4.リュカへの想い
王城滞在3日目の朝、レーヌが窓から入る光に少し身じろぐと、
「レーヌ様、お目覚めになりましたか?」
と少し幼い女性の声が聞こえた。
(うん?女性?)
レーヌは勢いよく起き上がり、周りを確認したところ、2日連続で横にいたテオドールの姿がない。
「レーヌ様、おはようございます」
リゼットが再び声をかけてくる。
「おはよう、リゼット。今日、殿下はいらっしゃらなかったのね!」
気持ち、晴れやかな声で話すレーヌにリゼットは苦笑いを微かに浮かべると、
「朝食をご一緒に、ということでしたので、これから参ります」
「ああ、そうなのね……」
明らかに落胆した様子を見せるレーヌにリゼットは我慢の限界だったのか、侍女服のエプロンを両手でぎゅっとつまみ、俯いて声を出さないように笑っている。
その様子を見てレーヌは、
「あ、あの、きらい、というわけではなくてですね……」
としどろもどろに説明したが、
「と、とりあえず、顔をお洗いください」
と口びるを噛みながら笑いを堪え、ワゴンから桶を持ってくる。
リゼットは大きく息を吸い込み、まじめな顔になると、
「リアム様より、今日からはレーヌ様の準備ができてからテオドール殿下と一緒にこの部屋にきます、と伝言を賜っております」
「ああ、やっぱりくるのね……」
その一言にリゼットはまた、声を出さないように笑っている。
レーヌはテオドールのことを嫌っているわけではない。
ただ、殿下と話す、食事を共にする、というのが慣れなくて、粗相がないようにと気をはるので疲れる。
(一刻も早く、イアサント宰相の悪いことの証拠を見つけてほしいわ)
心の中で文句をいいつつ、レーヌはため息一つこぼすと、リゼットの用意してくれた冬らしい、薄いグレーの飾り気のないシンブルなワンピースに着替え始めた。
準備が終わったところで、侍女が廊下にいる騎士に伝言を頼むと、あとはテオドールがくるのを待つばかりとなる。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
ドアの近くでテオドールに軽く膝を曲げ、頭を下げて迎える。
「ご心配いただきありがとうございます」
と返答する。
「レーヌ嬢、おもてをあげて」
その言葉に背筋を伸ばし、テオドールを見上げる。
すぐに執務に入れるようになのか、深い緑色に金色の糸で刺繍を施してあるジャケットを羽織っていて、とても華やかだが、テオドールによく似合っている。
まじまじと見つめているとテオドールが左手を差し出したので、右手をのせ、部屋の窓際にあるテーブルまでの短い距離をエスコートしてもらう。
お互いに席に着いたところで、リゼットとセレストが朝食の給仕を始める。
朝食をテーブルに並べると、侍女たちは部屋のドア近くで待機する。
「それでは、食べましょうか?」
テオドールの穏やかな声で朝食が始まる。
「そういえば、昨日、母と茶会を開いたと聞きました」
「あ、はい、あの、妃教育のレベルチェックを兼ねての茶会と伺いました」
「ええ。母もレーヌ嬢のマナーに合格点を出したと聞きました。そして、娘になる日が待ち遠しいと言っていました」
テオドールはレーヌを見つめてにっこりと微笑む。
その言葉にレーヌは固まり、手に持っていたパンを皿の上に置くと、
「あの、お言葉ですが、王妃様には偽の婚約者だと伝わっているのでしょうか?」
「ああ、細かいことは気にしないで」
と言葉を濁すと、少し眉を下げ、悲し気な表情になると、
「それと、妃教育のカリキュラムですけど、マナーは一通り大丈夫だから、国の歴史、王族の歴史、貴族の名前など、覚えることが多くなると聞いています」
「そうですか……」
「こちらのわがままで、大変なことを押し付けてしまい、申し訳ありません。でも、辛い時があれば、僕に話してください。話すことで少しでも気持ちが晴れると思いますから」
悲し気な表情から一転して、優しいまなざしをレーヌに向けるテオドールだが、
「あ、ありがとうございます、殿下」
と言ったレーヌの言葉にがっくりと肩を落とす。その姿を見て慌てて、
「あ、あの、て、テオ、ありがとうございます……」
というと、テオドールはぱあっと明るい顔になり、
「さぁ、食事を再開しましょう!」
と明るい声で話した。
食後の紅茶は今日もテオドールが淹れてくれる。
紅茶を飲みながら、ふと、昨日の疑問を思い出し、
「あ、あの、で、テオ……」
「はい、なんでしょうか?」
「あの、警護団のことについて、リアムに尋ねたいことがあるのですが、どこにいますか?」
レーヌの言葉にちょっとしょげた顔をしながらも、テオドールは、
「部屋の入口にいますよ」
と顔を向けると、リアムを近くに呼んでくれる。
「どうしましたか?」
「レーヌ嬢が警護団について聞きたいことがあるそうだ」
テオドールの一言にレーヌに向き直ると、
「困ったことがありましたか?」
と尋ねた。
「困ったこと、というわけではないのだけれど、もし、呼び出しがかかった場合、ここからどうやって行けばいいのかわからなくて……」
「ああ、そうですね。呼び出しがかかれば、私が先に殿下に話し、その後こちらに迎えにきますので、準備をして待っていてください。ああ、そうだ、レーヌ嬢、馬の様子を見ますか?」
「ええ、ぜひ!こちらにきてから、全く会っていませんので、早く会いたいです!」
その言葉にリアムは頷くと、
「では、なるべく早く会いに行けるようにスケジュールを調整しますので、お待ちください」
「ありがとうございます!……あと……」
とレーヌはちらっとテオドールを見た。こころなしか、つまらなそうな顔をしてこちらを見ている。
リュカのことを聞きたいけれど、今だとタイミング悪いかな?
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ、何でもないです!オレリーと会えるのを楽しみにしています!」
無理やり笑顔を作って、話しを終わらせる。
リアムは訝しげな表情を浮かべたが、すぐにその表情を消すとテオドールに向かい、
「殿下、そろそろ時間になります」
「ああ、もうそんな時間か」
と手に持っていたティーカップを静かにソーサーに戻すと立ち上がる。
レーヌもそれにならい、立ち上がる。
とその時、左手首に着けていたリュカからもらったブレスレットが落ちてしまった。
レーヌが拾おうとするよりも先にテオドールがブレスレットを拾い上げ、
「これは……?」
と目を細めてまじまじとみる。
「あ、すみません。あの、それは、遠くに行ってしまった方からのプレゼントで……」
ともごもごと話していると、
「あなたの大切な人からのプレゼントですか?」
レーヌはその言葉にはっとする。
突然考えこんでしまったレーヌに少し怒りが混じった声でテオドールが更に問う。
「イニシャルが二つ入っています。思い合う人なのではないですか?」
そこまで言われてやっと気付いた。
――リュカは大切な人だけど、もう会えない人。
このブレスレットをもらったあとに泣いてしまったのは、好きなのに、もう会えなくなると思って、悲しくて涙が溢れたのだ、と。
その思いに気付くと自然と涙が頬を伝うのがわかった。
テオドールは呆然として涙を流すレーヌの様子を静かに見ていたが、レーヌの左手をとり、ブレスレットを着けたあと、ためらいがちにレーヌを抱きしめると、
「レーヌ、泣きたいのなら泣いてください」
といつもより、少し低い声で甘く優しく囁く。
その声はリュカを思い出させ、思わず、
「リュカ……」
と呟いてしまう。
テオドールはその声が聞こえたのか、少し腕の力が緩んだが、また強くレーヌを抱きしめる。
涙を止めなきゃと思いつつも、溢れてくる涙を止められずにいるレーヌをテオドールは静かに背中を撫でていた。