潤子とサクラさんに会いに行く。
週末はあっという間に近づいてくる。ここまで一生懸命働いたことはないというとくらい熱心に仕事に注ぎ込んだ。作家たちの文章を目にしていると、とても誠実でひたむきな、まるで何かを咀嚼して吸収した結果、それにより自分が産み出した物語と対面しているかのような感じがする。みんな頑張っているな。私も戸惑うこともあるけど、精一杯努力しなければならない。今日は徹夜になりそうだ。でも、潤子とサクラさんにまた会えるのだ。だから明日の土曜日に彼女たちの神々しい姿を見れることを考えると、今日の徹夜もきっと、小学生の明日の遠足みたいになかなか眠れないといったみたいに、私も興奮して眠れないに違いない。でも、人は一日くらい寝ないからといって死ぬわけではない。むしろその興奮の持っていきようのないこの感覚を持続して心に秘めたものとして維持するなら素晴らしい人間的な超逸性を発揮して、とてつもない能力を宿すのではないか、そう思った。私も昔、初めての恋を経験したとき、眠れずに布団の中で、大好きだった人のことをいつまでも考えていたことを、つい最近のことのように思い出した。懐かしいなあ。そんなこともあったっけ。恋愛は無理をしてするものではない。今の心境はまだ一人でも寂しくはないのだ。でももう少ししたら恋愛をしてもいいかな。たまにぽっかりと心に穴が開いたりするときがある。そんな時にパテみたいに埋める材料があると、心が不安定になるのではなくて、安心して前に進める動機となるのではないか。それにしても物事が動きだしてきたな。よし、これからが私の人生で最も輝かしい栄光に満ちた歩み方をするときだ。心を振るわせて、きっと天空へと羽ばたいてみせる。
私は徹夜の影響もなく、すっきりと覚醒した状態で朝を迎えた。全然眠気は感じなかった。早朝の五時半にテレビをつけて、ああ、こんな時間にも仕事をしている人もいるんだなあと、感慨深い気持ちを抱いた。窓のブラインドを上げると、まだ暗闇で、新聞配達のバイクのエンジン音が聞こえてくる。そっか、身近なところでこんなにひたむきに働いている人の存在が心を打つんだ。まるでおとぎ話の世界のようだ。私も毎日早く起きて自己研鑽に励みたい。その為にできることってなんだろう。書店には自己啓発の本や宗教書などがたくさん並んでいる。その中から自分を啓発する書物を選ぶというのは本当に大変なことだ。それに自分が正直何者であるのか、いったいこれから先どのような目標というか、将来を望んでいるのか分からないで進むということにためらいもあったし、でも、それが当然でもあるし、自分の過去を精算してこそ未来に輝かしい光が降り注ぐ、そう感じることもあった。しかし、この世にはなんと様々な考え方があるのだろうか。その中から真理を探し出すなんて不可能なんじゃないか。でも諦めずにとことん自分に興味がある本を読みまくって大切な真実を探し出す。気軽にいこう。そんなに真剣になって真実を真理を探そうなんて真っ正直に生きることはない。
早めの朝食を作ることにした。ホットケーキミックスをボウルに入れて牛乳を注いでよく混ぜる。それからフライパンに油をひいて混合物を入れた。なんともいえない香しい匂いが鼻の奥に到達する。まるで儀式をしているような恍惚感とシンプルな朝食だけどとてもリッチでもある。ホットケーキが焼き上がる時間まで、コーヒーを淹れる。冷蔵庫からバターとメイプルシロップを出してテーブルに置く。ホットケーキが焼けたので、皿にのせてその上にバターとメイプルシロップをかけて出来上がりだ。なんとも贅沢な朝食だ。コーヒーも複雑な香りを放っている。朝食の間、タブレットでYouTubeを見ながら食事をする。私は有名なユーチューバーには興味がない。再生回数が少なくても、人を心から笑わそうとする、誠実でひた向きで、定期的に動画をアップする人に興味があって、今、関心があるにはシンプルに自宅の食事をする風景を撮影して投稿している人の動画に関心がある。そこには人を大胆に驚かそうとか、ショッキングな映像で人をビックリさせて、再生回数を伸ばすとか、そんな気持ちは全くなくて、だだ、食事をして、たまに今現在世間で起きていることを、ぶつぶつと呟く感じの動画だった。私はそこに共感をおぼえて、繰り返し見ている。そんなに大それたことをしなくてもいいのにな。たくさんの人に見てもらいたいという気持ちは理解できる。現にそれを職業にしている人たちにとって、再生回数を増やすということはとても大切なことだろう。それは物語が数多くの人に読まれることを想定しているということにも比例している。私だってそうだ。でも、多くの人に見られているからといってそれが正義とは限らない。たとえ少数の人にしか見られなくても、ある人を感動させたりすることは可能だ。もちろんそのような数少ない人を感動させることができたから多くの人に見てもらえるということもあるだろう。そこが難しいところだ。はたして、正解はあるのだろうか?私は静かに自分の呼吸音に耳を傾けた。少し気持ちが落ち着いて、残りの食事をかたづける。
シャワーを浴びて始発の電車に乗るべく、アパートを出た。駅までの歩道を歩いて、まだ走っている車が少ない。駅前のマクドナルドが見えてきて、店内に入って、ホットコーヒーのMサイズを注文する。二階の窓際の席に座って、目を閉じてゆっくりと呼吸をする。まわりの客たちの足音とか、店員がテーブルをふく微かな摩擦音が聞こえる。これからの人生について何気なく考えた。これから先、私はどういう風に生きていくのだろう。もしくはどういう風に生きなければならないのか。なにか、転機となるアクションはないものか。まわりの人たちは今日会社で行わなければならないことのシミュレーションを頭の中で考えているのだろうか。自分の家族の為にひたむきになって働くことにも誇りを持っているのだろうか。私は本当に恵まれている。みんなを喜ばせる、感動させる仕事をすることができている。とても幸せ者だ。そして大切な友人もいて、今からそのかけがえのない潤子とサクラさんに会いに行くのだ。そのことを思うとここで両腕を天に伸ばして、『サイコー!!!』って叫びたい気持ちになる。窓から駅構内を見ると大勢の人が立っている。私もその群れに加わりたい。その中の一人でもいい、お互いに知り合えて自分の心の内を自白出来たら。でもそんなことは無理だと分かっている。なぜ人々はこんなにも近くに寄り添っているのに分かち合うことができないのだろう。他人に話しかけるにはとても勇気がいる。例えば映画館に行って映画を見る。たくさんの人と一緒になって笑ったり感動して涙を流したりする。それでも隣の観客と交流をもつことはないだろう。でもそれはあまりにも期待過ぎなのかもしれない。私たち人間には予想もしない能力、他の人と共感する能力があるはずだ。それを最大限に向上させることは可能だと思う。どうすればそのようなシンパシーを共に増やすことができるのだろうか。私にとって今のところ小説が全てだ。作家たちが心地よく小説を書いて、その中に含まれている様々な感情を通して読者の心を揺り動かす。今、そんな新たな状況が生まれているような気がする。たくさんの作家たちがまるでお互いに連携して、宇宙的で壮大なストーリーを醸し出しているような感じがするのだ。これから先、どんな状況が起こるのかはわからない。一過性のものかもしれないし、恋愛小説ブーム、サイエンスフィクションブーム、サスペンス小説ブームといった、様々な盛り上がりがあったけど、それらを凌駕するほどの原作が集中して今現在人々の目にさらされている。それは過去百年無かったことだ。きっとその中には日本国内だけでなく世界に通用する作家が出てくるだろう。私はそう憶測をたてている。今まで日本の文学がこの地球上で広く知れわたることはあまり無かった。一部のコアなマニアの間では、とくに日本愛好家の人を除き、世界的に有名な村上春樹だとか吉本ばなななど僅かにすぎない。でもこれからその作家に継ぐ人が出るだろう。世界的な文学者、世界を魅了する人がこの日本から現れる。とても心が躍って自分もその一翼を担ってみたいと思う。そんな作家を世に送り出すことができたら最高の気分だろう。
電車に乗るべくマックを出て駅に向かった。ほとんど毎日電車に乗るけど、いまだに新鮮な気分で利用している。なぜだろう?今日は特に。二人の大切な友人と会えるんだもん。最高の日だ。
電車が駅のプラットホームに到着してドアが開き中に入った。休日で電車内は家族連れ、恋人たち、友達同士でいっぱいだった。みんな悲しみや辛さの表情は微塵もなくて、喜びと希望で溢れている。私もその人たちの影響を受けてとても気分がすぐれていた。世界中がこんな新鮮で涼やかな状態だったらいいのにな。何でみんないがみ合っているのだろう。ここ、日本は世界一安全な国だと実感した。空気に太陽の光の匂いを感じた。そうだ、太陽があるからこそ私たちは誕生し生きていけるのだ。この地球にも私たちが生きるに欠かせない様々な要素がたくさんある。この世界に生まれてきていろんな生物があるけど、それらはみんな同胞なのだ。大局的な見方をすればトンボやハエやダニだって私たちと同じようにこの地球で生きている。そう考えると全ての生物は皆、一心同体であり、ひょっとしたら私たちはお互いに邂逅することだってできるのかもしれない。
電車は滑らかに進んでいく。潤子とサクラさんに出会うべくして。横須賀の街へ、この街は私の第三の故郷になろうとしていた。私の生まれ故郷である札幌。そして祖父母が住んでいた夕張。その系列につながった。これから先、きっと幾つもの自分にとってのかけがえのないふるさとが心に刻まれるにちがいない。それが楽しみで仕方がない。今、気になっている土地がある。それは四国の愛媛県だ。その松山市にとても興味があるのだ。なぜかと言ったら私がお気に入りのユーチューバーが住んでいるところなのだ。私はその動画を見て、癒されない空腹を我慢して、食べた気になるのだ。あー、今一番食べたいのは潤子の作るアップルパイだ。あの自然な甘さ、サクサクとした小麦の感触が懐かしい。それをあともう少しで食べることができるのだ。きっとサクラさんも食べているだろう。アップルパイ中毒に犯されているにちがいない。それはとても良い兆候だ。今思ったのだけどアイスクリームと一緒に食べたら美味しいにちがいない。想像が膨らむ。今度、自分の家でアップルパイを作ってみよう。きっと自分で作ればそれは貴重な体験になるだろう。
私は様々な過去に楽しかったことや、辛かったこと、希望に満ちた将来、学生時代のことを振り返った。その中で本当に私の為になった事ってどれくらいあっただろうか。今この瞬間にも現在が過去となり未来が現在となる。いつもできるだけ誠実に一生懸命生きてきたつもりだったけど、はたしてそれに見合うだけの成果があがってきただろうか。でも、唯一言えることは決して今までの人生は無駄ではなかったて言うこと。どんな問題があがってきたとしても、それを乗り越えるだけの力があるはずだ。今まで私は真正面から戦ってきた。まあ、ちょっと大げさかもしれないけど。これからも目の前に様々な格闘すべき事件が向かってきたとしても、それを避けるのではなくて抱き込むかのように正々堂々としていたい。それが私のポリシーだ。それにそんな問題が起きた時、私は自分一人だけで解決するのではなくてまわりには親身になって相談できる仲間がいる。ほんと私は恵まれている。今、多くの人はSNSで自分を紹介しているけど、私は見ず知らずの人とネット上で知り合うということには抵抗があった。いろいろな人と知り合いになれるというのは魅力的かもしれないけど、大きな欠陥が潜んでいる気がするのだ。これは私の考えが未熟だということだろうか。でも私には会社のなかで悩みを相談できる仲間がいるし、新しくできた、親友である潤子とサクラさんという存在がいて、この関係は一生つきまとっていくという予想をたてている。この予言は確かだ。でも、本当ならできるだけ自分で問題を解決することができなければいけない。しかし、私だって人間だから、時には精神がぶれることだってある。その時にいかに停滞した心を上向きにもっていくことができるか、それがとても大切なことなのだけど、いまだに解答はでない。でもあまり深刻に考えるのはよそう。これからまるで海外旅行へ向かうかのようにバカンスへ行くのだ。久しぶりにこんな感覚に陥った。でも考えてみれば私は編集者として、いつも新たな世界を経験しているはずだ。それがいつの間にか、のほほんとした、暖かい空間に生きていたことだろう。刺激的というか、心を揺さぶられる体験をしてきただろうか?正直に考えるといつもぬるま湯に浸かっていたことを改めて考えねばなるまい。それを私に気づかせてくれたのは、まだ年端もいかない若者たちだ。私たちは大人の世界で子供たちを見ていないだろうか。もう一度子供の世界に潜って、浸りきって世界を見つめることが必要なのかもしれない。そうすれば少なくとも今の世の中に見られる世界的な分裂から一歩下がった目で見られるかもしれない。この転換期ともいえるこの世で生きていくのは大変なことだ。でも道に生えている雑草を食ってでも生を全うする気概が求められているのではないか。そう思うと、路上で生活している人たちが素晴らしく光輝に満ちているようにも感じられるのだ。私にはとっても恥ずかしくてできないけど、どんなことをしてでも人様に迷惑をかけずに生きていくということは凄いと思う。
横須賀線に乗り換えて潤子の家へと向かう。さあ、もう少しだ。サクラさんにも会えるけど、アップルパイが気になる。あの自然な甘味、シナモンの芳香、サクッと、じわーっと感じる全てオールマイティーなる完璧なパイが。あと少し。でも待ちきれないほどそれが近づけば近づくほど、時間は伸びて遥か遠くに遠ざかっていくのだ。