お父様の前でだけは友達のふりをしてくれ、なんて図々しいことを頼める雰囲気でもなかった。
友達にしてくれ、と自ら志願してくれたノアはともかく──ここで他の二人が「友達ではないです」と宣言してしまえば、退学の許可は降りないだろう。
デリックは──クソガキと呼んでしまった過去がある。一緒に試験を乗り越えた仲ではあるものの、友達と定義してしまっていい関係なのか、わたしには見当もつかない。
マークは──演劇祭で共に主役を演じたけれど、ほぼ足を引っ張った形になっている。それに女として扱わなくていい、なんて口喧嘩まがいなやりとりもしてしまった。
二人は、わたしのことを友達と思ってくれているのだろうか……。
父の問いに、真っ先に返事をしたのは、やはりというか、ノアだった。
「はい。ボクはアンさんのお友達です。休日に二人で遊んだこともあります」
「そうか、二人で……か」
お父様の声が少し低くなった──ま、まさか、娘のデートを気にしてるの!? 相手、十六歳よ!? こんなところで面倒な父親ヅラ出さないで!
「お前、いつの間に……!」
「この前の試験休みに、ちょっとね〜」
デリックに睨まれ、ノアは悪気なく「えへへ〜」と頭を掻いた。
「そっちの二人は、アンのお友達なのか?」
ノアの回答を皮切りに、お父様はデリックとマークに視線をやった。
わたしは祈るような思いで、返事を待つ。
やっぱり……、男四人兄弟だったノアが特殊だっただけ……。
……普通、二十六歳の女と十六歳の男の子は、友達にはなれないわよね……。
半ば諦めかけたわたしの肩を、コリンがポンと叩いた。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
口パクだけで、そう告げる──わたしはデリックとマークに視線を戻した。
二人は顔を見合わせてから──
「はい、友達です」
と、声を揃えた。
わたしは目を見開く。
父は「そうか」と薄く笑い、上品な動作で立ち上がる。
「これからも、娘と仲良くしてやってくれ」
それだけ言い残して、応接室から出て行ってしまった。
ドッと全身の力が抜ける。
「ノア……、デリック……、マーク……。ありがとう……、本当にありがとう……。こんなわたしと、友達になってくれて……」
「何もしてねーよ、俺ら」
ずっと姿勢良くしていたデリックが、ようやく紅茶に口をつけた。
「そ〜そ〜。アンちゃんは歳の差と友達を気にしすぎ!」
「同い年だからじゃなくて、お前だから、オレたちは一緒にいるんだ」
ノアとマークもお茶菓子のクッキーを頬張り始めた。
三人の言葉が胸に沁みる。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
立っているコリンが、上から微笑みかけてくれる。
緊張も変な汗もなくなって、美味しい紅茶がわたしの門出を祝福してくれているようだ。
「ううん、本当にありがとう……、これで魔法学校を退学できるわ!」
ガッツポーズを決めるわたしだったが──さっきまで和やかだったムードの三人の空気が、一気に不穏になった気配がした。
「…………退学?」
「そう! あれ、言ってなかったっけ? わたし、『家に招待できるくらいの友達を三人作ったら途中で退学してもいい』って条件で、魔法学校通ってたの! これで十六歳に囲まれて劣等感に苛まれる日々も終わりだわ〜」
「聞いてない!」
ガタン! と、三人がローテーブルに身を乗り出した──その表情は、察するにあまりあるほど、不満をたたえていた。
「な、何……? 怒ってるの……?」
「怒ってるよ! なにその条件!? 友達になったら、アンちゃんが学校からいなくなっちゃうってことだよね!? だったら、ボク、今からでもお父さんに友達じゃなかったって言ってくる!」
「ま、待って! ノア! やめて!」
お父様を追いかけようと応接室を出ようとするノアを必死で止める。
「俺も『脅されて友達のふりしてた』って言ってこようかな」
「デリックまで……!」
助けを乞うようにマークの方を見るが、
「いやだって、話が違うだろ。家に招いてくれたと思ったら、絶交突きつけられたようなもんだぞ」
「べ、別に絶交とは言ってないでしょ……!?」
ノアを引き止めても、デリックとマークがわたしを責め立てる。
「コリン〜……」
コリンに助け舟を求めたが──彼は小さく首を横に振るだけだった。
「……正直に申し上げますと、僕もお嬢様には退学してほしくないので、他の三人の意見に賛同します」
「そんなぁ……!」
気づいたら、三対一どころか、四対一の図式になっていた。
まずい……! このままだと、本当に今から、お父様に『友達じゃなかった』と暴露されてしまう。
わたしは友達になれたと思ったのに……!
「ど、どうしたらお父様に告げ口しないでもらえる……?」
半べそになりながら、十個年下の少年たちにお願いする。なんて哀れな二十六歳。しかし、ここでなりふり構っている場合ではないのだ。
わたしの懇願にノアは考える素振りをして、
「う〜ん、じゃあさ、退学するなら、ボクの恋人になってよ!」
と、高らかに告げた。
え……?
こ、恋人……?
「じょ、冗談よね……? わたし、あなたより十個も年上なのよ……?」
「うん。知ってるよ」
何を今更当たり前のことを、と言わんばかりの表情だ。
「それ、いいな。退学するなら、俺のもんになれよ」
「何よ、俺のもんって。奴隷にするつもり?」
「なんでこの流れで奴隷なんだよ」
デリックまで、ノアの悪ノリに乗ってくるなんて……!
どんどん味方がいなくなっていく状況で、わたしは最後の綱とばかりにマークを見た。
マークはわたしと目が合うとニヤリと口角を上げて、
「退学するなら、オレと付き合うっていうのもあるぞ」
「選択肢変わってないわよ!」
仮に付き合うとしても三人いっぺんは無理だし、そもそも十六歳の子どもは恋愛対象外だ。せめて二十代になってから出直してきて欲しい。
「付き合うなんて無理よ! だってあなたたち、まだ子どもじゃない!」
わたしが叫ぶと、三人は声を揃えた。
「じゃあ、退学しないで!」
こ、これが目的かぁ〜!!
三人とも、本気で付き合おうなんて思っているわけじゃなくて、わたしが拒否すると分かりきっている無理な条件を出すことで、退学させまいという作戦……!
友達という弱みを握られているわたしには、対抗できうる手段がない……!
わたしは観念した。
──わたしの負けだ。
「わ……分かったわ。……退学、しないから……」
「ほんとに!? やったぁ〜」
ノアがぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。デリックとマークはハイタッチしていた。コリンも「しょうがない」というふうにため息をつく。
……まぁ、いっか。
もうちょっと、この子たちと年齢にそぐわない学園生活を送るのも。
思っているほど、悪いものでもないのかもしれない。
「アンちゃん」
ノアに呼ばれて、わたしは彼らと視線を交えた。
「ボクたち、本気だから、覚悟しててね」
ノアも、デリックも、マークも、不敵に微笑んでいた。
──本気って、何が?
言葉の意味を理解できないわたしと三人の間に、コリンが割って入ってきた。
「それ以上はダメです。お嬢様は将来的に、僕がお嫁さんにするので」
「え……? コリン……?」
わたし、コリンのお嫁さんになるの?
初耳なんだけど……。
「うっわ! 静かだと思ったら、やっぱりそうだ! コリンくんもアンちゃんのこと好きだと思った!」
ノアがコリンを指さして、頭を抱えた。
「ライバル増やすなよ」
「面倒なことになったな」
デリックとマークがやれやれと肩をすくめる。
何、何、何……?
なんでわたしだけ置いてけぼりなの……?
「だからぁ! ボクたち全員アンちゃんの恋人になりたいってこと!」
ノアが痺れを切らして説明してくれるが──だからも何も、それが理解できないんだって。
どうしたら十六歳が二十六歳と恋人になりたくなるのよ。
お互い、恋愛対象外のはずでしょう。
十六歳は大人しく十六歳同士で恋愛していなさいって。
「そんなこと言われても、好きになっちゃたものは、仕方ないよね」
ノアのセリフに、他の三人がうんうんと首を縦に振る。コリンまで。
「十個下だの、二十六だの、数字ばっかりうるせーんだよ」
デリックが吐き捨てるように言った。
「オレたち、数字と恋愛してねーから」
マークも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ほら、お嬢様はご自身の魅力に気づいてないだけって言ったでしょう?」
コリンが微笑む。
恋愛対象じゃないって告白を断ってるはずなのに、全然引く気がない十六歳たち。
──かくして、わたしの十年越しの学園生活は、続行する羽目になったのだった。
……あー、十六歳って、わっかんない!