第5話 ベイツ型擬態
秋窪紅葉と出会ってから六ヶ月ほど経ったころ、私と秋窪紅葉の距離はより近いものとなっていた。彼女があまりに言うものだから、呼び名が秋窪さんから紅葉さんに変わったり、近場で同じ一人暮らしをしているせいか、以外とお揃いの小物を持っていることが分かったり、大体そんな感じ。一般に先輩と気が合った時にする関係の進展の仕方と大体同じ成長度合いといえるだろう。
今回の事件の元凶ともいえる私を味方してくれるような人間は彼女しかいないし、気楽な相談相手の存在は素直に喜ばしかった。私がオソノイの話をして、彼女が中田愛弓の話をするという歪な時間も多かったけど、少なくとも破綻はしていなかっただろう。
オソノイから離れる決心も、ついた。
そうなると、私達に残された問題は舞台をどうやって中止させるかのみとなる。しかしその問題が解決する兆しはなかった。紅葉さんが「考えていることがあるんだ。まとまるまでもう少し待ってほしい」と言っていたので、素直に任せている。
というわけで、私は脅しを受けた張本人だというのに、任された役割はといえば、最後の思い出作りのみなのだった。オソノイと離れる私への|餞《はなむけ》のようなものだと捉えている。
もう少し何かできることがあればいいんだけど…。
そして、そんなオソノイのこの頃はというと、突然頭が悪くなったらしい。いや、まあそれでも勉強がだいっきらいな私よりは全然頭がいいんだろうけど、小テストなんかの勉強を一切しなくなったらしい。「突然なんで!?」と思ったけど、どうやら悩んでいる様子ではなさそうだったのであまり聞かないでおいた。
勉強もしないで何してるの?と聞くと、最近はやってもいないゲームのwikipediaを読んでいると言っていた。文章量が多いものは読み応えがあるらしい。よく知らないけどとんでもなく暇なのだということはなんとなく分かった。私が突然電話しなくなったこともオソノイはあまり気にしていないようだった。都合がいいといえばいいけど、あまり楽しい気分ではない。
そして、変わったのは彼女だけではない。以前の私はオソノイが世間の風評に影響を受けずに泰然自若としている様を見ると安心していた。私の得意ジャンルが流行だから、側にいるとき彼女の役に立てると思ったのだ。それが今の流行りなんだよ!ってね。そして、代わりにオソノイに勉強を教えてもらう、パーフェクトな計画だった。
でも今は、私はオソノイに勉強を教わらなくとも良いようにしなければいけないし、彼女に世間の流行を追えるようになってもらわなければいけないのだ。離れ離れになる前にインスタグラムのアカウントを作らせる。それが私の目下の目標だった。
その日も私は、取り留めもないような流行のことを、オソノイと話していた。
「許されるなら、Vtuberになってみたいんだよね」
何も考えずに口からこぼれ落ちた言葉だが、播川瑞羽を辞めたい。取り返しのつかない罪を全て消し去りたい。そんな思いから出た呟きだったかもしれない。
しかし、そんな非常にハードボイルドな呟きだったというのに、オソノイからの返事がなかった。こういう時は大抵、いつまで経っても返事は来ない。
「ねえ、ってば」前に出て呼びかける。
「ごめんだけど、Vtuberって知らないからなんとも。許可とかいるやつなの?それ。」
|も《・》|う《・》なれないんだけどさ。いつか、全てが終われば私が身分を隠してオソノイと会える日が来るかも知れないが、少なくとも今は青葵に何をされるか分からない。
さっきみたいに、彼女は私がいくら話しかけても、どれだけ飛び出ても絶対に歩幅を変えない。特にこだわりはないらしいんだけど、返事すらしないことも多い。絶対に損するから直した方がいいと思うんだけど、直さなくても生きていけるらしい。
無駄話を続けていると、オソノイが突然「それよりさ」、と言い出した。オソノイが自ら会話を始めることは少ない。もしあるとしたら、そのときは大抵、私への説教か『メトロトレミー』の話だ。どっちも聞き流すんだけどね。
「それよりさ、明日一緒に登校しないで、朝会の20分前くらいにあそこの空き教室で待ち合わせしない?」
呼び出しは当然、初めてだった。空き教室というと私達が昼食で使用している二年Hクラスの事だろうか。
「大事な話?」
「大事な話。」
彼女はこういうときであっても一切表情を動かさないし、一年一緒にいても何の機微も察せられない。眠そうな顔は最近ようやく見分けがつくようになったのだが。
オソノイという女はワードセンスが命だと思っている節があり、表情や声の抑揚に頼ると負けだと思っているらしいのだ。Twitterでも140字以上を表現するためにメモ帳をスクショしたり写真を用いるのは反則だと言っていた。彼女の舌はナイフばりに尖っているのだ。
「あ、当たり前だけど告白とかそういうんじゃないから」
そして、思い出したかのようにこんな事を言い出す。いちいち訂正されなくとも脈なしなことは一番分かってるんだってば!
彼女の変化が気になったが、明日聞けるのだからと、その日はそのまま自分のクラスに入った。私は大抵授業を聞いていないが、テスト日程くらいは耳に入ってくる。
オソノイは勉強にまつわる頼み事は大抵受けてくれるという弱点があるので、テスト前の土日はお誘いが成功しやすい穴場なのである。オソノイの心配性なところをついた私のモテテクである。
いつものようにオソノイのクラスに突入する。
「オソノイ!テスト教えて!」
「ごめん。ちょっと無理かも」
しかしその日のオソノイはつれなかった。
「土日!」
「あー。無理」
彼女に予定があったのは去年一年を共に過ごして始めてのことだ。いや、普通は先約がいてもいいんだけど。
「ええ!今朝も思ったけど、最近ちょっと様子おかしくなぁい?」私が尋ねても、オソノイは既に帰る用意を始めている。
そして、「明日の約束、忘れないでね。それじゃ。」というと、オソノイはすぐに駆け出してしまった。普通に高校二年生にもなって人から逃げ出すということはまずないと思うのだが、彼女は本当に廊下もそのまま駆け抜けていってしまった。
オソノイは時々私を頭がダメな子扱いするが、彼女も相当変わっている。というか、毎日一緒に帰っている友達と別々に帰る場合何か一言要ると思うのだが。
私が仕方なく一人とぼとぼと帰路に着いていると、校門にはちょっとした人だかりが見えた。何事かと思ったが、どうやら紅葉さんが私を待っていたようだった。
彼女は私を見つけると、軽く手を上げて近づいてくる。
「やあ、瑞羽ちゃん。さっきオソノイちゃんが走って帰っちゃったけど?喧嘩?」
「してません」
彼女が私の脇に立つと、周辺が歓声で華やいだ。最近紅葉さんと私の仲が良いという噂が広がっているようで、非常に鬱陶しい。さらには、紅葉さんが|満更《まんざら》でもなさそうなのがまた腹立つ。私も走って帰ろうかな。
しかし、彼女がわざわざ待ち受けているということは舞台の話だろうから、無視するようなことは出来ない。恐らくオソノイが一人で帰ったのを見つけて、下校時の私がフリーである事を察したのだろう。
彼女は人前だから舞台の話ができないことは仕方がないとはいえ、「この前家に来てくれたときさぁ」などと関係を匂わせる発言をし始めて私を苛つかせた。
「紅葉さんとどういう関係なの?」というLINEに何件返信したと思っているんだ!
ただ、やはり周囲に人影が見えなくなる場所まで歩くと、彼女は真面目な話を始めてくれた。
「舞台の日程が決まった。とりあえず発表は控えて貰ったけど、どうなるかは分からない」
「…そうですか。ありがとうございます」バイタリティの塊のような在野恵実にしては遅かったともいえるだろう。
そうか。とうとうこの時が来たか。
正直、私と秋窪紅葉が協力して舞台を取り止めにするという計画は全く進んでいなかった。進んでいないというより打つ手がなかったというべきだろうか。
「どうすれば、いいんでしょうね」
いつか来ることだとは分かっていたのだが、気づけば私の手は震えだしていた。
秋窪は身をこちらに少し寄せて、肩を軽く抱き寄せた。人の機微に敏感であることは、オソノイにはない彼女の美点かもしれない。
「一つだけ、思いついている解決法があるんだ」それはとっても魅力的な言葉だったが、彼女のトーンで、その解決法がろくでもないことはすぐに分かった。
「なんでしょう」肩を抱き寄せられただけで、私も少し照れてしまっているのか、目を合わせることができなかった。
彼女も前を向いたまま歩みを止めず、意気揚々と語り始めた。
「舞台を止めさせることは難しい。それに舞台が始まれば少なくとも、君の過去は明るみに出るだろう。だけどね。オソノイちゃんの名前は舞台中登場しない。事件には無関係の彼女を登場させることは違法行為だ」
これは事実だ。ちなみに私の名前も登場自体はしない。どうあっても名前がバレる形にはされるだろうが。
「くじらの小部屋というワードは登場するんです。オソノイも分かると思いますよ」
私が異議を唱えると、彼女は待ってましたとばかりに答えた。
「そりゃ彼女本人はね。でもその事実は、彼女自らが公表しなければ周囲の誰も知ることは出来ない」
彼女の言っていることは正しい。だがそれは、あまりに人の感情を軽視した考えだった。
「でも、オソノイは傷つきます。絶対に」
「そりゃあ、ショックだろう。でも、それだけだ。傷は全て、時間によって癒合されるものさ。そもそも、どうせもう止められないんだ」まだ失恋を引きずっている癖して、彼女はえらく真っ当な事を言った。
「それは…でも、オソノイ。あちこちでくじらの小部屋の話してますよ。バレたら流石に、まずいと思います」
舞台によって生じるデメリットは、中傷を覚悟している私にとってはオソノイと別れなければならないことだけだ。それはもう、こないだ受け入れた。
しかし、オソノイには知りたくもない事実を知らされ、さらに女性間で恋愛をして人の人生を無茶苦茶にした奴と思われて、中傷を受けてしまうという酷いデメリットがあるのだ。ただ一方的に私が好きになっただけなのに。
「確かに、君のことを調査して、そこからオソノイちゃんに辿り着く人間もいるだろうさ。ただでさえ去年一年一緒にいたわけなんだから」
そりゃあ、そうなんだけどさ。なんで離れなかったんだろうと、後悔。今も一緒にいちゃってるんだけどね。
紅葉さんの作戦発表は続く。
「そしてその中には絶対にオソノイちゃんの過去を調べ上げるものもいるだろう。そしたら後は早いものさ。瑞羽ちゃんとオソノイちゃんの美しい仲を邪推してでっち上げて、傷つけてしまうまで一月もかからないだろう」
彼女は乗ってくると、こうしてハムレットの舞台のような口調をする。
「ええ、ですからオソノイを傷つけないために頑張らないと」「でも、でもだよ瑞羽ちゃん」紅葉さんが私の言葉を遮っていう。
「それはくじらの小部屋が謎の存在だったときの話だ」
彼女はいたずらっ子のような顔をして、笑う。
「…どういうことです?」
「君がオソノイちゃんを守りたいなら、くじらの小部屋のメンバーをでっちあげてしまえばいいと思わない?例えば、私がそうだったと明言して、瑞羽ちゃんもそれを認めてしまえば。誰もそれを追求なんてしないさ」
「それは…」確かに、そうかもしれない。けど、そんな事を認められるはずがない。
「紅葉さんを犠牲にするはず、ないでしょう。それにオソノイも犠牲を知って黙っているほど卑劣漢じゃあありません」
「犠牲じゃないさ。瑞羽ちゃんに好かれていたなんてステータスじゃないか。それに、これから邪推も邪推じゃなくなるんだからさ」
そういって紅葉さんは微笑んだ。
呆れた。こんな時まで口説いてくるとは。
「もしかして、私の外堀を埋めるために自己犠牲してません?」
「それが狙いだからね」紅葉さんは久々に出会った頃のにやけた面をした。だけどもう、当時のような不快感はなかった。
彼女は取り繕ったかのように話を再開する。
「もちろんそれだけじゃないよ。私もさ、これ以上『メトロトレミー子役脅迫事件』の被害者を増やすわけにはいかないからね」
「紅葉さんは、告白失敗して被害者を産み出しましたもんね?」
「うん。一番慰めてあげないといけない時に、被害者を余計追い詰めた罪があるんだけど、加害者の瑞羽ちゃんに言われたくないかなあ」二人で、笑った。
交差点に差し掛かるが、紅葉さんは自分の家の方に向かうつもりはないそうだ。今ちょうど話の話に一段落ついたのに。
仕方なく話を続けた。
「ところで、明日オソノイから話があるそうなんです」
「ふうん。どんな?」
「分からないですけど。大事な話みたいです」
「なにが、あるんだろうね」彼女は顎に手を当てて考えている。
「さあ、明日になってみないとなんとも」
「それは、そうだね」彼女はそれから黙りこくってしまった。
彼女が黙ると、通学路を静寂が支配する。オソノイとの登下校と違って、私から話しかけることはない。
そのあとは何事もなく家に着いた。一応、送ってもらったのだから「ありがとうございます」とぺこり。
「今日の話は、考えといてね」「…分かりました」
去り際に一言を残して、彼女は帰っていった。
家に入ると、中田愛弓のポスターが迎え入れてくれた。可愛いなあ。紅葉さんがべた惚れするのも仕方ないといえる。彼女のイベントに通っていると、時折罪を忘れてしまうことがあるほど、彼女は美しい。イベントでも気楽に話しかけてくれる社交性お化けだしね。脅迫犯だと知られれば、傷つけてしまうだろうからまだ返事を出来たことはないが…。
グラビアアイドルの世界はグッズ商戦なのか、コレクションを集めた部屋は彼女の雑誌で溢れかえっている。私は思考をまとめるため、比較的綺麗なリビングに向かった。
「はあ。紅葉さんを、犠牲にか」
冷蔵庫から牛乳を取り出す。普段は、オソノイのことばかり考えて、残りの時間で中田愛弓のイベントを調べる日々なのだが、今日ばっかりは紅葉さんの事を考えなければいけないだろう。
正直な話、彼女の誘いについては悪くない話だと思えてきては、いる。そもそもオソノイを救うために誰かを犠牲にする、くらいの覚悟はあったはずなのだ。だがどうやら気づかないうちに、私は紅葉さんに入れ込んでしまっているらしい。
出会った時につけられていたこと、告白を受けたこと、親切にしてくれたこと。色々な記憶が去来する。
気を紛らわすために紅葉さんのSNSアカウントを開いてみると、私と出会う以前は多かった女性と二人で撮った画像は全く投稿されないようになっていて、代わりに小物や、一人でのいる時の画像が投稿されるようになっていた。ちょっと露骨すぎて、笑ってしまう。
私はもうそろそろ気がつくべきなのだろう。脅迫されたのだと彼女を悪者にして関係を続けるには、私達は長く共にいすぎたのだということに。
「うん。明日ちゃんと言おう」
紅葉さんを犠牲にして、助かるなんてできない。
XXX
迎える10月20日。
私は早めに待ち合わせ場所についた。2年Hクラス。いつもはオソノイと昼食を食べる教室だ。
「や。瑞羽ちゃん」
教室に入ると、何故か紅葉さんが教室の窓辺に寄りかかっていた。晩秋の素風が揃った短髪を揺らしている。
「一体全体、何の御用ですか?いや、ほんとに。というか何でここに?」
混乱する。オソノイが彼女と面識があるとも思えない。
「瑞羽ちゃんと初めて会った時も、居場所をつけてたでしょ?」
そういえば、彼女と初めて出会ったのは私の近所の公園だったか。その経験のある彼女であれば、待ち合わせていることさえ知っていれば簡単に待ち伏せすることはできるだろう。いや、それにしたってだが…。
「ちなみに紅葉さん、初めて会った時の印象最悪でしたよ」混乱した頭のまま、彼女の軽口に軽口で返す。
私の軽口に返事をしないまま、彼女は突然質問を投げかけた。
「昨日の話、考えてくれた?」
そう言って、窓の外に手を回して、微笑んでいる。
彼女を大切な存在だと認めた今の私には、彼女が努めて私を追い詰めてしまわないように優しく振る舞っていることが、手に取るように分かった。
「紅葉さん。申し訳有りませんが――というのもおかしな話ですが、貴方を犠牲にするつもりはありません」きっぱりと答える。
紅葉さんが昨日、「子役脅迫事件の被害者を増やしたくない」と言っていた事を思い出す。しかしそれは、私も同じことなのだ。中田愛弓に続いて、秋窪紅葉まで被害者にすることは出来ない。
「そうでもしないと、オソノイちゃんを守れないんじゃないかい?」質問が続く。
「私にとって、紅葉さんももう犠牲に出来るような人じゃなくなったんです」
「なんか、今日は私に対して優しくない?」
紅葉さんが笑って私の顔を覗き込んだ。
私は思ったことをそのまま話す。
「ほら、もういい加減。脅迫受けてる面も寒いじゃないですか」
これは、本当。
「いや、脅迫を受けてはいるんだけどね…」彼女はまだ負い目があるのか、小声で言った。
でも実際、何故か私に対する脅しは買った恨みの量に反してそれほど苛烈ではなかった。
「だから、もう紅葉さんを犠牲にするつもりはないです」
「それじゃあオソノイちゃんの事はどうするのさ」
当然、紅葉さんはその話を持ち出してくるだろう。
「これから考えます」
そしてこちらも当然の話。結論が出ていればこんな悩むことはない。
少し微妙な間が流れたが、やがて紅葉さんが意を決したように口を開いた。
「君が全てを投げ売ってでもオソノイちゃんを守りたいように、私も、君を守りたいと思ってるんだよ」
紅葉さんはそのイケメンキャラに似合わず、照れくさそうに言った。よく考えればこの人、大失恋してから一度も恋愛経験がないのだった。
そんなに照れられると、私も、照れてしまうじゃないか。つい、冷たく振る舞う。
「大体なんで、ここに来たんですか!」語調を荒げて問いかける。
すると紅葉さんは、こんなことを言い出した。
「もし、オソノイちゃんが告白してきたりしたら、瑞羽ちゃんは告白を受けちゃうだろ?ちょっと様子を見に来ただけさ」
え?そんな理由?と思った。たったそれだけで、彼女はこうして待ち伏せをしたのだろうか。
もしただ愛の告白をしたいんなら、早朝の教室に呼び出すなんて手段を普通は取らないと思う。それでも紅葉さんはそんな事にまるで気がついていないかのように、身勝手な振る舞いをしていた。
これまでの私であれば。ここでカッとなっていただろう。でも、彼女が自分にとって大切な存在だと気づいた今の私には、見えてくるものがあった。
彼女の瞳の奥にちらついているのは間違いなく、嫉妬の紫炎だ。それなのに、恋愛ベタが祟ってこうして私を追い詰めてしまっている。軽薄そうにみえて、自分の気持ちを全く伝えられていないのだ。
今になって私には、中田愛弓さんの気持ちが分かったような気がしていた。このいつも余裕ありげの彼女は、その実いつも人の顔色を伺っていて、愛の告白なんて相手が|脅《・》|迫《・》|さ《・》|れ《・》|て《・》|い《・》|る《・》|ときくらいしか、出来やしない。
三年前も、今も。
紅葉さんの表情は普段と変わらないが、動きを見れば普段よりアガっていることは明らかだった。彼女の弱さに目がつくようになると、私の目は徐々に醒めていった。なんなら教室がいつもより広く見えるくらい、内面が凪いでいく。
反面、紅葉さんはそんな私の様子に気づくこともなく、語りを続けている。告白の上手な断り方談義にまで突入していた。あんたは振られた側だろうが。
私は、愛おしい、恋愛音痴な彼女のために、骨を折ってやることにした。
「紅葉さん。私、オソノイに告白されたら、受けようと思っているんです」古典的な焚き付け方だ。しかしそれでも、彼女はリモコンの一時停止で操作されたかのように、ぴたりと止まった。少し面白い。
彼女はすぐに気を取り直すと、語りを再開した。
「君が言っていたんじゃないか。オソノイと君が結ばれて、暴露が行われれば、その中傷はひどいものになるって」
「ええ、脅迫事件を起こしたカップルが、何も気負いせずに交際していて、更に女性同士であれば、沢山の暴言も受けるでしょう。でも、もしオソノイが私に告白をしてくれたのなら、少なくとも誹謗中傷ではなくなるじゃないですか。だって事実なんですし」
紅葉さんが目を見開いて、「冗談でしょ」とでも言いたげな顔で笑った。
「やめときなよ。もう離れる決心はしたんでしょ?苦しくなるだけだって」
「別に苦しくったって、私は構いませんよ」といった声は、自分で思っていたより低かった。自分自身、本当にオソノイが告白してきたらそうしようと、思っているんだろうか。
紅葉さんは絞り出すかのように言葉を吐く。
「だからさ、そんな辛い思いをしなくたって…それに結ばれたってそこからの生活は…」
彼女はつらつらと理屈を並べていく。
「ごめんなさい、紅葉さん。ちょっとくどいです」
私がもどかしくてたまらなくって言葉を遮ると、紅葉さんは唖然として全く喋らなくなってしまった。この人こんなに面白い人だったのか。
私は、彼女が本心を吐露できるように助け舟を出す。
「紅葉さん。私、あの事件以来どうしても出来なくなった事があるんです。実は…脅迫が怖いんです。脅迫する事が怖くなっちゃって、あれから一度もしていないんです。ほんとですよ」
事実混じりの冗談。彼女はまだきょとんとしている。
「でもそろそろ、過去の恐怖を乗り越えるべきかもしれないって思うんです。だから、紅葉さんに脅迫させてください」
久しぶりの脅迫のために、深呼吸をした。
「私、このままじゃオソノイのものになっちゃいますけど、それでもいいんですか?」
「…っ」私の意を察したのか、彼女がぴくりと身体を震わせた。私が自らの罪に気付いてから他人を傷つけることが怖くなったように、紅葉さんは中田愛弓にこっぴどく振られてから、告白恐怖症を患っている。私は彼女にその過去を乗り越えて欲しかった。そうじゃないと、彼女は一生歪な恋愛しかできなくなってしまう。
しかし私が脅迫恐怖症をせっかく乗り越えたっていうのに、彼女はまるで縋るような目線を向けてきた。ああ、もう。
どこまで背を押さないといけないんですか紅葉さん。
「私をオソノイのいないところに連れて行ってください」
私が一息にそういうと、紅葉さんが私に突然抱きついて来た。私は普通に告白して欲しかったんだけど…って、あっ、ちょっ!勢いでキスしようとすんな!そんなんだから振られるんだぞ!!!
「瑞羽、好きだ。本当に、ずっと。行こう。一緒に」
|片言《カタコト》で、震えながらの、みっともない告白。
しかし、私達はその日過去を、少しだけ乗り越えたのだった。